イスラムが流行らなかったワケ
交易国家だった琉球は東南アジアのイスラム諸国とも交流がありましたが、なぜか琉球でイスラム教が普及することはありませんでした(こちら参照)。
なぜ琉球の人々はイスラム教を受け入れなかったのか。唯一アラーの神を信じる一神教が沖縄の宗教世界になじまなかったのかとも考えましたが、真相はもっと単純だったのではないかと思いつきました。
イスラム教の教義には、ブタは不浄な生き物として絶対食べてはいけないというものがあります。沖縄の人々はこれがダメだったのではないでしょうか。沖縄に肉食をタブーとする文化はありません。ブタをさかんに食べるようになるのは近世に入ってからですが、それ以前ももちろん食べていますから、「あんなにおいしいブタ肉を食べたらダメだなんて、ならイスラム教信じない!」と思ったのかもしれません。
真相は不明ですが、当時の琉球人の立場に立って考えてみると、この推測も意外と的外れではないのではないかと思ってしまいます(笑)
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コメント
豚肉食べれなくなるのは有り得ないですよね(笑)
あと、琉球は民族として全体主義なのもイスラム教が入って来なかった理由の一つじゃないでしょうか?
イスラム教の教義を読むと、個人主義の民族の為の宗教と感じますので。
自然環境の厳しい中東とは違って、琉球は自然が豊かと言うのも理由の一つかもしれません。
乾燥してる中東と違って、女の方一人でも食べるのはなんとかなりそうですからね。
投稿: まりきん | 2011年12月 7日 (水) 08:44
また質問に答えて頂き、どうもありがとうございます。
中国ではイスラム教がいくらか浸透したのに、沖縄(琉球)に限らず、今の日本の範囲ではイスラム教が浸透しなかったですし、韓国(朝鮮)でもイスラム教は浸透していないのはどうしてかと、私も思っています。
日本内地(ヤマト)も、近世以前では、江戸時代の初めまでは東南アジアとの交流がかなりあったはずなんですが…。
沖縄と韓国では豚肉が好まれることが、一つの理由かと私も思う一方で、日本内地では幕末まで、古くから豚肉の食用が普及していた薩摩以外、鯨以外の獣肉を食べるのが望ましくないとされたことを考えると、あくまでもこれは、僕の素人の考えですが、琉球(沖縄)でも、日本内地でも、韓国でも、豚肉と同じくイスラム教でタブーとされるお酒を重視する文化のためかな、とも思えますね。
上里さんが以前に、仏教では不飲酒戒があるのに、昔の琉球ではお寺で仏様にお酒を供えたと、このブログでおっしゃってましたが、仏教の本来のあり方から外れる、お寺でのお酒について言うと、日本内地では中世にお寺での酒造りが盛んだったことがありますし、清酒の発祥は奈良の正暦寺との説もあります。
これらのことは、琉球でもヤマトでもお酒が重視される文化があることの表れのような気もしますね。
余談ですが、私は日本酒も泡盛も大好きです(笑)。
長文になり過ぎて、申し訳ありません。
投稿: 大ドラ | 2011年12月 7日 (水) 20:39
元コンディショングリーンのカッチャンが、「沖縄ン人は美味しいものしか食べない」みたいな事を言ていたのを思い出しますね。
イスラム教に接した琉球人達は、取りあえずこの教えを食べてみたと思いますけど、まずかったんでしょうね(笑)。
あれもダメ、これもダメっていう戒律の窮屈さでしょうか。
ただ、琉球音階のベースはイスラム教から頂いたのかも(ヒンドゥウ教かもしれませんが)。。。
投稿: 琉球松 | 2011年12月 8日 (木) 00:00
まあ中国のイスラム教徒もそうですが、まずイスラム商人が住み着くかどうかってのが前提ですよね。
日本・沖縄側の都合よりも、相手が来てくれるかどうかという。
それよりも切支丹はどうだったのか気になります。
南蛮船の寄港も含めて、琉球はどういう扱いだったんでしょうか?
投稿: nagamati | 2011年12月 8日 (木) 19:56
上里さんへ
琉球人がイスラム教に対して最も違和感を持ったのは、女性の霊力の無さじゃないでしょうか。
政治経済はいいとしても、もうほとんど常識外ですね?
