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2014年4月12日 (土)

皇紀2600年のナウいデコ

名護市東海岸の嘉陽(かよう)の丘陵地帯に、嘉陽グスクというグスクがあります。このグスクは石垣はまったく存在せず、日本の中世城郭のような土でできたグスクです。山を削って平場や切岸を設け、敵の侵入を阻む造りです。伝承によると、グスクは勝連から移住した嘉陽大主(かよう・うふぬし)なる人物が築いたということです。

グスクも非常に興味深いのですが、今回紹介するのは廃城後、地元民の信仰対象となったグスクについてです。グスクを登ると、1939年(昭和14)に建立された鳥居があり、そこをくぐると広場になっています。そこにはコンクリート造りの祠と碑があります。

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碑には「紀元二千六百年祭記念」と、祠建立に寄付した者一覧が刻まれています。紀元2600年祭といえば戦前の日本で大々的におこなれた国家的な祝賀行事。こんな沖縄の一地域にまで影響を及ぼしていたんですね。名護は沖縄戦の激しい戦火にはみまわれなかったので、こうして戦前の遺物が残っているわけです。

そして注目されるのが、祠の上部に付いている電球。

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この電球は実際に点灯したものではありません。コンクリートに埋め込まれています。つまり実用として設置されたのではなく、あくまでも飾りとして付けられたものなのです。戦前の沖縄は、今のように本島全域に電力網がはりめぐらされていたのではありません。名護にもいちおう電力会社がありましたが、西海岸の市街地が主で、山を越えた東海岸の嘉陽では一般的ではなかったと考えられます(※)

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おそらくこの電球は、都市部で使われていたものを誰かが持ってきて、紀元2600年記念の祠を建設する際、「これナウい(死語)から付けようぜー」と設置したものではないでしょうか?戦前、とくに地方では電気はハイテクなものであり、当時の人々にとって電気はトレンディー(これまた死語)と認識されていたので(浅草の電気ブランも参照)、あまり電灯を見たことがない嘉陽の人々が、デコレーションとした可能性があります。

後の時代に補修した可能性もありますが、見る限りでは祠に明確な補修の形跡や記録は確認できませんでした。仮に補修したものだとしても、点灯しない電球をコンクリートにわざわざ埋め込み、追加する行為はデコレーションであることは間違いありません。いずれにせよ、この電球が1940年時点のものだとしたら、沖縄にまず現存していない戦前の貴重な電球といえます。将来、文化財になるかもしれません。

沖縄において戦前を伝える史跡はほとんどありません。嘉陽グスクは王国時代の遺跡という性格とともに、貴重な近代の様相を伝える史跡でもあるのです。

※このあたりは要調査です。名護電灯株式会社の総電力は130キロワット、6500戸に送電していましたが、他の沖縄の電力と同じく電灯は「線香花火のようだ」と言われるほど電圧が低く、しかも高料金で廃灯運動まで起きていました(『沖縄大百科事典』、琉球新報社社会部編『昭和の沖縄』)。

【追記】『嘉陽誌』には、集落に電気が通ったのは戦後からとの証言がありました。

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