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2011年9月20日 (火)

「テンペスト」が終わって

7月17日から始まったNHK・BSドラマ「テンペスト」、10回の放送が終わりました。あっという間の3カ月でした。評判は上々で皆様に楽しんでいただけたようで嬉しいです。

僕も若輩者ながら時代考証に参加しましたが、いろんな経験を積ませてもらいました。最初この話がプロデューサーの岡本幸江さんから持ちかけられた時には、僕は断ろうかと考えていました。時代考証は一つの専門分野にとどまらず、歴史全般を把握していないとできない「総力戦」ということがわかっていたからです。とても若輩者につとまる仕事ではない。そもそもあのぶっ飛んだ原作をドラマ化するなんて信じられませんでした。あの世界を表現できるのか?不安で悩みましたが、最終的には沖縄県民や全国の視聴者からフルボッコされる覚悟で引き受けました。

去年の12月から演出の吉村さんや美術の川口先生、考証の高良先生たちとロケ地の選定・下見。大森さんの脚本を通しで読んで細かい部分のチェックと訂正。演出監督からの琉球史に関する質問と、ドラマの「裏」設定(つまり表に出ませんが決めなくてはいけないこと。例えば首里城北殿の評定所に詰める役人の数や浅倉雅博の在番奉行所での位置づけ、寧温の給料の額など)。

役者の着る衣裳リストが空白のままエクセルの表で送られてきて、この空白を全部埋めてください、というのもありました。琉球では足袋をはくのか、どの身分からどの場面ではくのか、研究では詳しくわかってないことでも、映像にするために決めなくてはいけない事項が山のように送られてきました。例えば仲間由紀恵さん演じる孫寧温の衣裳は(1)冠の色、(2)簪の材質、(3)衣裳、(4)帯、(5)足袋の有無、(6)扇子などの持ち物をそれぞれ決め、同一人物でもドラマの回ごとにも変更していきました。こんな決め事を出演者すべてにしなくてはなりません。膨大な作業量に目まいがしました。

また撮影が始まると今度は細かい質問や問い合わせが昼夜問わず来ました。その範囲は多岐にわたります。真鶴がサトウキビを刈り取る際のカマの種類と形状、那覇港CGの地形と建物の位置、織物のデザイン、登場する文書の書式と読み方、八重山の民謡、市場に並ぶ野菜と魚の種類のチェック、はてはセミの鳴き声の種類までアドバイスしました。それから寧温が八重山へ流刑のため連行される際、付き添う役人は何人でどの位置に配置し、どのような衣裳を着たほうが適当か、という具合です。リアルタイムで撮影しているので、すぐさま回答しなくてはいけません。質問が来たら手持ちの文献を調べ、ない場合は図書館へ走って必死で文献を探し、ようやく答えたものもありました。同時並行でNHK放送「琉球王国の秘密~ドラマ“テンペスト”の世界~」の監修もやっていたので、ごっちゃになってワケがわからなくなることもありました。

もちろんどうしても回答できないものは、同じく時代考証を担当した高良倉吉先生に助けてもらうこともありました。考証は当然僕だけの力ではなく、高良先生や衣装や踊り指導の先生方がいなくてはできませんでした。それにしても、6カ月以上にわたる際限のないと思えた考証作業は、想像以上に大変でした。

こうした質問に回答したにもかかわらず、演出のほうでボツになり無駄骨だったものもあります。例えば御内原の織物を作る高機(たかはた)は本来あの時代には存在しないものです。その旨を伝えたにも関わらず、放送では高機が使用されていてガッカリしたこともありました。時代考証とはあくまでもドラマを面白くする演出の脇役でしかなく、僕は演出にアドバイスをするだけで、それを決定する権限は全くありません。

僕が気を付けたのは、ぶっ飛んだ原作と脚本のテイストをいかに壊さず、歴史的により「リアル」に見せるための手助けをするかでした。ドラマはあくまでもフィクションです。学術論文とはちがいます。それを重々ふまえたうえで、考証にのぞみました。なので、例えば孫嗣勇が踊っていた「花風」(本来は近代に誕生)は原作を尊重し、史実でないことを承知しつつ、そのままにしました。

