食べたら出す。これは自然の摂理です。前回の王様のディナーの話の続きです。
首里城には、その生活の跡がしっかりと残されています。王様が住んでいた場所は正殿の裏にある御内原(おうちばる、うーちばら)という場所。いわば大奥です。ここには王様や王妃様、そしてその世話をする女官たちが暮らしていました。
実はこの御内原にある淑順門という通用門の裏から、最近の調査で地下から奇妙な遺構が見つかりました。円形の石組みの井戸のようなかたちなのですが、中に詰まっていた土がおかしいのです。しまりのない腐葉土のような黒い色の土で、その土にはたくさんの動物の骨がふくまれていました。さらにこの土は上から何度もかき出したような跡も確認されました。つまり内部にたまったモノを何度も外に捨てていたのです。水がたまっていた様子はなく、これは井戸ではなくゴミ捨て場ではないかとの結論に達しました。
そして内部の土をさらにくわしく分析したところ、なんと、化石化した人のウンコ(糞石といいます)が発見されました。つまりここは・・・ウンコ捨て場だったのです!しかもここは王さまの住まい。もしかしたらあの化石化した「モノ」は、王様の「やんごとなき落し物」の可能性もあります。少なくとも御内原に住んでいる人間、王様とその家族、女官たちのいずれかのモノであることはまちがいないでしょう。
首里城から出土したウンコの模写が次の画像です(クリックで拡大)

このウンコがたっぷり詰まった穴はトイレそのものではなく、どうやら「おまる」で排泄したモノを捨てる場所だったようです。意外なことに首里城にはトイレらしきトイレが見つかっていません。史料には「糞箱」や「小便筒」などが登場しますから、それで用を足していたようです。
実はウンコがきちんと「完全形」で残っている例は珍しく、分析をすれば何を食べていたのか、健康状態なども知ることができる貴重なモノです。発見場所は石組みで密閉され、さらに上からは粘土がフタの役割をはたしていたので、よい状態で残っていたのです。ちなみにウンコの解析の結果、回虫や鞭虫などの寄生虫の卵がたくさん見つかりました。当時は衛生状態も今ほど良くなかったのでしょうがないですね。
そのほか、土からはイヌやシカ、ネズミ、ニワトリやカモ、ヘビの骨、貝殻も見つかっています。とくにイヌやシカの骨には刃物の傷が残っていて、食べるために解体していたこともわかりました。王様の好物はイヌだった!?どのように食べていたかは謎ですが、シカに関しては中国の冊封使の接待料理のメニューにも見えているので、おそらく王様も食べたことでしょう。
使われていた時代もだいたい判明しています。17世紀前半、つまり尚寧王の頃から、1709年に首里城が焼けてこの穴が廃棄されるまでの期間だろうとみられています。それにしても、まさか王様も数百年後に自分たちのウンコを見られるなんて、想像もしていなかったでしょうね(笑)
参考文献:仲座久宜「シーリ遺構から見る御内原のくらし」(『紀要沖縄埋文研究』6号)
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