あるはずのない王冠
琉球国王は中国皇帝から冊封(任命)されていたことはよく知られている事実です。明代には皇帝から皮弁冠(ひべんかん)や皮弁服(ひべんふく)など衣装一式を与えられ、儀式の際に着用していました。
皮弁冠服はよく知られているのですが、古琉球時代の1545年に朝鮮よりの漂着民はこう証言しています。
「王は紅錦の衣を着て、平天冠をかぶり、一人の僧侶と対面して紫禁城遥拝の儀礼を行っている」(『朝鮮明宗実録』)
ここで注目されるのは、国王が「平天冠(へいてんかん)」をかぶっているという証言です。琉球国王には皮弁冠や烏紗帽(うしゃぼう)は与えられましたが、平天冠が与えられたとの記録はありません。つまり、琉球で勝手に自作しているということが言えるのです。
残された国王の肖像画にも平天冠を着用したものはありません。平天冠をかぶる琉球の王は想像がつきませんが、現在のわれわれが知る以上に、琉球の服飾はバリエーションがあったようです。
参考文献:豊見山和行『琉球王国の外交と王権』
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コメント
はじめまして。今年の元日にはじめて首里城に登城し、その絢爛たる様式美に魅了された者です。
調べてみると平天冠とはどうやら冕冠の異称のようです。
冕冠とは、上部に板を置き前後に玉飾りを垂らした、漢民族最高の礼装に用いられるものです。
琉球王が冕冠を戴いていたとすると、王府の礼制もより本格的なものだったのでしょう(久米官人の活躍によるものでしょうか?)
対する皮弁冠は略礼装ですから、それを下賜されていた琉球王は明王朝から軽視されていたのではないかと今まで考えていました。
しかし、考えてみれば、朝貢国であった日本、朝鮮、ベトナム等も君主は皆、独自に冕冠を作製したと思われますので(各国それぞれデザインが中国のものとは異なる為)、朝貢とは略装のみを回賜する決まりであったのかもしれません。
明宗は明朝嘉靖年代の朝鮮王ですので、記述にある冠は前後に七条の旒(玉飾り)をあしらった明の制度に適ったものであったのでしょう。
冕冠を戴いた国王による朝拝御規式・・・
さぞや美しい光景だったことでしょう。
投稿: s-_-s | 2012年2月15日 (水) 20:56
>s-_-sさん
ご教示ありがとうございます。
冕冠についてはこれ以外に確認していませんので、詳細はどのようになってるのか不明です。アジア諸国との比較をするとまた何かわかるかもしれませんね。
投稿: とらひこ | 2012年2月19日 (日) 15:28