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2012年4月26日 (木)

NHKドラマ「テンペスト」第3回解説

NHKドラマ「テンペスト」、第3回の歴史解説です。以下をクリックすると、リンク先に飛びます。

【ネタバレ】テンペスト解説(4)

【ネタバレ】テンペスト解説(6)

テンペスト用語解説(3)

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2012年4月19日 (木)

NHKドラマ「テンペスト」第2回解説

NHKドラマ「テンペスト」、第2回の歴史解説です。以下をクリックすると、リンク先に飛びます。

【ネタバレ】テンペスト解説(3)

テンペスト用語解説(2)

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2012年4月12日 (木)

NHKドラマ「テンペスト」第1回解説

いよいよ待望の地上波で登場です、琉球王朝を舞台にした池上永一原作のNHKドラマ「テンペスト」!これから10回にわたり放送されます。

これまでの日本の時代劇とちがって琉球王国の歴史ドラマなので、視聴者のみなさんにはあまり馴染みがないシーンや用語などがたくさんあると思います。去年BSプレミアムで放送された際に、このブログで紹介したテンペスト解説をご参照ください。

第1回放送分の解説は以下です(クリックでリンク先に飛びます)。

第2回以降の解説をご覧になりたい方もいらっしゃると思いますが、ネタバレ注意です。

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2012年4月11日 (水)

歴史記事休止のお知らせ

ブログを開設したのが2005年の4月11日。今日で7年目に突入します。この間、ほぼ週1ペースで更新を続け、記事数は417件にも及びます。自分でもよく続けてこられたなと思います。開設した当初は、まさかブログが単行本化されるとは思いもよらず、素性を隠してコッソリやっていて、本名も明かすつもりはまったくありませんでした。

ブログを始めた2005年頃、僕は沖縄の歴史が専門的な研究が進んでいるにもかかわらず、一般にその成果が広まっていない状況をどうにかできないものかと考えていました。そこで当時、ブログというツールが出始めていたので、それを利用して沖縄の歴史を一般向けに噛みくだいて紹介しよう、と試みたのがこの「目からウロコの琉球・沖縄史」でした。

それまで、僕は専門の研究分野である「古琉球史の上里」が周りからの認識だったと思いますが、いつのまにかこのブログである「目からウロコ」が僕の代名詞みたいになってしまいました(笑)

あれから7年、当初設定した目的はひとまず達成されたと思います。また僕も専門分野だけしかやらない「タコツボ状態」に陥らず、広く沖縄の歴史を勉強し、理解するトレーニングにもなりました。

ここで、しばらく当ブログの歴史記事を休止することにしました。みなさんに沖縄の歴史を伝えるアウトプットも大事ですが、僕自身が勉強して、さらなる歴史の理解をするインプットの作業もまた大事かと思い、「琉球史虎の穴」で修行することにしました(笑)

歴史関連のイベント・ニュースなどは、これまで通りこのブログでお知らせしますので、しばらくこのブログは告知用として使いたいと思っています。

おそらく今回の歴史記事休止は1年ぐらいの長い期間になると思いますが、修行してまた帰ってきますので、そのときにはパワーアップした面白い記事をご紹介できれば。

これまでご愛読、どうもありがとうございました。

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ア・ランポーのヒミツ

琉球ではじめて王相(国相)となったのが亜蘭匏(あらんぽう)という人物です。彼は中山の察度王の使者として10回も明へ渡り、1394年には皇帝より正五品の位と「王相」に任命されました。初期の対明外交を支えたのが彼だったといえるでしょう。

この亜蘭匏という人物、出身地が不明で、いったい何人なのかがこれまで議論されてきました。中国人であるという説、亜蘭匏は「伊良波」の当て字で琉球人であるという説、「ウラファ」の当て字でアラブ人であるという説までありました。

