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2011年9月11日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(12)

ドラマ第9回「決別」。残すところわずかとなりましたね。ペリーが去った後の琉球は安泰というわけにはいきませんでした。開国した日本のなかで、薩摩藩もまた大きく生まれ変わろうとしていました。藩主斉彬の密命を受けた浅倉雅博は王府内で薩摩派を結集させます。真鶴との二重生活を送る孫寧温でしたが、ついに尚泰王の子を宿し、物語は怒涛の展開で最終回へと向かいます。

さて今回もマニアックな歴史解説。ドラマに秘められた裏話を紹介します。

ポイント1:フランス軍艦の購入について

薩摩藩主・島津斉彬の密命によって、琉球を隠れみのにしたフランス軍艦の購入が浅倉より命じられましたが、これも史実がもとになっています。

実際に斉彬は琉球を利用した富国強兵策に乗り出していました。腹心の市来四郎を琉球へ派遣し、またオランダと密かに協議して奄美大島と沖縄の運天港を開港することを内諾させていました。

また斉彬は市来を通じて王府に対し、(1)ヨーロッパへ琉球人留学生を派遣すること、(2)中国福建の琉球館へ薩摩商人を送り貿易させること、(3)奄美大島・運天港でオランダ・フランスと通商を開くこと、(4)蒸気船と最新鋭の武器をフランスから購入すること、などの密命を下しました。つまり浅倉は市来の役をドラマのなかで果たしていたわけですね。

あわせて目的達成の障害になる守旧派の座喜味親方(この人物はドラマの同名の三司官とは別人です)を更迭、親薩摩派の翁長親方を三司官に、牧志(当時は大湾)朝忠を表十五人衆に抜てきするよう強硬に迫り、これを認めさせました。

1858年、牧志は市来とともにフランス軍艦と武器購入に奔走し、ついにフランス側と合意、契約書もかわします。しかし斉彬が急死して計画は中止。さらに抑えつけられていた守旧派が巻き返し、親薩摩派は失脚し、親薩摩派は贈賄などの罪を着せられて投獄。牧志朝忠も解任され拷問のすえに流刑の判決を受けます。まあ今でいう「国策捜査」のようなものでしょうか。

琉球は中国との関係を従来通り守ろうとする守旧派が再び実権をにぎり、明治12年の琉球処分(王国滅亡)を迎えることになります。歴史に「もし」は禁物ですが、斉彬がもう少し長生きしていれば、琉球はあるいはちがった未来があったかもしれません。

ポイント2:朝薫が左遷された役職は?

王府内の薩摩派の画策により表十五人衆から降格された喜舎場朝薫でしたが、ポストとしてあてがわれたのは「首里三平等総与頭(しゅりみひら・そうくみがしら)」でした。

総与頭は総与方(そうくみほう)という役所のトップですが、この組織は消防を担当する部署でした。通常は表十五人の吟味役などが兼任していました。首里三平等(みひら)とは首里の3つの行政区画で、真和志(まわし)の平等、西の平等、南風(はえ)の平等からなります。

部署専用の建物はなく、総与頭の邸宅をそのまま役所にしており、火事が起きた時のほか、盗難などの事故防止にもつとめたそうです。

ポイント3:琉球の消防組織

琉球の消防組織は、前述のように「総与方」という部署が担当していました。火事が発生した際には、総与方がドラを鳴らして付近の住民を動員し、総与方の指揮のもと消火活動にあたりました。

その方法は住民が桶などを持ち寄って水をかけて鎮火したり、類焼を防ぐために家を壊したり、芭蕉の茎で火の粉を叩いたり、また救火水龍(きゅうかすいりゅう)という消火ポンプを使うものでした。全住民が活動に当たらないといけないので、野次馬は許されません。不参加者は罰せられました。

津波古が起こした火事には、総与方が出動したわけですね。ただし朝薫の担当区域は首里なので、那覇の総与方とはまた別になります。

ポイント4:孫寧温の就いていた日帳主取とは?

フランスとの交渉を拒否したため更迭された寧温の「日帳主取(ひちょうぬしどり)」ですが、この職は表十五人衆のなかの「鎖之側(さすのそば)」の次官で、外交や教育、また那覇の行政などに当たりました。今でいうと外務省や文科省などの事務次官に相当するでしょうか。史実で牧志朝忠が就いたのもこの職です。

ドラマの中では後任に儀間親雲上(ペーチン)が就きましたが、彼が外交担当としてフランス軍艦購入に当たったという設定になっています。

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コメント

ご無沙汰しております!
いよいよ次週は最終回ですねぇ~寂しい…
ドラマはドラマとして楽しんで視聴しています。
毎回、放映後にこのブログを読んで、もう一度観る!
という2度おいしい楽しみ方もしています!
さて、個人的に楽しみにしていた「暗シン御門」のシーン。
げらゐの間が明るすぎてずっこけてしまいました(笑)
またドラマのロケ地で気になっているのが、
三重城のシーンです。
あのロケ場所は何処ですか?とても綺麗な場所なので行ってみたいです!

