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2011年9月20日 (火)

「テンペスト」が終わって

7月17日から始まったNHK・BSドラマ「テンペスト」、10回の放送が終わりました。あっという間の3カ月でした。評判は上々で皆様に楽しんでいただけたようで嬉しいです。

僕も若輩者ながら時代考証に参加しましたが、いろんな経験を積ませてもらいました。最初この話がプロデューサーの岡本幸江さんから持ちかけられた時には、僕は断ろうかと考えていました。時代考証は一つの専門分野にとどまらず、歴史全般を把握していないとできない「総力戦」ということがわかっていたからです。とても若輩者につとまる仕事ではない。そもそもあのぶっ飛んだ原作をドラマ化するなんて信じられませんでした。あの世界を表現できるのか?不安で悩みましたが、最終的には沖縄県民や全国の視聴者からフルボッコされる覚悟で引き受けました。

去年の12月から演出の吉村さんや美術の川口先生、考証の高良先生たちとロケ地の選定・下見。大森さんの脚本を通しで読んで細かい部分のチェックと訂正。演出監督からの琉球史に関する質問と、ドラマの「裏」設定(つまり表に出ませんが決めなくてはいけないこと。例えば首里城北殿の評定所に詰める役人の数や浅倉雅博の在番奉行所での位置づけ、寧温の給料の額など)。

役者の着る衣裳リストが空白のままエクセルの表で送られてきて、この空白を全部埋めてください、というのもありました。琉球では足袋をはくのか、どの身分からどの場面ではくのか、研究では詳しくわかってないことでも、映像にするために決めなくてはいけない事項が山のように送られてきました。例えば仲間由紀恵さん演じる孫寧温の衣裳は(1)冠の色、(2)簪の材質、(3)衣裳、(4)帯、(5)足袋の有無、(6)扇子などの持ち物をそれぞれ決め、同一人物でもドラマの回ごとにも変更していきました。こんな決め事を出演者すべてにしなくてはなりません。膨大な作業量に目まいがしました。

また撮影が始まると今度は細かい質問や問い合わせが昼夜問わず来ました。その範囲は多岐にわたります。真鶴がサトウキビを刈り取る際のカマの種類と形状、那覇港CGの地形と建物の位置、織物のデザイン、登場する文書の書式と読み方、八重山の民謡、市場に並ぶ野菜と魚の種類のチェック、はてはセミの鳴き声の種類までアドバイスしました。それから寧温が八重山へ流刑のため連行される際、付き添う役人は何人でどの位置に配置し、どのような衣裳を着たほうが適当か、という具合です。リアルタイムで撮影しているので、すぐさま回答しなくてはいけません。質問が来たら手持ちの文献を調べ、ない場合は図書館へ走って必死で文献を探し、ようやく答えたものもありました。同時並行でNHK放送「琉球王国の秘密~ドラマ“テンペスト”の世界~」の監修もやっていたので、ごっちゃになってワケがわからなくなることもありました。

もちろんどうしても回答できないものは、同じく時代考証を担当した高良倉吉先生に助けてもらうこともありました。考証は当然僕だけの力ではなく、高良先生や衣装や踊り指導の先生方がいなくてはできませんでした。それにしても、6カ月以上にわたる際限のないと思えた考証作業は、想像以上に大変でした。

こうした質問に回答したにもかかわらず、演出のほうでボツになり無駄骨だったものもあります。例えば御内原の織物を作る高機(たかはた)は本来あの時代には存在しないものです。その旨を伝えたにも関わらず、放送では高機が使用されていてガッカリしたこともありました。時代考証とはあくまでもドラマを面白くする演出の脇役でしかなく、僕は演出にアドバイスをするだけで、それを決定する権限は全くありません。

僕が気を付けたのは、ぶっ飛んだ原作と脚本のテイストをいかに壊さず、歴史的により「リアル」に見せるための手助けをするかでした。ドラマはあくまでもフィクションです。学術論文とはちがいます。それを重々ふまえたうえで、考証にのぞみました。なので、例えば孫嗣勇が踊っていた「花風」(本来は近代に誕生)は原作を尊重し、史実でないことを承知しつつ、そのままにしました。

