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2012年1月21日 (土)

鄭成功に襲われる!(3)

情勢が一変して清が勝利し、三藩側の靖南王を支援していた琉球は窮地に追い込まれましたが、臨機応変にどうにか危機を乗り越えました。どうしてこんなにすばやく対応することができたのでしょうか。

実は琉球は中国への渡航前、二つの文書をあらかじめ準備していました。一つは靖南王へ硫黄を支援する旨を伝える文書、もう一つは清に対してご機嫌をうかがう文書です。琉球は中国情勢が不安定なことから、あらかじめ両陣営へあてた文書を用意し、状況次第でどちらにも対応可能なようにしていたのです。

この2通の文書を用意することについて、対中国外交のブレーンでもある久米村のトップから異論が出されましたが、国王はこの意見を退けて清と靖南王あての文書を準備することを決定しました。結果的に、これが功を奏したのです。

また万が一、硫黄の供出が清にバレた場合でも、供出する硫黄の量を極力少なくしておき、後で「琉球は小国ですから靖南王の圧力に抵抗できず、やむなく出しました。でも最低限しか渡しませんでしたよ」と言い訳できるようにしておいたのです。これらの対応は薩摩側とも綿密に打ち合わせて決められたものでした。このように琉球はいくつもの対応策を講じていたのです。

実はそれ以前にも、中国へ向かう琉球使節は「空道(こうどう)」と呼ばれる国王の印鑑だけが押された白紙を持参していて、中国情勢の変化に合わせて内容を書き換えられるようにしていました。

このような琉球の外交術を「卑怯な二枚舌外交だ」と言うのは簡単です。しかし「外交とは武器を持たない戦争」とも言われるように、軍事力や経済力では他国に勝てない琉球が、自らの国の生き残りを賭けてあらゆる知恵と方策を駆使し、実際に大国と渡り合っていた事実は、評価されるべきではないかと思います。

もしかしたら琉球の「外交力」は、今の日本の外交にとっても学ぶべき点がいくつかあるのかもしれませんね。

参考文献:真栄平房昭「近世琉球の対中国外交」(『地方史研究』197号)

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コメント

面白いエピソード、ご教示有難うございます。sun

火薬の原料の硝石は、戦国期の海外貿易の主要産物として聞いていましたが、硫黄も貴重品で入手困難とは知りませんでした。
中国はインドから良質の硝石を輸入していると聞きましたが、自国では手に入らなかったのでしょうか。sign02


手紙の書き換えというと、対馬の宗氏が李朝との秀吉の国書を書き換え、改竄、朱印の偽造していたことは有名ですが面白いですね

戦国武将は、手紙を奪い取られることを警戒して、家臣に口伝で重要事項は相手方に伝えたようで、残された手紙には肝心なことは書かれていないことが多いのですが、文化の違いでしょうか。coldsweats02

投稿: Sam Bockarie | 2012年1月21日 (土) 08:21

 なんか、社印だけが押された領収書を、現場の営業マンが持ち歩いているような感じですね。

 判断を任された現場のプレッシャーはあるでしょうけど、けっこうフレキシブルでスムーズな取引が可能かも。。。

投稿: 琉球松 | 2012年1月21日 (土) 12:20

清宛てと靖南王宛ての2枚の文書を用意しただけでなくて、硫黄も最小限しか供出しなかったのは、本当に用意周到ですね。
靖南王に最小限の硫黄を供出した件の弁明では、自分の国が被害者である立場を主張することで、有利に計らう点で、、オーストリアが第二次大戦後、ナチスドイツに併合された被害者だということを主張して、米英仏ソに占領されながらも、ドイツのように2つに分かれなかったどころか、永世中立国となったところと似てる気がします。

文書を王様の印以外ほとんど白紙にして、担当者がその場に応じて文書を作成してしまう臨機応変さは、面白いと思いました。
外交に臨機応変さが大いに求められるので、単に知識を問うだけでなく、現実にありうる事例に即した応用力が問われる論文試験による、大変難しい官僚任用試験の科試が必要なんですね…
今の日本の外交官試験やほかの公務員試験も、そういうことを問うような試験にする必要があるのかも…、と思えますね。

投稿: 大ドラ | 2012年1月24日 (火) 20:55

>Sam Bockarieさん
靖南王が硫黄を求めたのは、琉球が硫黄の産地であること、戦争による物資を緊急に調達する必要に迫られてのことだと思います。

中国は「文書の国」ですから、そこは戦国日本と違うのでしょうね。

>琉球松さん
まさに例えの通りだと思います。こうした臨機応変な対応を、かつてのウチナーンチュは得意としていたようですね。

>大ドラさん
オーストリアもそうですが、大国に挟まれた小国の生き方は似てくるように思います。世界史のなかでの「小国の歴史」をまとめてみると面白いかもしれませんね。

実戦力においては当時の琉球は東アジア屈指だったと思います。そうしなければ、国が滅びてしまいますからね。

投稿: とらひこ | 2012年1月30日 (月) 21:09

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