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2014年9月13日 (土)

沖縄最古の木製墓

沖縄独特のお墓といえば亀甲墓が知られていますが、こうした形式は近世になって導入されたもので、それ以前は崖下のくぼみや洞窟を利用したお墓でした。浦添ようどれや小禄墓に見られるように、崖下のくぼみに石を積んでふさぎ、墓室としますが、さらに古いものになると、その場所に木製の建物を設置します。今帰仁の百按司墓が代表的な木製の家型墓です。

あまり知られていませんが、宜野座村にも古い時代の木製家型墓が残されています。漢那のウェーヌアタイ遺跡にあるもので、洞窟の壁際に置かれています。部材はチャーギ(イヌマキ)を使い、内部には実に170体以上の遺骨が安置されていました。この墓は近代まで使われており、最後に葬られたのが大正元年(1912)だそうです。

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その形式は今帰仁の百按司墓のものとほぼ同じです。実は現地にあるこの墓は2005年に復元されたもので、現物は宜野座村立博物館で見学することができます。

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解体修理の際、墓の木材が年代測定にかけられました。すると…驚くべき事実が明らかとなりました。この木製墓が製作された年代が、1350年頃のものと判明したのです。1350年といえば、察度王が即位した年。中国への朝貢も開始されておらず、尚巴志も生まれていません。まだ沖縄島が三つに分かれている時代です。つまり、この墓は沖縄で最古の木造建築ということになるのです。

尚巴志の築いた首里城や、南山の大里グスク、阿麻和利の勝連グスクにあった正殿もまだ建てられていない時代といえば、その古さが実感できるかと思います。700年近くも風雨に耐え、現存しているのです。

沖縄各地にはまだまだ調査が進んでいない木製墓があります。こうした墓も年代測定すれば、さらなる発見もあるかもしれません。今後の調査が進むことを期待しましょう。

参考文献:パリノ・サーヴェイ株式会社「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓の放射性炭素年代および樹種」(『宜野座村立博物館紀要 ガラマン』12号)、宜野座村立博物館「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓」

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コメント

このお墓の形式は日本でも中国でも無いと思いますが、他に東アジアで似ている国は有るのでしょうか?

投稿: まりきん | 2014年9月13日 (土) 08:16

 チャーギの耐久性が高いのは知るところですが、これはスゴイですね。
 崖下のくぼみなどを利用していた伝統を守もっている感じです。

 そうすると「浦添ようどれ」に続き、第二尚氏の「玉陵」の基本構造もその延長線上にあると解釈できるでしょうか?

投稿: 琉球松 | 2014年9月13日 (土) 13:20

>まりきんさん
東アジアでこのような事例があるのかはちょっと調べてないのでわかりません。ただ遺骨を収める木棺は日本の唐櫃の形式とまったく同じというのがおもしろいところです。

>琉球松さん
玉陵については破風墓という当時としたは新しいスタイルなのですが、洞窟状の自然地形を利用する共通点はあるので、延長線上といってもいいかもしれませんね。

投稿: とらひこ | 2014年9月22日 (月) 18:46

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