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2014年6月22日 (日)

護佐丸の墓に落書き(2)

前回の続き)

100年前の落書きは、はたして残っているのでしょうか。実際に護佐丸の墓に行ってみました。

行ってみると、護佐丸の墓の前には確かにフクギがあります!久沢生が彫ったのもフクギ。投書にあった通りの木です!これまで墓にばかり注目して、フクギはまったく目に入っていませんでした。

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フクギの幹を見てみると…何やら表面がデコボコになっています。これは掘り込みの跡なのか、あるいは自然の造形なのでしょうか?

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そして…並んでいるフクギの木の1本を見てみると、これは…!自然の造形ではなく、明らかに人工的な掘り込みがあるではないですか!読んでみると、「首里バス」と見えます。

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赤線で囲うと、こうなります。

Photo_3
先に紹介したフクギも赤線で囲うと、「水?試?四?」らしき文字に見えます。これも誰かが彫り込んだものの可能性が高いです。これは「水産試験場」の略でしょうか?ちなみに沖縄の水産試験場は1921年(大正10)に発足しています。

Photo_4
残念ながら久沢生の「琉球新報」の文字を確認することはできませんでした。しかし、確認できた「首里バス」は、1935年(昭和10)から1974年(昭和49)まで運行されていたバス会社。つまり、掘り込みは古ければ戦前に、新しくても復帰直後に彫り込まれたものであると考えられます。

今では護佐丸の墓を訪れる観光客はほとんどいませんが、戦前から戦後・復帰直前の時期にかけて護佐丸の墓が観光スポットとなり、見学客が記念として敷地内のフクギに文字を彫る習慣があったことがうかがえます。

久沢生の彫った文字は見つからなかったものの、今回の発見で忘れ去られていた数十年前のヒトたちに出会えた気がして、ちょっと感動してしまいました。フクギの幹をより丹念に見ていけば、もしかしたら「琉球新報」の文字を発見することができるかもしれません。

皆さんも護佐丸の墓に行く機会があれば、ぜひ久沢生の落書きを探してみてください。

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2014年6月17日 (火)

新刊キマシタ!

ひさびさにワタクシの新刊が出ますよ!

今回は奇怪な話、コワイ話がもりだくさん。その名も…

『あやしい!目からウロコの琉球・沖縄史』!

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これまでほとんど見向きもされなかった「ナ、ナンダッテー!」な話、歴史記録に残された不思議で奇怪な話を大マジメに取り上げてみました。

琉球にミイラの風習があった!?

久高島に謎の「異種の民」がいた!?

琉球の死刑と拷問とは!?

琉球館跡から数十体の首なし死体!?

などなど。

また奇怪な話だけでなく、これまでのように「目からウロコ」な話も満載です。

王府役人はハゲたら即引退!?

ウソつきは外交のはじまり!?

琉球史上、最高齢は何歳!?

西原にミラクル孝行息子がいた!?

王国時代の歴史だけでなく、100年前のビックリ話も。

100年前の沖縄で美人総選挙!?

鉄道ファン必見!貴重な100年前のダイヤ!

アフリカマイマイ飼育の爆発的ブーム!?

そしてそして!今回の特別オマケはドラマ「テンペスト」の時代考証裏話も!テンペストファンは必見です!

新刊はボーダーインクのHPから注文可能です。

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HPからは先行予約できますが、沖縄県内の方は、今週末あたりから県内各書店に配本されます。ぜひぜひ書店でページをめくってみてください!

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2014年6月15日 (日)

護佐丸の墓に落書き(1)

今から100年前の「琉球新報」投書欄に、次のようなものがありました。

名前:久沢生:1915(大正4)/2/16(火)
去る11日は神武天皇のご即位、紀元節に相当しているので、我々同志者、相集まり協議一決して中城まで遠足した。同日午前8時10分の発車に乗って四方八方の話の交換して行くうちには、間もなく与那原停車場に着いた。

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【復元された昭和期の与那原駅】

ただちに下車してまたまた人車軌道に運ばれ津覇村に向かった。目的地の中城城めがけて一生懸命に通って行く。みなは元気旺盛にして目的地を踏んだのはちょうど1時半頃であった。城の物見台に登って新鮮なる空気を吸いつつ見ると、下は甘蔗(サトウキビ)が青々と生えている。海面に見える知念﨑と勝連半島とは海中に突き出し、津堅、久高の小島はあたかも軍艦のごとく並んでいる。海上に飛び回る千鳥は淋しく泣いている。その景色は筆にも書き尽くされないほどであった。

戦後まもなくの中城湾。久沢生が見た風景と近いでしょう】

城内にある役場にて護佐丸の遺物として保存せられたる剣、遺伝、書物、飯碗、煙草盆などを見ると同時に護佐丸の面影がしのばるる。それから護佐丸の御墓に参詣して墓の周囲に生えている福木に記念として「琉球新報」と削って帰った。

ある青年が休日に、友人とともに那覇から中城グスクまで遠足したという内容です。当時開通したばかりの軽便鉄道で那覇から与那原まで行き、そこからは人が客車を押して進む人車軌道(与那原―泡瀬間の沖縄軌道。当時は与那原―津覇間まで開通)に乗って中城グスクに到着したようです。

グスクで中城湾の絶景を堪能した後は、一の郭にあった中城村役場で「護佐丸の遺物」なるものを見学しています。(護佐丸の生きていた15世紀にはまだタバコは伝来していないので、後世のものでしょうが…)

そしてその後は、グスクの近隣にある護佐丸の墓を参詣。敷地にあるフクギに記念として「琉球新報」と掘りこんだとのこと。これはいけませんね(笑)しかし、木に掘りこんだということは、もしかしたら現在でもその痕跡が残っているかもしれません。

ということで、実際に護佐丸の墓に行ってきました(笑)はたして久沢生の記念掘りこみはあったのか!?その結果は次回ということで。

参考文献:「琉球新報」

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