もちろん今回の考証が完璧だったとは思っていません。反省すべき点、次に生かしていきたい課題はたくさんありますが、何とか「テンペスト」の世界を映像化できたことに安堵しています。NHKのスタッフも短い制作期間と限られた予算という「無茶ぶり」を強いられたにも関わらず、その制限されたなかで最上のものを作ったと思います。沖縄での撮影はスタッフの睡眠時間は毎日2時間だったと聞いています。撮影はとても大変ですね。たくさんの「縁の下の力持ち」がいなければ決してできなかったと思います。

本当はこうしたかった、ああすれば良かったというのはあります。でもドラマを見た視聴者の皆様がとても喜んでいただけたことが救いです。僕のブログでもドラマをより楽しむための解説をやってきましたが、少しでもお役に立てたなら幸いです。ドラマは終わりましたが、引き続き琉球の歴史に興味を持っていただけたらと思います。

というわけで、本来なら毎年この時期にはブログ夏休みをとるはずでしたが、返上で更新してきましたので、これから遅い夏休みをとりたいと思います。

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2011年9月18日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(13)

ドラマ第10回「永遠の太陽」。ついにこの時が来てしまいました。「テンペスト」最終回。涙の完結でしたね。国は滅びましたが、真鶴と浅倉雅博は首里城で再会。二人の新たな出発です。

さてさて今回が最後のマニアック歴史解説です。

ポイント1:尚王家のその後

明治12年(1879年)、日本政府は処分官の松田道之と警官と軍隊400名を琉球へ派遣し、尚泰王に沖縄県の設置を通告します(琉球処分)。ここに500年にわたり続いてきた琉球王国は滅亡、尚泰王は首里城を明け渡し、華族として東京移住を命じられます。

尚王家は以降、東京に住むことになり、千代田区九段北に邸宅をかまえることになりました。ただ尚家は完全に沖縄と切り離されたのではなく、中城王子の邸宅だった首里の中城御殿が尚侯爵邸として使用され、首里城御内原の女官たちも移り住み、神々も移設されました。

また尚家はヤマトに留学した沖縄の学生に奨学金制度をもうけて支援したり、王家の資本をもとに「丸一商店」という会社を設立、中国からの茶貿易や海運などの事業にも乗り出しました。

さらに日清戦争で頼りにしていた清国が敗北した後、尚泰王の次男・尚寅(しょういん)をはじめとした士族層は「公同会」という政治結社を結成、尚家を世襲の沖縄県知事とする特別制度を求める運動を起こし、沖縄で7万人もの署名を集めて東京の日本政府に要求します。事実上の「王国復活運動」です。しかし政府はこれを拒絶、運動を継続した場合は国事犯として罰すると威嚇し、あえなく尚寅たちの夢はついえました。

※くわしく知りたい方は次の本を読んでください。
参考文献:国吉真永『沖縄・ヤマト人物往来録』(同時代社、1994)

ポイント2:銭蔵の古酒

多嘉良(藤木勇人)が王子誕生の宴席で王と真鶴に差し出した泡盛100年ものの古酒(クース)がありましたね。多嘉良は泡盛を管理する銭蔵という役所で働いていましたが、実際にはどのくらいの古酒があったのでしょうか。

実は沖縄には戦前までかなりの年数の古酒が残されていました。200年や150年ものも珍しくなく、また王国時代には最上の古酒である「康熙年間(こうきねんかん)」という300年もの(!)まであったといいます。

琉球を訪れたアメリカのペリー一行は歓待の宴席で王府より泡盛の古酒をふるまわれています。

小さな盃につがれた酒が出されたが、この酒はこれまでこの島で味わったものにくらべて、はるかに芳醇なものであった。醸造が古くて、まろやかに熟しており、きつくて甘味のあるドロッとした舌ざわりで、いくらかフランス製のリキュール酒に似ていた」(『ペリー日本遠征記』)

