ピョコっと出た石の起源
世界遺産にも登録された琉球王国のグスク群。その大きな特徴は、琉球石灰岩で積まれた美しい石積みです。本土の直線的な石垣と異なり、丸みをおびた柔らかな曲線で構成されています。
その石積みのコーナーになっている部分、よく見るとピョコっと飛び出しています。これは「隅頭石(すみがしらいし)」と呼ばれるもので、首里城をはじめとしたグスクのみならず沖縄の古い民家の石垣にも多用される技法です。なぜこのような石をコーナーに置いているのか、実はよくわかっていませんが、一説にはコーナー部分を高くすることで視角的に美しく見せているとも、魔除けなど宗教上の理由とも言われています。実は本土の天守台にも似たような技法はあるようですが、沖縄の隅頭石は極端に飛び出ているのが特徴です。
この隅頭石、いつ頃から石積みに設置されるようになったのでしょうか。よくわかっていないのですが、それを知る大きな手がかりが中城グスクにあります。中城グスクは15世紀中頃に護佐丸によって改修・整備されたグスクですが、彼が入る以前には先中城按司が住んでいたと伝わっています。
中城グスク正門横の張り出しの石積みのコーナーを見てみましょう。
コーナーには隅頭石ではなく、平らな石が載っています。
それに対して、中城グスク裏門付近の階段にある石積みのコーナーは隅頭石です。
これは何を意味しているのでしょうか。中城グスク裏門とその周辺の三の郭、北の郭は1440年頃に護佐丸が新たに築いたとされています。石積みのタイプも相方積みと比較的新しいタイプです。一方、グスク正門は護佐丸以前にすでに築かれていたと考えられ、石積みタイプも布積みで、護佐丸が築いた区画よりも古い積み方です。
ちなみに一の郭の門両脇と二の郭の石積みにある隅頭石は、1950年代に修復された際に新たに取り付けたもので、もともとの石積みには確認されていません(【こちら】にある下から2段目、右から2枚目の写真を参照)
つまり、中城グスクの隅頭石は15世紀中頃以前には存在せず、1440年代以降に登場した可能性が高いと言えるのです。ついでに14世紀頃のものとされる糸数グスクの石積みにも、コーナーに隅頭石はありません。
隅頭石の誕生に護佐丸が大きく関わっていた…かどうかはわかりませんが、中城グスクの事例から隅頭石の起源について迫ることができるのではないでしょうか。