首里城石垣の刻印
本土の城で石垣の表面に文字や記号が刻印されているものがあることは比較的知られています。工事担当者の所属などを示すためです。では琉球のグスクはどうだったのでしょうか?
実は、首里城にも石垣に刻印された事例が確認されています。首里城は戦争で破壊されましたが、一部の石垣は残存していました。この残存箇所のうち、久慶門(現在の城の出口付近)に残った石垣からさまざまな刻印された記号が見つかっているのです。そのパターンは実に41パターンもあります(残念ながら復元で大半のものは撤去されています)。
特徴としては地面近くに多くが存在すること、確認された80%が城壁内の面にあること、まんべんなく点在するのではなく、特定の箇所に集中してることなどです。
この刻印はどのような目的があったのか、その意味については解明されていません。考えられるのは本土の城のように工事の担当者がわかるように、その印をマークした可能性です。座喜味グスク築城では分担した石垣工事で担当者がわかるように各担当の名を刻んで近世までそれは確認できた、という話が護佐丸子孫の著した由来記に書かれています(実際には風化が激しく確認できませんでしたが)。
もしかしたら首里城の刻印もそうした意味があったのかもしれませんが、真相は不明です。他のグスクの城壁も注意して見たら、何らかの刻印がある可能性もあります。事例がもっと集まってくれば何かわかるかもしれませんね。
参考文献:上地克哉・上原靜「首里城城郭検出の「刻印石」」(『沖縄県教育庁 文化課紀要』9号)
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