おそらくペリーたちにふるまわれた古酒はかなりの年数のもので、銭蔵が所蔵していたものではないかと思います。

※詳しくは次の本を。
参考文献:萩尾俊章『泡盛の文化誌』(ボーダーインク、2004)

ポイント3:「僉議(せんぎ)」とは

ドラマ中に正体が発覚した孫寧温(真鶴)を「僉議(せんぎ)」にかけて流刑に処することを決定したというシーンが出てきますが、この「僉議」とはいったいどういうものでしょうか。

「僉議」は摂政・三司官、表十五人衆を王府の最高機関である評定所(ひょうじょうしょ)が行う最高の協議、裁決のことです。死罪や流刑などの重大な事件、また士族の跡目相続や領地拝領に関することなどが協議されました。

ポイント4:真鶴が隠れた遍照寺

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罪に問われた真鶴が息子の明とともに身を隠したのが首里の遍照寺(へんしょうじ)という寺です。この寺はもと「万寿寺」といい、末吉宮の神宮寺(付属の寺院)でした。ドラマで孫嗣勇が躍った組踊(くみおどり)の「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」の舞台となった場所としても有名です。

現在では末吉宮が本殿・拝殿ともに復元されたものの、遍照寺は石垣のみが残されています。

ポイント5:尚泰王の言葉「命どぅ宝」

ドラマで尚泰王が話した「命(ぬち)どぅ宝」という言葉、「命こそ宝」であるという意味ですが、本当にこのような言葉を発したのでしょうか。

実はこの言葉は戦前の沖縄芝居で琉球処分を題材にした「首里城明け渡し」のなかで脚本家の山里永吉が創作したフィクションです。

戦世(いくさゆん)終(しま)てぃ 弥勒世(みるくゆん)やがてぃ 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝

(戦の世は終わって、平和な世の中がやがてくる。嘆くなよ臣下たち。命こそ宝なのだ)

という琉歌からの一節が「命どぅ宝」ですね。

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2011年9月15日 (木)

逮捕と放送延期のお知らせ

ハルサーエイカー、出演者が酒気帯び運転で現行犯逮捕され、9月17日の放送が延期となってしまいました。

くわしくは【こちら

報道は【こちら

とても期待していただけに、非常に残念です。

しかし番組の内容自体はとても優れた面白いものなので、ぜひ復活してほしいと思います。

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2011年9月11日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(12)

ドラマ第9回「決別」。残すところわずかとなりましたね。ペリーが去った後の琉球は安泰というわけにはいきませんでした。開国した日本のなかで、薩摩藩もまた大きく生まれ変わろうとしていました。藩主斉彬の密命を受けた浅倉雅博は王府内で薩摩派を結集させます。真鶴との二重生活を送る孫寧温でしたが、ついに尚泰王の子を宿し、物語は怒涛の展開で最終回へと向かいます。

さて今回もマニアックな歴史解説。ドラマに秘められた裏話を紹介します。

ポイント1:フランス軍艦の購入について

薩摩藩主・島津斉彬の密命によって、琉球を隠れみのにしたフランス軍艦の購入が浅倉より命じられましたが、これも史実がもとになっています。

実際に斉彬は琉球を利用した富国強兵策に乗り出していました。腹心の市来四郎を琉球へ派遣し、またオランダと密かに協議して奄美大島と沖縄の運天港を開港することを内諾させていました。

また斉彬は市来を通じて王府に対し、(1)ヨーロッパへ琉球人留学生を派遣すること、(2)中国福建の琉球館へ薩摩商人を送り貿易させること、(3)奄美大島・運天港でオランダ・フランスと通商を開くこと、(4)蒸気船と最新鋭の武器をフランスから購入すること、などの密命を下しました。つまり浅倉は市来の役をドラマのなかで果たしていたわけですね。

あわせて目的達成の障害になる守旧派の座喜味親方(この人物はドラマの同名の三司官とは別人です)を更迭、親薩摩派の翁長親方を三司官に、牧志(当時は大湾)朝忠を表十五人衆に抜てきするよう強硬に迫り、これを認めさせました。