もちろん今回の考証が完璧だったとは思っていません。反省すべき点、次に生かしていきたい課題はたくさんありますが、何とか「テンペスト」の世界を映像化できたことに安堵しています。NHKのスタッフも短い制作期間と限られた予算という「無茶ぶり」を強いられたにも関わらず、その制限されたなかで最上のものを作ったと思います。沖縄での撮影はスタッフの睡眠時間は毎日2時間だったと聞いています。撮影はとても大変ですね。たくさんの「縁の下の力持ち」がいなければ決してできなかったと思います。

本当はこうしたかった、ああすれば良かったというのはあります。でもドラマを見た視聴者の皆様がとても喜んでいただけたことが救いです。僕のブログでもドラマをより楽しむための解説をやってきましたが、少しでもお役に立てたなら幸いです。ドラマは終わりましたが、引き続き琉球の歴史に興味を持っていただけたらと思います。

というわけで、本来なら毎年この時期にはブログ夏休みをとるはずでしたが、返上で更新してきましたので、これから遅い夏休みをとりたいと思います。

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コメント

上里 様

ご多忙も厭わずのご返事に感謝いたします。
「1429年に尚 巴志が建立した国家からを「琉球王国」と呼称する」のご教示に混迷の糸口が解れました。
ありがとうございました!

真に恐縮ですが下記の件をもお取り計らいくだされば・・・

琉球王国史を紐解くなかで明及び清国との関わり合いが史実表示されます。
王国建立以前の琉球は国家体制が構築されて無い状態であったと推測され、
建国以前の琉球統治は三山時代の如くに各地で散在した豪族(按司)達の陣地統治で成っていたのではと思われます。(手前勝手な推定で・・オユルシヲ)

■設問:
1)無国家体制時代の琉球諸島の名称を「琉球国」それとも他の呼称であったのでしょうか?

2)無国家体制時代に中国の各時代(唐、宋、元)との関わり合いはあったのでしょうか?

以上の件について概略的にでもご教示頂ければ幸いです。

投稿: マロヤ | 2011年9月20日 (火) 17:47

ドラマから原作にもハマリ、いろいろと調べているうちに上里さんのブログにたどり着きました。
毎回ネタバレ解説、興味深く楽しんで読ませていただきました。
テンペストの時代考証、本当に本当に大変だったことと思います。お疲れ様でした&ありがとうございました!!
今マイブームで沖縄のものにハマッています。
食べものを買ったり作ったり、きれいな景色の写真を眺めたり・・・。
沖縄にはいつか必ず行こうと思います。
これからも上里さんのブログをとても楽しみにしています。

投稿: かおり | 2011年9月20日 (火) 21:49

「テンペスト」が終わって
が、一番面白いと思いました。残念ながら映像は見ていません。
しかし「ぶっとんだ原作」をよんた人間としては「ここで終わるの」と不満も残りますが、うまいところで切ったようにも思えます。「ぶっとんだ原作」の著者の本は大抵ハッピーにおわるので結構好きで、文庫本がでたら読んでいましたが、「テンペスト」てはヤマトンチュの罪悪感を感じた次第。
資料の少ない中での時代考証、お疲れさまでした。

投稿: 杉井俊(本名:松井俊朗) | 2011年9月22日 (木) 22:15

>マロヤさん
(1)王国成立以前にも、中国や日本からは「流求(国)」また「瑠求」と称されていました。ただこの呼称は明確な沖縄を指すものではなく、台湾もふくめ大陸の東側にある島々をボンヤリととらえていただけです。「琉球国」は外から与えられた地域概念で、沖縄側は自らの島を「おきなわ」と呼んでいました。詳しくは小玉正任『琉球と沖縄の名称の変遷』(琉球新報社)をご覧ください。

(2)唐・宋の時代にはわずかながら交流があったようです。たとえば久米島からは唐代の銅銭が出土します。しかし交流が密になるのは14世紀中頃以降(元代末期)で、この時期以降から南西諸島の中国陶磁器の量が激増します。

