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2014年9月20日 (土)

復元!中城グスク正門

世界遺産のグスクの一つ、護佐丸の居城であった中城グスク。現在のグスクの入口は実は裏門で、本来なら反対側のアーチ門ではない箇所が正門でした。

正門の構造は石垣の上に櫓を載せる形式です。残念ながら当時の建物はすべてなくなっています。そこで今回、画像を加工して想定復元してみました【画像。クリックで拡大】。櫓は首里城瑞泉門を使用しました。

Photo_2
なんと!立派な正門ではありませんか。名将・護佐丸のお宅にピッタリの威厳ある姿です。首里城瑞泉門の櫓を合成したのは、中城グスクとほぼ同時期のもので門が同形式であるからです。中城からは古琉球当時の瓦は大量に出てこないので、屋根はおそらく板葺きだったと考えられます。また1461年の朝鮮漂着民の記録では、首里城正殿の壁面は朱色の顔料で塗られていたとありますから、門も同じ仕様と推定されます。

しかし実際に視覚化してみると、中城グスクのイメージが変わってしまいますね。

※中城グスク写真は『琉球戦国列伝』掲載の和々さん撮影

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2014年9月13日 (土)

沖縄最古の木製墓

沖縄独特のお墓といえば亀甲墓が知られていますが、こうした形式は近世になって導入されたもので、それ以前は崖下のくぼみや洞窟を利用したお墓でした。浦添ようどれや小禄墓に見られるように、崖下のくぼみに石を積んでふさぎ、墓室としますが、さらに古いものになると、その場所に木製の建物を設置します。今帰仁の百按司墓が代表的な木製の家型墓です。

あまり知られていませんが、宜野座村にも古い時代の木製家型墓が残されています。漢那のウェーヌアタイ遺跡にあるもので、洞窟の壁際に置かれています。部材はチャーギ(イヌマキ)を使い、内部には実に170体以上の遺骨が安置されていました。この墓は近代まで使われており、最後に葬られたのが大正元年(1912)だそうです。

Img_0827
その形式は今帰仁の百按司墓のものとほぼ同じです。実は現地にあるこの墓は2005年に復元されたもので、現物は宜野座村立博物館で見学することができます。

Img_0839
解体修理の際、墓の木材が年代測定にかけられました。すると…驚くべき事実が明らかとなりました。この木製墓が製作された年代が、1350年頃のものと判明したのです。1350年といえば、察度王が即位した年。中国への朝貢も開始されておらず、尚巴志も生まれていません。まだ沖縄島が三つに分かれている時代です。つまり、この墓は沖縄で最古の木造建築ということになるのです。

尚巴志の築いた首里城や、南山の大里グスク、阿麻和利の勝連グスクにあった正殿もまだ建てられていない時代といえば、その古さが実感できるかと思います。700年近くも風雨に耐え、現存しているのです。

沖縄各地にはまだまだ調査が進んでいない木製墓があります。こうした墓も年代測定すれば、さらなる発見もあるかもしれません。今後の調査が進むことを期待しましょう。

参考文献:パリノ・サーヴェイ株式会社「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓の放射性炭素年代および樹種」(『宜野座村立博物館紀要 ガラマン』12号)、宜野座村立博物館「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓」

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