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2012年1月28日 (土)

テンペストついに地上波に!

大ヒットの琉球王朝ドラマ「テンペスト」ですが、お待たせしました!ついに地上波で放送決定です!

放送は4月12日(木)午後10時よりNHK総合にてスタート!

そして本日1月28日(土)より「劇場版テンペスト3D」が全国の映画館で公開です!先行して上映された沖縄の3館では公開2日で2000人超を動員!超絶ヒットの予感です…

映画を見てから、ドラマを視聴するのもいいかと思います。ぜひぜひご覧ください!

なお、原作者である池上永一さんのインタビューもありますので、【こちら】もどうぞ。

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2012年1月21日 (土)

鄭成功に襲われる!(3)

情勢が一変して清が勝利し、三藩側の靖南王を支援していた琉球は窮地に追い込まれましたが、臨機応変にどうにか危機を乗り越えました。どうしてこんなにすばやく対応することができたのでしょうか。

実は琉球は中国への渡航前、二つの文書をあらかじめ準備していました。一つは靖南王へ硫黄を支援する旨を伝える文書、もう一つは清に対してご機嫌をうかがう文書です。琉球は中国情勢が不安定なことから、あらかじめ両陣営へあてた文書を用意し、状況次第でどちらにも対応可能なようにしていたのです。

この2通の文書を用意することについて、対中国外交のブレーンでもある久米村のトップから異論が出されましたが、国王はこの意見を退けて清と靖南王あての文書を準備することを決定しました。結果的に、これが功を奏したのです。

また万が一、硫黄の供出が清にバレた場合でも、供出する硫黄の量を極力少なくしておき、後で「琉球は小国ですから靖南王の圧力に抵抗できず、やむなく出しました。でも最低限しか渡しませんでしたよ」と言い訳できるようにしておいたのです。これらの対応は薩摩側とも綿密に打ち合わせて決められたものでした。このように琉球はいくつもの対応策を講じていたのです。

実はそれ以前にも、中国へ向かう琉球使節は「空道(こうどう)」と呼ばれる国王の印鑑だけが押された白紙を持参していて、中国情勢の変化に合わせて内容を書き換えられるようにしていました。

このような琉球の外交術を「卑怯な二枚舌外交だ」と言うのは簡単です。しかし「外交とは武器を持たない戦争」とも言われるように、軍事力や経済力では他国に勝てない琉球が、自らの国の生き残りを賭けてあらゆる知恵と方策を駆使し、実際に大国と渡り合っていた事実は、評価されるべきではないかと思います。

もしかしたら琉球の「外交力」は、今の日本の外交にとっても学ぶべき点がいくつかあるのかもしれませんね。

参考文献:真栄平房昭「近世琉球の対中国外交」(『地方史研究』197号)

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2012年1月14日 (土)

鄭成功に襲われる!(2)

薩摩を通じて鄭氏の襲撃をやめさせようと試みた琉球でしたが、その後も襲撃は続いたようです。1670年、鄭成功の子、鄭経による攻撃で琉球船が被害に遭ってしまいます。

これを知った薩摩藩は、幕府へこの事件を報告します。幕府は鄭氏の海賊行為を確認すべく、長崎に入港した鄭氏勢力の貿易船に調査を実施、鄭氏側が琉球船を襲撃した事実を認めました。そこで幕府は制裁として長崎奉行が鄭氏船から賠償金を取り立て、被害相当額を琉球へ支払ったのです。

幕府は琉球を「付属の国」として、オランダへも琉球への海賊行為の禁止を通達しています。琉球は薩摩藩の支配下に入りましたが、一方で日本の安全保障の傘の下に入ることにもなったのです。琉球は貿易活動を円滑に進めることが国家運営のために大事なことでしたから、利用できるものは何でも利用したといえるでしょう。

琉球は、その後も苦難が続きます。1673年、清に従っていた呉三桂らが反旗をひるがえし、再び中国が動乱となったのです(三藩の乱)。福建の靖南王も呉三桂に乗じて挙兵、福建は反乱軍の手に落ちます。福建を窓口にしていた琉球はモロにその影響を受けることに。当時の情報では三藩側が優勢と琉球に伝わっていました。

1676年、靖南王は琉球に火薬の原料となる硫黄の供出を求め、琉球はそれに応じ、硫黄を積載した靖南王と琉球の船が福建へ向かいます。琉球は三藩が優勢とみるや、清をあっさりと裏切って、靖南王支援にまわったのです。前回紹介した、あの「再び大明の世になれば…」という羽地朝秀のコメントが思い浮かびます。

ところが!中国情勢は清側が反撃に転じていて、靖南王は降伏。翌1677年に福建に到着した靖南王の使者は、靖南王の降伏を知ってただちに琉球から渡された靖南王あての手紙と硫黄を捨て、清側には「琉球はわれわれの支援要請に応じませんでしたよ」とウソの供述をします。

同じく福建へ来た琉球は、清に「乱が収まったのでご機嫌うかがいに来ました」とこれまたウソの報告。いぶかしがる清に「われわれは大清の恩を受けております。どーして靖南王に硫黄なんかを援助するでしょうか。支援要請は来ましたけど、ちゃんと拒否しましたよ。われわれは恩を感じてるからこそ、今回ご機嫌うかがいに来たんですよ!?」とシレーっと答えます。いちおう、琉球の弁解は靖南王側の供述とも一致したので、清は琉球を信じて、ギリギリのところで裏切りはバレずに何とかやりすごしたのです。

(つづく)

参考文献:木村直樹「異国船紛争の処理と幕藩制国家」(藤田覚編『十七世紀の日本と東アジア』)、紙屋敦之『幕藩制国家の琉球支配』

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2012年1月 6日 (金)

最終話!ハルサーエイカー

大人気の沖縄特撮ドラマ「ハルサーエイカー」、ついに最終話です!

ラスボスの「祖」がいる古宇高島(こうだかじま)に向かったアイとカマー。最終対決の時が迫ります!

ハルサーエイカーの視聴率も朝10時の番組で13.9パーセントと大好評!その人気ぶりがうかがえます。これで最終回なのは残念ですが、ラストも期待しましょう。

放送は1月7日(土)沖縄テレビにて朝10時より開始です!

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