「王相」という職は後に王茂や懐機が就任したように、中国人だけしか就いていないので中国人の可能性が高いのですが、中国で「亜」姓なんて見たことないから中国人じゃない!と考える人もいるかもしれません。

しかし、実は中国にわずかですが「亜」姓の人たちはちゃんといます。「亜」姓の中国人は現在、2000人ほどが安徽省渦陽県と遼寧省彰武県にいるそうです。彼らは一族ではなく、みな自分が誰の家系なのか、ルーツを知っているとのこと(こちら参照)。

「亜」姓が非常に少ないということは、亜蘭匏がいったいどこの出身なのかをたどる重要な手がかりになるといえます。現在の「亜」姓が亜蘭匏に直結するかどうかは即断できませんが、遼寧省は東北部で琉球から遠いので、安徽省が彼の出身だった可能性があるのではないでしょうか。

参考文献:田名真之「古琉球の久米村」(『新琉球史古琉球編』)

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2012年4月 7日 (土)

具志川グスクに新遺構!

Dsc01944

具志川グスクは沖縄本島最南端の喜屋武岬の近くにある、海岸に築かれたグスクです。断崖のきわに立つ城壁はまさに「海城」。保存状態もよく、2つの郭からなると考えられてきました。城郭イラストレーターの藤井尚夫氏によって復元画も描かれています(こちら参照)。イラストには、グスクの中央に基壇と階段が設けられ、その上には板ぶき屋根の立派な正殿が描かれています。

最近、この具志川グスクを訪れる機会がありましたが、発掘・整備が進み、新たな遺構が姿を現わしていました。グスク中央部分は次にような感じです(クリックで拡大)。

Dsc01955

これまで基壇と考えられていた部分は、なんと階段付きの門になっていて、基壇ではなくもう一つ城壁があったことが遺構からわかります。

想定復元すると、次のようになります。

Dsc019551

この部分の城壁は、外郭が自然石を積んだ野面積みに対し、丁寧な切石の布積みで積まれています。この区画が堅牢な防御をほどこした最重要エリアだったことがうかがえます。

さらに門の部分を見てみましょう。門の端には丸い石が置かれています。

Dsc019401

これは門の柱を載せる礎石(そせき)でしょう。

Dsc01941

さらに門を進み海側の郭に向かうと、今度は階段状の遺構が。

Dsc01947

想定復元すると、このような感じです。

Dsc019471

つまり、具志川グスクの郭は2つではなく、中央部が一段高くなった郭を合わせて3つだったことが判明します。中央部の郭は非常に狭く、正殿のような中心的な建物を建てるのは難しいでしょう。こちらは奥側の郭を守るスペースのような役割があって、正殿は一番奥にあったのではないでしょうか。

遺構は何段もの石垣が重なっているので、何度か改修・増築した様子がうかがえますが、さらに調査が進めば、遺物などから時期差も明らかになるでしょう。グスクはまだまだわからないことがたくさんあることを実感します。

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2012年4月 3日 (火)

絵本!『琉球という国があった』

怒涛の刊行第4弾!絵本の超大手、福音館書店から『たくさんのふしぎ 琉球という国があった』が出ます!

琉球の歴史を子供向けにわかりやすく解説した決定版!文章はワタクシ上里、写真は『琉球古道』でもご一緒した富山義則さん、そして!イラストはなんと歴史マンガの大御所、一ノ関圭先生です!!

一ノ関先生は非常に絵のうまいマンガ家として定評があります【こちら参照】。その方が古琉球の姿を再現しました。これは必見です!

この絵本は完成までに1年以上かかった労作です。一ノ関先生が徹底的にこだわって、細部まで描きあげた作品になっています。とくに那覇の市場の様子や貿易船のイラストは圧巻です。

お子さんだけでなく、沖縄の歴史を楽しく、簡単に知りたい大人にもピッタリです。ぜひご覧ください!なお雑誌なのでお早めに入手されないと売り切れてしまう恐れがありますので、ご注意を! 

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