オナリ神としての「ヲトチトノモイカネ」を神女達が賛美することで、そのエケリ「尚真」こそ国王に相応しいとの神託を尚宜威は即座に理解したはずで。。。こういう信仰圏では、イスラム教が入り込む余地はないと考えますがどうでしょうか。
それに比べ、観音様やアマテラス、天妃、あるいはマリア様は許容範囲でしょうから習合可能なんでしょう。
まあしかし、古酒もラフティーもダメじゃあ、琉球人に生まれた意味がないですよ(笑)。
投稿: 琉球松 | 2011年12月 9日 (金) 10:05
nagamatiさんのおっしゃった、イスラム教の浸透では、他国からやってきたムスリムが定住したかどうかが大きいのではないかというのは、僕もそういうことがあるのではないかと思います。
琉球と日本内地、韓国とは違って、東南アジアでも中国でもある程度イスラム教が浸透したのは、商人など(元代の中国では官僚も)のムスリムが定住したことが大きいかもしれません。鄭和も本人がムスリムだっただけでなく、先祖が元代に中国へ来て住み着いた色目人の官僚でしたよね。
一方で、前に、他の方が述べられ、僕も述べたように、食べ物などの好みもあるのかなとは思いますね。
琉球松さんがおっしゃったように、琉球については、女性の宗教的重要性が大きい事情があるような気もしますね。
そういえば、沖縄でも日本内地でも韓国でも、同じ一神教のキリスト教は今、ある程度定着してますよね。
コーランは聖書にある程度基づいて作られたものですが…。
投稿: 大ドラ | 2011年12月 9日 (金) 21:03
イスラム教でもキリストは聖人で、キリスト教でもアラーは聖人ですよね確か。
宗教でも人間の業は乗り越えきれないんですね(涙)
冷戦後テロは絶えないし。
投稿: まりきん | 2011年12月10日 (土) 09:38
まりきんさんへ
アッラー(アラー)というのは聖人じゃなくて、アラビア語などで、イスラムやキリスト教、ユダヤ教の、たった一人だけの神様(唯一神、ヤハウェ、エホバ)のことを指す言葉ですよ。
でも、イスラムでは、ムハンマドのほか、イエスも聖人の一人だし、預言者の一人らしいですね。
余談ですが、私は内地の人間ながら、豚肉とお酒のない生活は考えにくいですね(笑)。
丹波篠山のデカンショ節では、「お神酒あがらぬ神はなし」とありますね。
投稿: 大ドラ | 2011年12月11日 (日) 12:38
異邦人の来訪話ついでに皆さんに質問を
「平家の落人」伝説は宮古・八重山まであるそうですが、これは為朝伝説と関係ありですか?
それとも薩摩侵攻以降に日本文学が広まったからでしょうか。
投稿: nagamati | 2011年12月11日 (日) 20:40
>まりきんさん
イスラム教は中東だけではなく、東南アジアでも受容されているので、琉球でもありえなくはないと思うのですが、受け入れられなかったんですよね。とくに東南アジアではイスラム商人との貿易のために国教にした側面もありますので、琉球国王がやってもおかしくはないんです。
>大ドラさん
そうですね、琉球だけでなく東アジアで受容されなかったという事実からも考える必要がありそうですね。
お酒についての戒律もたしかにハードルになったかなと思います。まあ仏教の例のように、受け入れても守られなかった可能性が高いですが(笑)
>琉球松さん
たしかに琉球の信仰の中核は女性の霊力といえますから、イスラム教とはマッチしなかったというのも原因かもしれません。対して観音や天妃をはじめとした琉球の外来宗教はほぼすべて女性が何らかの形で関わっていますから。
>nagatamiさん
キリスト教は薩摩支配後に江戸幕府のキリシタン禁制が琉球にも適用されたため、実態はよくわかっていませんが、フィリピンから宣教師が琉球に滞在していた事実がありますし、ポルトガル船も来航しています。また那覇港の発掘調査からキリスト教徒の持つコンタツの一部らしきものが発見されています。禁制前は港町あたりである程度普及していた形跡があります。
平家の落人伝説は網羅的に調べていないのでよくわかりませんが、実際に鎌倉時代、阿多(平)忠景が奄美の「キカイガシマ」に逃走したとの記録もありますから、ある程度の状況が反映されていたのかもしれません。
為朝伝説は古琉球の時代にもヤマトから渡来する禅僧などの間で広まっていたようですが、琉球一般に普及するまでにはいたっていなかったようです。これらの話をもとに、薩摩は琉球侵攻を正当化するために為朝伝説を持ち出した経緯があります。
投稿: とらひこ | 2011年12月13日 (火) 11:22
毎度ありがとうございます。
為朝伝説はともかく、落人伝承は民間で広まっていたわけですから、薩摩の影響抜きでもその素地があったと考えてもいいのかな・・・
もっとも平曲の伝播を考えれば、薩摩琵琶と薩摩の関係は大きそうですね。
投稿: nagamati | 2011年12月14日 (水) 20:51
>nagamatiさん
琉球にはヤマトから民間人たちが多数来航していますから、人そのものが来た事実にくわえ、いろいろな伝承、説話なども持ち込んでいてもおかしくはないですね。
投稿: とらひこ | 2011年12月17日 (土) 22:19