1858年、牧志は市来とともにフランス軍艦と武器購入に奔走し、ついにフランス側と合意、契約書もかわします。しかし斉彬が急死して計画は中止。さらに抑えつけられていた守旧派が巻き返し、親薩摩派は失脚し、親薩摩派は贈賄などの罪を着せられて投獄。牧志朝忠も解任され拷問のすえに流刑の判決を受けます。まあ今でいう「国策捜査」のようなものでしょうか。

琉球は中国との関係を従来通り守ろうとする守旧派が再び実権をにぎり、明治12年の琉球処分(王国滅亡)を迎えることになります。歴史に「もし」は禁物ですが、斉彬がもう少し長生きしていれば、琉球はあるいはちがった未来があったかもしれません。

ポイント2:朝薫が左遷された役職は?

王府内の薩摩派の画策により表十五人衆から降格された喜舎場朝薫でしたが、ポストとしてあてがわれたのは「首里三平等総与頭(しゅりみひら・そうくみがしら)」でした。

総与頭は総与方(そうくみほう)という役所のトップですが、この組織は消防を担当する部署でした。通常は表十五人の吟味役などが兼任していました。首里三平等(みひら)とは首里の3つの行政区画で、真和志(まわし)の平等、西の平等、南風(はえ)の平等からなります。

部署専用の建物はなく、総与頭の邸宅をそのまま役所にしており、火事が起きた時のほか、盗難などの事故防止にもつとめたそうです。

ポイント3:琉球の消防組織

琉球の消防組織は、前述のように「総与方」という部署が担当していました。火事が発生した際には、総与方がドラを鳴らして付近の住民を動員し、総与方の指揮のもと消火活動にあたりました。

その方法は住民が桶などを持ち寄って水をかけて鎮火したり、類焼を防ぐために家を壊したり、芭蕉の茎で火の粉を叩いたり、また救火水龍(きゅうかすいりゅう)という消火ポンプを使うものでした。全住民が活動に当たらないといけないので、野次馬は許されません。不参加者は罰せられました。

津波古が起こした火事には、総与方が出動したわけですね。ただし朝薫の担当区域は首里なので、那覇の総与方とはまた別になります。

ポイント4:孫寧温の就いていた日帳主取とは?

フランスとの交渉を拒否したため更迭された寧温の「日帳主取(ひちょうぬしどり)」ですが、この職は表十五人衆のなかの「鎖之側(さすのそば)」の次官で、外交や教育、また那覇の行政などに当たりました。今でいうと外務省や文科省などの事務次官に相当するでしょうか。史実で牧志朝忠が就いたのもこの職です。

ドラマの中では後任に儀間親雲上(ペーチン)が就きましたが、彼が外交担当としてフランス軍艦購入に当たったという設定になっています。

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2011年9月10日 (土)

ハルサーエイカー予告動画!

昨日お知らせした沖縄ローカルアクションドラマ「ハルサーエイカー」第1話の予告動画がさっそく届きました!

これはスゴイ!クオリティー高いです!全国に出しても全然通用しそうです!

いや~制作のCMCさんも良い仕事してます!

モンゴル800の主題歌もイイ!

放送は沖縄テレビ(OTV)で9月17日(土)午前10時から。

そして!沖縄以外にお住まいの皆さんもご安心ください!

オンデマンド(見逃し配信)でネットから視聴できます。

オンデマンドは【こちら】から。

これは期待大です。楽しみですね!

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2011年9月 9日 (金)

ニュー沖縄ヒーロー誕生!

沖縄で一世風靡したローカルヒーロー番組「琉神マブヤー」から3年…ついに新オキナワン・ヒーローが誕生です!

その名も…ハルサーエイカー!!!

ヒーローというか…ヒロインです、今度の主人公は女性!

