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2015年4月 7日 (火)

沖縄は昔から「長寿の島」だった?

沖縄といえば「長寿の島」として知られています(最近はメタボ化でヤバイですが…)。食べ物や気候、ストレスをためない大らか(テーゲー)な気風が影響しているとも言われますが、歴史的にみてどうなのでしょうか。

王国時代といえば現在よりも医療設備は未熟で、栄養や衛生面でも劣っています。たとえば士族の毛氏(久米村)家譜をみると記載の256名中、平均寿命は47.4歳。幼少期に死んでいる例で最年少は1歳、18歳以下の死亡者数は19名(約7%)です。やはり年少者の死亡率は現在よりも高いのはまず間違いないでしょうが、一方でどれだけの長生きの人たちがいたのでしょうか。

王国の正史『球陽』には、18世紀に入るとしばしば長寿のお年寄りを表彰する記事が登場します。たとえば1753年には読谷山間切(現・読谷村)の楚辺村に住んでいた真刈(まかる)島袋が100歳になったので王府に表彰され、親雲上の位と糸綿、綿布を与えられています。こうした長寿の表彰記事は1746~1876年の間に51件も出てきます。

そしてその最高齢は…なんと105歳!伊良部島の佐和田村に住む女性、志良屋さん。1843年に表彰されています。日本の渚百選にも選ばれている佐和田の浜が心身を癒していたためでしょうか?(笑)おそらく王国時代の最高齢記録はこの方でしょう。彼女は王府より、毎月米1斗2升を支給されることになりました。亡くなった年齢はわかりませんが、表彰後もしばらく存命だったはずです。

全体の傾向をみると、高齢者の暮らしている地域は首里や那覇、離島地域が若干多いものの、とくに大きな偏りはなく、また身分によって差があるということでもないようです。プレゼント品はだいたい木綿布とか紬。まれにお米支給や扁額も与えられています。たとえば1869年に100歳になった首里の仲嶺里之子親雲上元孟さんは「太平上寿」と書かれた額をもらっています。あと、与えられるのは名誉称号や位もあります。「黄冠(親雲上)の妻」や間切の名目上の領主などです。

こうしてみると、意外にも沖縄は昔から長寿の島だったんじゃないかと思えてきます。では全体として長寿の人がどれだけいたのでしょうか。1872年には王国全体の高齢者の数が調査されています。それによると80歳以上の高齢者は2005名(男552名、女1453名)。この当時の全人口は16万6782名なので(『琉球藩雑記』)、高齢者の割合は1.2パーセントほどです。現在の沖縄県の人口に対する75歳以上の高齢者の割合はおよそ8パーセントですから(2010年時点)、やはり高齢化は進んでいると言えるのではないでしょうか。

ちなみに1872年の調査で、王府は高齢者の皆さん全員に扇子やタバコ、タバコ入れを配ったそうです。

参考文献:『球陽』、田名真之『沖縄近世史の諸相』、沖縄県「沖縄県高齢者保健福祉計画(平成21年度から23年度)」、『久米毛氏四百年記念誌 鼎』

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