95年前の落書き
戦前、護佐丸の墓が観光名所となり、観光客が記念にフクギの幹に落書きをしていたことを紹介しましたが(こちら)、今帰仁村の大西墓でも、おびただしい量の落書きが残っていることを見つけました。
大西墓は16世紀から今帰仁グスクに常駐した山北監守の一族の墓。運天港の丘陵の崖を利用したものです。墓の壁面は漆喰で塗られていますが、一面にびっしり落書きが書かれています。
大正九年(1920)七月廿一日詣了
有銘興昭
又吉康吉
山里将昌
なんと!今から95年前の落書きがそのままキレイに残っているのです。
このなかの有銘興昭、もしかしたら戦前の『沖縄教育』などを編集した教育家と同姓同名なので、同一人物の可能性もあります。
また
昭和十六年七八月
二高女
安里■子
これは太平洋戦争開戦直前の昭和16年の落書きです。「二高女」とは那覇市にあった第二高等女学校。安里さん、現在でも存命なのでしょうか…?(ご存命の場合を考え、一部をモザイクで隠しました)
このほかにも戦後の1950年代のものや、新しいものでは平成一桁の落書きもあります。それにしても墓に落書きとはバチ当たりですね(笑)しかし、これはこれで近代沖縄の歴史の跡ですから、消さずにキチンと残しておいてもらいたいと思います。
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