「ハルサー」とは「畑をたがやす人」。沖縄北部の国頭村に暮らすハルサー一族の愛。自然とともに生きる彼女ですが、古代の眠りから覚めた《祖》と現代人の食べ残しから生まれたモンスターが現れ、彼女は仲間のノーグ・ヘラーとノーグ・カマーとともに戦います。

制作スタッフと演者は大ヒットした琉神マブヤー・ファーストシーズンの人たち。これは面白くないはずはありません。

脚本に山田優樹さん。監督に岸本司さん。

ハルサー・アイに、ミス・ユニバース・ジャパン3位となった福田萌子さん。

ノーグ・カマーに、琉神マブヤーのカナイ役の知念臣悟さん。

ノーグ・ヘラーに、琉神マブヤーのケン役の山城智二さん。

主題歌はあのモンゴル800

そして…実はワタクシも、ほんの少しだけかかわっています。毎度のことながらなぜ自分が…と思いますが(笑)

真のウチナーの心を体現したヒロイン、ハルサーエイカー!パワーアップした沖縄県産アクションドラマにぜひご期待ください。

放送は沖縄テレビ(OTV)で9月17日(土)10時開始です!

ハルサーエイカーのホームページは【こちら

公式ツイッターは【こちら

※追記

「琉球新報」に記者会見の様子が紹介されてました。【こちら

出演する山城智二さんのコラムは【こちら

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2011年9月 8日 (木)

琉球の歴史講座!

皆さま、お待たせしました!ワタクシ上里が講師をつとめる琉球の歴史の連続講座、桜坂市民大学でひさびさの開催です!

【資料からみる沖縄の歴史】
先人が残したホンモノの史料を読もう

曜日・時間:毎週火曜日21:00~22:30

講師名:上里隆史(歴史家、NHK・BSドラマ「テンペスト」時代考証者)

【紹介文】年に2回のスペシャル講座!『目からウロコの琉球・沖縄史』でNHK・BSドラマ「テンペスト」の時代考証を手がけた講師が、ホンモノの歴史資料を読み解いて沖縄の歴史をわかりやすく、より深く紹介します。

場所:桜坂劇場 那覇市那覇市牧志3-6-10(旧桜坂シネコン琉映)
電話:098-860-9555(劇場窓口)

E-mail:info[アットマーク]sakura-zaka.com

開始日:10/18(火) スタート 全5回
受講料:10,000円
定員:15名
対象年齢:16歳以上
持参物:筆記用具
注意点:11/8(火)は休講

今回はこれまでとは趣きを変え、実際に先人たちが残した歴史史料を読み解いていく講座です。若干マニアックですが、丁寧に説明するのでご安心を。おまけとしてテンペストの裏話も聞けるかも…!?本講座は年に2回の限定講座になります。

ネット申込は【こちら】から

これを逃すと半年後まで講座はありません。ぜひぜひご参加ください!

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2011年9月 6日 (火)

【ネタバレ】テンペスト解説(11)

「テンペスト」のなかでもとくに疑問の多いものについてもお答えします。

そもそも孫寧温(真鶴)は実在するのか?

結論からいうと、実在しません。物語のなかで創作されたフィクションの人物です(そもそも琉球には宦官も存在しませんでした)。しかし、モデルになったとみられる人物はいます。

真相は原作者に聞かないとわかりませんが、おそらくベースになった人物は、牧志朝忠(まきし・ちょうちゅう)でしょう。彼は「テンペスト」の時代と同時期に生きていた人物(1818~1862年)で、王府の通訳(異国通事)、外交官として活躍しました。

彼はヒラの士族でしたが優秀な才能を持ち、中国に留学した後に欧米艦隊との交渉で英語に長けていた安仁屋政輔(あにや・せいほ)から英語を学んで通訳として、来航する欧米列強を相手に活躍しました。ペリーとの交渉も担当しています。

朝忠は薩摩の島津斉彬から注目され、斉彬のバックアップのもとに異例の出世をとげ、ついに評定所(内閣)の表十五人衆に大抜てきされます。しかし斉彬の急死の後に政変が起こって失脚、流刑となります。彼の才能を惜しんだ薩摩が彼の身柄引き渡しを要求し、薩摩へ向かう途中に謎の投身自殺をして45歳の生涯を終えます。

