緑茶大好き琉球人!?
沖縄でおなじみのお茶と言えば、ジャスミンの香りが特徴のサンピン茶。中国から伝わって現在でも親しまれています。ウーロン茶も本土で広まる以前からすでに沖縄で飲まれていました。しかし琉球王国の時代には「清明茶」や「高山茶」といった中国系のお茶のほかに、日本の緑茶も広く飲まれていたのはあまり知られていない事実です。
古琉球の時代、都の首里や港町の那覇には多くの禅宗寺院がありました。発掘調査では寺院跡から天目茶碗などが多く出土していて、仏教とともにお茶の文化も入っていたようです。1600年前後には堺から喜安という茶道に通じた日本人が渡来し、茶道の師範として王府に取り立てられました。堺といえば、あの千利休のいた場所ですね。喜安も利休の流れをくむ茶人だったと伝えられています。やがて琉球で茶道は士族のたしなむ芸の一つとして位置づけられていきます。
当時の琉球人はどのようなお茶が好みだったのでしょうか?最近の研究によると、熊本県人吉市と球磨(くま)郡一帯で作られた求麻茶(くまちゃ)が人気だったといいます。求麻茶は士族から庶民まで広く好まれ、薩摩藩を通じて琉球に大量に輸入されていました。その理由は、求麻茶が緑茶のなかでも香りが強い種類だったこと。どうやら琉球の人々は、サンピン茶のような香りのあるお茶が好きな傾向があったようです。ただ、あれだけ人気のあった求麻茶は、現在の沖縄では忘れ去られてしまいました。
お茶は輸入するだけでなく、琉球国内で生産することも試みられました。1627年に薩摩からお茶の種を持ち帰って現在の宜野座村漢那で栽培したのが最初で、1673年には久米島でも茶園が作られています。1733年には浦添に王府経営の茶園が開かれ、王家のために和漢の茶が生産されました。浦添市にある茶山団地がその場所です。現在では茶園の痕跡はありませんが、その名前だけが当時を伝えているわけです。王国滅亡直後の1882年(明治15)には年50斤(約30キロ)が生産されたといいます。
琉球の人々はサンピン茶だけでなく、さまざまな種類のお茶を楽しんでいたことがおわかりでしょう。ただ、あまりの琉球人の求麻茶好きぶりに、産地の農民たちはお茶の増産、重労働を強いられ、ついには生産者たちが百姓一揆を起こしてしまいます。まさか琉球の人々は自分たちが楽しんでるお茶のおかげで、海の向こうでそんな事態を巻き起こしてしまったとは夢にも思わなかったでしょう…
参考文献:武井弘一「茶と琉球人」(『南島における民族と宗教 沖縄研究ノート』19号)
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