山北?北山?
14世紀、沖縄の島が3つの勢力に分かれて争っていた時代のことを「三山時代」といいます。それぞれ北山、中山、南山という勢力でしたが、場合によっては北山と南山は「山北」「山南」と呼ばれる場合も見たことがあるかと思います。これはどっちが正しいのでしょうか。
リアルタイム史料に書かれているのは、一貫して山が先の「山北」「山南」です。これが正式名称。その意味は「山(島)の北、南」という意味です。八重山(のちに宮古島)を「大平山」、伊平屋島を「葉壁山」と呼んだことからもわかるでしょう。では、この山がどうして後ろにくっついて「北山」「南山」になったのでしょうか。
実は、これはいつの間にか変わったのではなく、はっきりと変えた人物がいます。近世琉球の大政治家といわれる蔡温です。彼は父が編集した歴史書『中山世譜』の改訂をおこなっていますが、そのなかで「山北」「山南」をひっくり返して「北山」「南山」に変えています。これはどうやら中山という表現に合わせたようです。表現を統一しようとしたわけですね。
それ以来、北山、中山、南山という三山の呼び方がくわわったようです。
参考文献:田名真之『クニンダ人物誌1 蔡氏』
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コメント
蔡温だったんですか!
∩゙ヽ(゚∀゚)へぇ~
なんとな~く、いつの間にか「北山」と「山北」が混在するようになったんだと思ってました。
まさに琉球史トリビアの瑞泉でした(笑)
投稿: 和々 | 2012年3月31日 (土) 06:46
「山北・山南」との表現は、少なくとも沖縄島を一つのテリトリーと見なしていた証拠?でしょうか。
この場合の「山」は中国語風でしょうけど、「ヤマ」は琉球方言でも国などを表しますね。
徳之島北部の「山(サン)」も、もともとは「ヤマ」と呼んでいた可能性があるそうです。
投稿: 琉球松 | 2012年3月31日 (土) 09:21
まあ中山にあわせたんでしょうけど、「琉球」と同じく山南・中山・山北も中国側からの呼称なんですか?
投稿: nagamati | 2012年3月31日 (土) 20:05
山北と北山どっちなのか?(山南・南山も)って琉球史に興味を持ちはじめたころから不思議だったんですが、こういうことだったんですね(o^-^o)
投稿: プニ | 2012年4月 2日 (月) 14:05
おはようございます。
気になってました。
理解できれば、何かスットしますね。
又、何かに結びついてゆけば楽しいです。
ありがとうございました。
投稿: クンバタ | 2012年4月 3日 (火) 08:29
>和々さん
僕もずっと同様に考えてました(笑)
>琉球松さん
中国は沖縄を当初から「琉球」というくくりでとらえていました。徳之島に「山」という地名があったんですね。初耳です。
>nagamatiさん
おっしゃる通りです。そうではありますが、琉球側は中国側の認識を受け入れ、自己の「クニのかたち」の認識を作っていったようです。
>プニさん
意外とこういうことって「なんとなく」で理解されていますよね。
>クンバタさん
どういたしまして。バラバラに存在していた認識が何かのきっかけで一つになるのって、面白いですよね。
投稿: とらひこ | 2012年4月 8日 (日) 19:59