>かおりさん
わざわざのコメント、ありがとうございます!考証はホント~に大変でした。しかも考証以外に同時並行で別番組の監修や本の執筆、講演などしてましたから、目が回りそうでしたよ。

沖縄にはぜひいらしてくださいね。ドラマのロケ地を巡るのもいいかもしれません。実際にあの海を見ると感動ですよ!ブログもちょこちょこ見に来てくださいね。

>杉井俊さん
ドラマはこれから地上波に降りてくるはずですから、その際はぜひご覧くださいね。まあ罪悪感を感じることはないと思いますが、そういうのは抜きで作品を楽しんでもらえたらと思います。

投稿: とらひこ | 2011年9月23日 (金) 12:01

上里 様

ご丁寧な教示に感謝いたします。
素人の試行錯誤ながらにMy wayなブログを綴っています。
出来るだけ多くの関係史書等を熟読して故郷の歩みを散策したいと思います。

テンペストを検索するなかで上里様をキャッチアップしました。
貴殿ブログ「目からウロコ!最新・琉球の歴史」にも遭遇する事が出来て嬉しいです。
早速、MyBLOGのサイドカラムに貼って拝読させて頂いてます。

琉球史研究に向けて、益々のご活躍を期します!

投稿: マロヤ | 2011年9月23日 (金) 17:21

お忙しい中、これまで何回もこちらからのコメントに返事を頂き、また、質問にもお答え頂き、どうもありがとうございます。
この前も質問にも親切にお答え頂いて、どうもありがとうございました。

これまで、「テンペスト」ドラマの時代考証をご苦労様でした‼

「テンペスト」の原作は楽しんで読みながら、そのドラマを毎回観たわけではないのですが、地上波で放映されれば、これまで見ていない回を観たいですね。

「テンペスト」のドラマ最終回を観ましたが、首里城には2回行きながらも、また行きたくなっちゃいました。ほかの回では識名園が出てきましたが、そこへもまた行きたくなりました。
私は内地の人間ですが、和風ではない、それらの琉球風の建築や庭園は興味深く思えます。

投稿: 大ドラ | 2011年9月23日 (金) 21:17

上里さん

 今さらなんですけどね、琉球女性の手の甲にはハジチが美しく輝いていたでしょうから、ドラマでも見てみたかったですね。

 聞得大君のハジチは、それこそ神々しいものだったでしょう。

投稿: 琉球松 | 2011年9月29日 (木) 15:39

>マロヤさん
どういたしまして。これからもよろしくお願いします。

>大ドラさん
こちらこそお気遣いありがとうございます。

ドラマを見て琉球の歴史や首里城に興味を持った方が結構いるみたいですね。やはりその場所を単にめぐるだけでなく、そこに物語があると臨場感が全然違うと思います。そういう意味でテンペストはとても大きな役割を果たしたと思います。

再放送は未定のようですが、まったくやらないということはないと思います。楽しみにお待ちください。

>琉球松さん
別のコメントでもありましたが、ハジチは当然視野に入っていましたが、今回は残念ながら実現できませんでした。オバアぐらいにはあってもよかったかなと思っています。

今度別のドラマが制作される機会があれば、ぜひ実現したいですね。

投稿: とらひこ | 2011年10月 1日 (土) 15:01

はじめまして 上里様

本屋で偶然、原作を知り、ドラマが始まってからすっかりそのストーリーとスピード感にはまった一人です。
途中からその後の展開とラストが気になり、並行して原作を読んでましたが、正直読んでいないとあの怒涛のスピード感についていけない気がしたのは私だけかな。。
でもあの原作をあんなに壮大で美しく、かつ本土の幕末の薄茶色の泥くさくない、初めてみる琉球の幕末のドラマとするには、本当に大変だったと想像します。
上里様のような支えがあってこそ、私たちは楽しめたんですね~!
すっかり琉球に魅了され、ドラマは終わってもわからないこと、知りたいことがあってその解答を探していたら今日、このブログに行き着いたのです。

皆さんのようにアカデミックでないので恐縮ですが、お答いただければ、とてもうれしいです。

① 真鶴のように頭がよく、学問が好きな女性は当時もいたと思いますが、真鶴が隠れて勉強していたように、日本以上に女性への学問の制限は強かったのですか?

