具志川グスクに新遺構!
具志川グスクは沖縄本島最南端の喜屋武岬の近くにある、海岸に築かれたグスクです。断崖のきわに立つ城壁はまさに「海城」。保存状態もよく、2つの郭からなると考えられてきました。城郭イラストレーターの藤井尚夫氏によって復元画も描かれています(こちら参照)。イラストには、グスクの中央に基壇と階段が設けられ、その上には板ぶき屋根の立派な正殿が描かれています。
最近、この具志川グスクを訪れる機会がありましたが、発掘・整備が進み、新たな遺構が姿を現わしていました。グスク中央部分は次にような感じです(クリックで拡大)。
これまで基壇と考えられていた部分は、なんと階段付きの門になっていて、基壇ではなくもう一つ城壁があったことが遺構からわかります。
想定復元すると、次のようになります。
この部分の城壁は、外郭が自然石を積んだ野面積みに対し、丁寧な切石の布積みで積まれています。この区画が堅牢な防御をほどこした最重要エリアだったことがうかがえます。
さらに門の部分を見てみましょう。門の端には丸い石が置かれています。
これは門の柱を載せる礎石(そせき)でしょう。
さらに門を進み海側の郭に向かうと、今度は階段状の遺構が。
想定復元すると、このような感じです。
つまり、具志川グスクの郭は2つではなく、中央部が一段高くなった郭を合わせて3つだったことが判明します。中央部の郭は非常に狭く、正殿のような中心的な建物を建てるのは難しいでしょう。こちらは奥側の郭を守るスペースのような役割があって、正殿は一番奥にあったのではないでしょうか。
遺構は何段もの石垣が重なっているので、何度か改修・増築した様子がうかがえますが、さらに調査が進めば、遺物などから時期差も明らかになるでしょう。グスクはまだまだわからないことがたくさんあることを実感します。
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コメント
「グスク」の語源は「具足(グソク)」ではないかと考えますが、ここの具志川グスクからも武具が出るでしょうか。
投稿: 琉球松 | 2012年4月 7日 (土) 12:28
>琉球松さん
『海東諸国紀』には「グスク」の表記を「具足」の字にあてていますが、地図を描いたのが日本人で、耳で聞いた言葉を自分の知る言葉であてたようです。
具志川グスクの出土品はちょっとよくわかりません。これから報告書が出るはずですから、それを見れば何が出たかわかると思います。
投稿: とらひこ | 2012年4月 8日 (日) 20:03
上里さん、どうもです。
「具足」は、鎌倉時代にはすでに見える言葉のようで、「日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が 十分に備わっているとの言葉(Wikipedia)」とありますから、グスク時代の始まりや、徳之島のカムイ焼土器の広がりと重なる時期の名称では?と考えました。
意外に、大和ン人の正確な表記ではないかとも思えるんですよ。
古地図には「玉具足城・中具足城 」なんて、めんどくさい表記になってますね。なんか舌噛みそうで、なんとかならないでしょうか(笑)。
このグスクの調査報告も楽しみです。
投稿: 琉球松 | 2012年4月 9日 (月) 09:20
ここは沖縄でもっとも好きな場所です。喜屋武のロータリーからここまでの道のりを3回ほど堪能しました。シロウト目に建築放棄された遺跡みたいにおもっていましたがかなり立派な施設だったのですね。今後の発掘調査を楽しみにしています。
投稿: 震電 | 2012年4月10日 (火) 01:03
>琉球松さん
グスクの語源はいろいろ説があるようですが、まだ確定していないようです。玉城、中城ともに「グスク」名称が地名に転じた例ですが、地図を見ると15世紀にはすでにそのような呼称になっていたことがうかがえますね。
>震電さん
海岸の突端という場所が魅力ですよね。遺構は大部分が地中に埋まっていたみたいです。写真の石垣が白っぽい部分が埋まっていた部分です。
投稿: とらひこ | 2012年4月12日 (木) 19:01