ところで話は変わり、
今回ベネチア映画祭で新人俳優賞を受賞した役者さんが、
思戸と尚泰王を演じてるかたですね。
何だか嬉しい気持ちになります。
それでは、また

投稿: かわた | 2011年9月12日 (月) 14:14

>かわたさん
毎回のじっくりの視聴、ありがとうございます!
こまか~いところまでチェックして楽しんでください。

三重城のロケ地は、恩納村の真栄田岬の近辺です。
駐車場から海側に向けて遊歩道をたどっていくとあります。

あのロケ地を探し回ったのが去年の12月でした。
演出の吉村さんや美術の川口先生、そして高良先生たちと一緒に行きました。風が強くめちゃくちゃ寒かったですが(笑)

思戸と尚泰王の受賞はタイムリーでしたね。
演技派の俳優さんがテンペストに参加しててよかったです!

投稿: とらひこ | 2011年9月14日 (水) 16:34

「琉球は中国との関係を従来通り守ろうとする守旧派が再び実権をにぎり」

すでにエゲレスに負けているのに、それでも、清国がいいという意識はそう簡単には変えられないものなのですね。。。今の台湾の考え方とはだいぶ違いますね。江戸上りのさい、日本人には琉球の文化は大人気で、琉球も、畳や舞扇の他、戦国武将の武具と、昔から日本文化を輸入していたわけですが…やはり日本は侵略した国ですから、好意的にはなれないですよね。

第一話の、冊封歓迎の宴で、楽童子がゼイを使った舞踊を披露していますが、あれは何という舞踊なのでしょうか。フルでみたくて動画を探しましたが見つけられませんでし
た。宜しくお願いします。

投稿: ちょちょ | 2011年9月16日 (金) 11:00

畳は本土より沖縄が先かもしれないという話があります。

平安時代や鎌倉時代の畳やムシロの材料が沖縄のビーグで出来てたと聞いたことがあります。

あと、おでんも琉球由来かも知れないと、15年前に名古屋に出稼ぎに行ってたときに、名古屋のローカル番組で言ってました。

おでんはほとんど同じ料理が琉球にもあって、本土で流行る前に琉球には既にあったのが古文書で確認出来てて、おそらく江戸上りの途中で琉球使節が大阪で振る舞ったのが最初であろうと、番組で言ってました。

本土と沖縄の文化の繋がりは、そんなふうに一方的に本土から沖縄に伝わった訳ではないかもしれませんよ。

素人の聴きかじった事のあるレベルの話なんですが、畳とおでんの話しは、とらひこさん的にはどういう見解でしょうか?

投稿: まりきん | 2011年9月17日 (土) 09:13

まりきんさんへ。私へのコメントありがとうございます。

一般的に、空手道や三味線は、琉球が基と聞きますね。私は、三味線より三線のほうが断然好きだったりします。

紅型職人さんが、「沖縄で紅型を覚えて本土に帰って再現しようとしても、沖縄の色は再現できない。本土の色になってしまう」的なことをテレビでコメントしていたことを思い出しました。日本人の美意識様に変化した中華同様、日本化された紅型も、かなり興味深いですね。。。

畳については、畳屋さんが畳の歴史について自サイトで掲載していることが多いので、そちらを参照してみてください。

投稿: ちょちょ | 2011年9月19日 (月) 11:25

>ちょちょさん
琉球は500年続いた体制をそう簡単には変えられなかったようですね。これは琉球だけに限った問題ではなく、現代の日本でも世の中の仕組みがうまくいかないと皆が気づいているにも関わらず、それでも昔ながらのやり方にしがみついている例もそうですし。

ただ単純に中国を重視し日本を排除するということではなく、当時の琉球は江戸時代以来の日本との関係をそのまま維持することだったと思います。要するに「日中両属」の立場を堅持するということです。

ドラマで冊封使の宴で孫嗣勇が踊っていたのは「花風」だったと思いますが、この踊りは実際には王国時代にはまだ誕生していないもので、ドラマ中のフィクションという位置づけです。

>まりきんさん
畳やおでんについてはちょっとよくわかりません。おでんの話は初耳ですが、ビーグは比較的新しいものだったと聞いています。クバ(ビロウ)なんかは平安時代に南西諸島から結構日本のほうに入っていたみたいですが。

投稿: とらひこ | 2011年9月19日 (月) 23:41

本当に。。。それでも、当時の日本は明治維新を成し遂げ、もうどの国も太刀打ちできない勢いで世界五大国にまで上り詰めたのですからね。正直、信じられません。

反対に、清国は日本という成功モデルがすぐ隣にあったのに、日本とは反対の歴史を歩んでいきますが、文明発祥の地であるあの大陸がこんなことになるなんて、こちらはこちらでまた信じられません。日中の歴史って本当に不思議です。

フィクション…そうでしたか。お忙しい中、ご対応くださってありがとうございました。おかげさまで本当に充実した日々でした。映画もありますし、楽しみです。

投稿: ちょちょ | 2011年9月24日 (土) 21:44

>ちょちょさん
ドラマ最終回で、喜舎場朝薫が「日本が清に勝てるわけがない」と豪語したシーンがありましたが、当時の感覚ではごく普通だと思います。日本自身も、清との開戦には簡単には踏み切れなかったようですし(結果は勝利でしたが)。

「花風」は原作にあったものですから、それを尊重してそのままでドラマ化しました。

まだまだテンペストのブームは終わらず、さらに熱くなると思います。これからもぜひご期待ください!

投稿: とらひこ | 2011年10月 1日 (土) 15:05

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