② 真鶴は孫性ですが、女性も 孫真鶴のように名乗っていたのでしょうか?

③ 第三話で浅倉に助けられた浜で、真鶴が浅倉と一緒に謡っていた琉歌は有名な歌かなにかののですか?
初めて二人が出会った時の浅倉の歌ではないですよね。
浅倉の即興の歌なら、途中から一緒には謡えないと思うのですが。。。。

以上です。
思わずもらい泣きした、真鶴の舞う花風もあの当時はなかったというのはビックリでしたが、これも含めてすごく楽しめ、琉歌の短歌などにはないどこかエキゾチックな節にとても興味が湧きました。

首里城が早く全面的に復旧再現されるといいですね!

投稿: てん | 2011年10月 6日 (木) 23:37

>てんさん

はじめまして。ドラマ「テンペスト」の視聴、ありがとうございます。

たしかに全10回ではあの分厚い原作を充分に表現するのは難しかったですね。せめて倍の20回放送にすれば良かったように思います。

ご質問についてですが、以下に回答します。

(1)王国時代は女性が勉学をし、王府の官僚に採用されることはありませんでした。学問は基本的に男性の士族のためのものです。ただ女性の地位が低かったかというとそうでもなくて、原作やドラマでもありますように、宗教祭祀や精神的な支えで大きな役割を果たしました。なので、言ってみれば男性=学問、女性=宗教祭祀のように役割分担されていたと言ったほうが、いいかのもしれません。

(2)女性は「孫真鶴」のようには名乗りませんが、例えば「孫氏」などのように、結婚しても実家の姓を称することはします。たとえば蔡温という政治家が書いた自伝には、母のことを「葉氏」と書いています。蔡家に嫁に来ているにもかかわらずです。

(3)テンペスト中の琉歌は実際に詠まれた詠み人知らずの琉歌からの引用だったように記憶しています。『琉歌大観』という本が原作の参考文献だったので、そちらを確認されるといいと思います。

テンペストをきっかけに琉球の歴史に興味を持っていただけたこと、本当にうれしいです。首里城もこれから御内原を復元予定らしいです。ぜひ首里城も訪れてテンペストの世界に思いをはせてください。

投稿: とらひこ | 2011年10月12日 (水) 17:45

上里さま

番組終了後しばらくたってからの質問にお答えくださって、ありがとうございました!
気になってた事項がやっと解けて落ち着くことができました。
今まではどちらかというと寒い国の方が好きでしたが、このドラマをきっかけに来年は是非、沖縄に行きたい!と思います。
今も沖縄はいろいろな意味で日本の犠牲になっている面がありますが、こうして私を含む、たくさんの人がその側面ばかりでなく、元々あった民族性や文化にも目を向け、その価値を再認識することでいい流れができるといいな、と思ってます。
これからもますますのご活躍、応援してます。

投稿: てん | 2011年10月13日 (木) 19:25

遅くなりましたが、テンペストお疲れさまでした。

上里さん自身がおっしゃるとおり、放映回数がわずか全10回では確かにあの雄大な歴史ロマンを充分に表現するのは難しかったと思います。
倍の20回とは言いませんが、日本の一般的なワンクール13回放送か、せめて最終回を第一回同様に30分延長バージョンにして琉球王朝滅亡の流れまで丁寧に描いて欲しかったです。
琉球時代劇というせっかくの新ジャンルの確立と、ドラマなら長期間放映が当たり前なアジア地域への番組輸出の試みが中途半端にならないか心配です。

投稿: まりおんfrom大阪 | 2011年10月14日 (金) 23:32

>てんさん
どうもありがとうございます。

ぜひ、沖縄にいらしてくださいね!

>まりおんfrom大阪さん

今回のテンペストは多分に冒険的な面がありましたから(琉球史のドラマは琉球の風以外なかったので)、最低限の回数で収められたのはある意味しかたないかなと思います。

まあ今回のテンペストは延長バージョンの制作はまずないでしょうから、次に琉球王朝を舞台にしたドラマができた時に期待してください・・・

投稿: とらひこ | 2011年10月17日 (月) 00:00

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