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2012年3月 3日 (土)

超豪華!王様のディナー

沖縄にかつて存在した「琉球王国」。その頂点には国王が君臨していました。首里城にいた王様、普段はいったいどんなものを食べていたのでしょうか。

実は、最後の国王の尚泰王が日常的に食べていた料理の献立(朝・昼・晩の3食分)が今でも残されています。この献立は1872年(明治5)に書かれたもので、首里城の料理長の家に伝わった献立を筆写したもののようです(池宮正治「伝・尚泰王の御献立」)。では一例として、王様の夕食を紹介してみましょう。

◎貝柱、おろし合わせ、す海苔
◎むか子、花ぶし(カラスザンショウ?)の汁
◎香の物(守口大根、かくあい)
◎引き味噌、鰆(さわら)、甘露シイタケ、てがら蓮
◎鯒(こち)、ちくわ昆布
◎五目凍み豆腐
◎焼き物(生鮭の塩蒸し)
◎あわびの塩蒸し、タマゴ焼き、蒲焼き
◎茶碗蒸し
◎ご飯

さすが王様だけあって非常に豪華な朝食ですね。ただ意外なことに、現在知られている沖縄料理はこのメニューには見られません。実は王国時代は和食がけっこう食べられていて、料理人は薩摩(鹿児島県)へ料理修行に行ったりしています。このように王族や士族階級は、味くーたーな料理ではなく、あっさり・薄味のものを食べていたのです。

またこのメニューで注目されるのは、沖縄産ではない食材(生鮭など)がみられることです。献立は沖縄にある食材を考慮したものではなく、一種のマニュアルのようなものであったとされています。

ただ僕は、食材は完全に架空のものではなく、王さまが本当に食べた可能性もあるのではないかと考えています。その理由は、彼が琉球で一番えらい人間であること、そしてこの献立が記された時代が明治であることです。

実は幕末に開国した日本では、蒸気船によってアメリカ・ボストンの天然氷が運ばれ、食品冷蔵などに利用されていました。しかし非常に高価なため、明治4年(1871年)には函館の氷が商品化され、広く流通していました(『函館市史』)。つまり、蒸気船によって本土から沖縄へ生鮮食料品を冷蔵輸送することは可能だったのです。

そして王様は、琉球で一番良いものを食べることができる人物。最高級の食材をわざわざ本土から輸入して食べることも不可能ではありません。もちろんこれを裏づけるにはさらに調査が必要ですが、もしこれが本当だったら、王様はとてもゼイタクな食事をしていたということですね。

参考文献:池宮正治「伝・尚泰王の御献立」(『首里城研究』6号)、『函館市史』

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コメント

先日は沖縄での儒教の浸透についてご教示いただき、どうもありがとうございます。

上里さんがずっと以前の、2006年9月6日の記事で、王様の朝食についておっしゃったように、この記事も読んでる限り、王様の食事がほとんど純和風という感じに思います。
「す海苔」というのは、もずくでしょうか?そうだと、その中で、沖縄の食文化で代表的に思われるものは、それだけですね。

上里さんのブログを読ませて頂いて、ほかに、王朝時代の士族が、蕎麦粉による蕎麦を時々食べたことも知って、琉球王朝の王様や王族、士族の食生活が、むしろ今の沖縄料理より、本土の日本料理に近いものだったと知って、意外に思いました。

一方で、東道盆のお惣菜など、宮廷料理だったとされる惣菜には、ミヌダルや田芋の砂糖醤油で味付けた揚げ物、豆腐ようなど、今の沖縄でも沖縄料理として、代表的で一般的なものがあるように思えます。
上里さんは以前に首里城の行事でも日本料理が出されるのが一般的だったとおっしゃいましたが、それを考えると、現在では料亭で出されるような東道盆などの料理や豆腐ようは、それらは宮廷料理ながら、王府の内部や琉球の王様や王族、士族の間だけで、お祝いに食べるものというよりは、中国からの冊封使のもてなしのための、特殊なものや、久米村の人々に限られるものだったのでしょうか?

投稿: 大ドラ | 2012年3月 4日 (日) 16:04

ちくわ昆布がどんなものか気になる!

まあ、ごく普通にちくわと昆布の煮つけの可能性が高そうですがw

投稿: nagamati | 2012年3月 8日 (木) 19:50

>大ドラさん
「す海苔」はこの史料を紹介した池宮氏によると「水辺の海苔」とのことです。

東道盆は中国からの文化の影響でしょうね。祝いの席の料理は日本料理だけでなく、中国の影響を受けた今の沖縄料理もいちおう出されていますが、現在考える沖縄料理より和食系統の比重が大きかったのかなと思います。伝承されている王子の献立は琉球料理の様相が強かったです。

>nagamatiさん
この史料が残念なのは、メニューだけでレシピではないので、具体的にどのような料理なのかは想像するしかない点です。ただ当時の和食から類推することは可能だと思いますね。

投稿: とらひこ | 2012年3月13日 (火) 20:10

うーん残念。なんか昆布入り竹輪みたいなものだったりすると美味そうだったんですが。

それはともかく、メニュー上の生鮭塩蒸しも解明されると面白そうですね。冷蔵設備云々とは別の話で、自分が知る限り、鮭は塩引きなどの塩蔵品か干物以外での流通はほとんど聞いたことがありません。これは昭和30年代くらいまではどこでもそうだったはずです。
米国風の料理法と関係あったりしたんでしょうか?

投稿: nagamati | 2012年3月14日 (水) 21:13

またご教示いただき、どうもありがとうございます。

でも、琉球の王様も、日本内地の江戸幕府の将軍や、中国の皇帝、朝鮮の王様、太陽王ルイ14世などのフランスの王様と同じで、毒見のため、ホットミールでもアチコーコーのものは食べられなかったのではないかと思うんですけど…?

投稿: 大ドラ | 2012年3月16日 (金) 22:35

>nagamatiさん
献立は当時記されたものであることは確実ですから、生鮭を使用していたことは間違いないと思います。

琉球での調理法や食材については史料が少ないため(首里城の台所の役所の史料はありません)解明が難しいと思いますが、他の地域の同じ時代の料理などを比較参考にすると何かわかるかもしれませんね。

>大ドラさん
毒見は食前ではなく食後に女官たちがやったとの伝承が残っています。食後だとあまり意味がないような…

投稿: とらひこ | 2012年3月21日 (水) 15:49

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