泰期の中国はじめて旅行
1372年、琉球は中国(明朝)の求めに応じて初めて公式の使者を中国に遣わしました。それが中山王・察度の弟、泰期(たいき)です。小さい沖縄の島から広大な大陸に渡った泰期ら一行は、おそらくド肝を抜かれたはずです。
神歌(オモロ)を集めた『おもろさうし』には、その様子をうかがえるようなオモロがあります。
一、宇座の泰期思いや
波出ぢへ
殿見ちへ 来よもん
又、意地気泰期思いや(宇座の泰期思いが、海を渡って、〔外国の〕立派な建物を見て、帰ってきたのだ。すぐれて立派な泰期思いが)
※『おもろさうし』第十五
当時の寄港地は福建省の泉州。ここは、かのマルコ・ポーロが「世界最大の港」と称した国際都市。その建物をキョロキョロと興味深そうに見回しながら歩く泰期と、その様子を帰国後、周りに興奮気味に語る彼が想像できますね。
琉球使節が滞在した琉球館(来遠駅)はすでにその痕跡はなく、現在は石碑が立っているだけです。
泰期らが通ったはずの、泉州城の南門(徳済門)の跡が現在でも残っています。琉球館はこの城壁のすぐ外、外国人居住区に位置していました。