護佐丸の墓に落書き(2)
(前回の続き)
100年前の落書きは、はたして残っているのでしょうか。実際に護佐丸の墓に行ってみました。
行ってみると、護佐丸の墓の前には確かにフクギがあります!久沢生が彫ったのもフクギ。投書にあった通りの木です!これまで墓にばかり注目して、フクギはまったく目に入っていませんでした。
フクギの幹を見てみると…何やら表面がデコボコになっています。これは掘り込みの跡なのか、あるいは自然の造形なのでしょうか?
そして…並んでいるフクギの木の1本を見てみると、これは…!自然の造形ではなく、明らかに人工的な掘り込みがあるではないですか!読んでみると、「首里バス」と見えます。
先に紹介したフクギも赤線で囲うと、「水?試?四?」らしき文字に見えます。これも誰かが彫り込んだものの可能性が高いです。これは「水産試験場」の略でしょうか?ちなみに沖縄の水産試験場は1921年(大正10)に発足しています。
残念ながら久沢生の「琉球新報」の文字を確認することはできませんでした。しかし、確認できた「首里バス」は、1935年(昭和10)から1974年(昭和49)まで運行されていたバス会社。つまり、掘り込みは古ければ戦前に、新しくても復帰直後に彫り込まれたものであると考えられます。
今では護佐丸の墓を訪れる観光客はほとんどいませんが、戦前から戦後・復帰直前の時期にかけて護佐丸の墓が観光スポットとなり、見学客が記念として敷地内のフクギに文字を彫る習慣があったことがうかがえます。
久沢生の彫った文字は見つからなかったものの、今回の発見で忘れ去られていた数十年前のヒトたちに出会えた気がして、ちょっと感動してしまいました。フクギの幹をより丹念に見ていけば、もしかしたら「琉球新報」の文字を発見することができるかもしれません。
皆さんも護佐丸の墓に行く機会があれば、ぜひ久沢生の落書きを探してみてください。
| 固定リンク
コメント