ア・ランポーのヒミツ
琉球ではじめて王相(国相)となったのが亜蘭匏(あらんぽう)という人物です。彼は中山の察度王の使者として10回も明へ渡り、1394年には皇帝より正五品の位と「王相」に任命されました。初期の対明外交を支えたのが彼だったといえるでしょう。
この亜蘭匏という人物、出身地が不明で、いったい何人なのかがこれまで議論されてきました。中国人であるという説、亜蘭匏は「伊良波」の当て字で琉球人であるという説、「ウラファ」の当て字でアラブ人であるという説までありました。
「王相」という職は後に王茂や懐機が就任したように、中国人だけしか就いていないので中国人の可能性が高いのですが、中国で「亜」姓なんて見たことないから中国人じゃない!と考える人もいるかもしれません。
しかし、実は中国にわずかですが「亜」姓の人たちはちゃんといます。「亜」姓の中国人は現在、2000人ほどが安徽省渦陽県と遼寧省彰武県にいるそうです。彼らは一族ではなく、みな自分が誰の家系なのか、ルーツを知っているとのこと(こちら参照)。
「亜」姓が非常に少ないということは、亜蘭匏がいったいどこの出身なのかをたどる重要な手がかりになるといえます。現在の「亜」姓が亜蘭匏に直結するかどうかは即断できませんが、遼寧省は東北部で琉球から遠いので、安徽省が彼の出身だった可能性があるのではないでしょうか。
参考文献:田名真之「古琉球の久米村」(『新琉球史古琉球編』)
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