当時の琉球の中では語学や世界情勢にも通じた、ずば抜けた才能を持っている人物でした。もう少し長く生きて王府の政治を動かしていれば、琉球もあるいは変わっていたかもしれません。

なお第一尚氏の末裔である孫氏も実在します(初代・尚思紹王の次男の系譜)。実際には素性を隠すということはせず、すでに周知のものでした。代々の名乗り頭の「嗣」という名前もこの一族が使っていたものです。なので寧温の父の嗣志や兄の嗣勇の名前も、これにもとづいているわけですね。

「カリーデービル」ってどういう意味?

ドラマの第8回で、孫寧温がペリーを日本へ向かわせた後、首里城で多嘉良(藤木勇人)たちが「カリーデービル!」と寧温を迎えますが、この言葉はいったいどういう意味でしょうか。「カレーの悪魔」のことではありません(笑)

「カリー」とは「嘉例(かれい)」、つまり「めでたいこと、縁起のいいこと」を意味し、「デービル」は「~です、~でございます」という意味。「喜ばしい」とか、あるいは「万歳」のようなニュアンスでしょうか?

ちなみに沖縄ではお酒の席で乾杯する時にも「カリー」と言ったりしますね。僕は言葉についてはあまり詳しいわけではないので、今回は方言指導の方がこの言葉を採用しました。

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2011年9月 4日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(10)

ドラマ第8回「ペリーとの対決」、いよいよ物語の佳境!圧倒的な武力を背景にした、ペリーの強硬な要求に窮地に追い込まれた王府でしたが、真鶴から変身した寧温が復活、見事ペリーを追い返しましたね。外交は最終的には人と人との付き合いであり、本音でぶつかることが大事だ、との寧温の考えがペリーを動かしたといえるかもしれません。

それでは今回もマニアック解説。

ポイント1:ペリーは琉球に来たのか

史実でもペリーは琉球を訪れています。1853年5月26日、サスケハナ号をはじめとしたアメリカ艦隊が琉球の那覇に現れます。目的は太平洋航路における補給港の確保でした。強大な武力を背景にした圧力に対し、琉球側は架空の政府と役職を作って対応、のらりくらりと交渉を先延ばしにします。

琉球側の対応にペリーは「東洋的な隠れんぼう外交」といらだちをあらわにします。琉球は架空の役職で交渉をたらい回しにして時間をかせぎ、またアメリカ側への回答マニュアル「異国人江返答之心得」を作成して対応していました。軍事力で勝てない小国が、必死に相手に呑まれないように知恵をしぼったやり方だったといえるでしょう。

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ペリーは首里城訪問を試みますが、琉球は国母が病気とのウソの理由をつけて拒絶します。ドラマで朝薫が話していたことは史実に基づいていたわけですね。結局ペリーは訪問を強行し、やむなく王府は首里城北殿で迎えますが、国王と会うことはありませんでした。

ペリーは蒸気船の燃料となる石炭貯蔵庫の建設も要求しますが、琉球側は得意の引き伸ばし戦術の後に、簡素な倉庫を建てただけで、しかも所有権は決してアメリカ側に渡しませんでした。琉球は最小限の譲歩でペリーの要求をかわしたわけです。

1854年7月、日本から琉球へ戻ったペリーは琉米修好条約を王府と結びますが、王府はダミー政府の名義で調印したため効力はさほどなく、また両国は条約をあまり守ることなく、実質的な意味を持ちませんでした。

※くわしく知りたい方は、以下を読んでみてください。
参考文献:高良倉吉・玉城朋彦編 『ペリーと大琉球』(琉球放送、1997)

ポイント2:首里城へ向かうペリーの行列

首里城へ向かうペリーの行列ですが、当時の記録をもとに再現してあります。ミシシッピ号の軍楽隊と海兵隊2個中隊、2門の野砲に、輿(こし)に乗ったペリーとベッテルハイム博士らが付き添った総勢200名の行列でした。

ペリーの輿は屋根付きの椅子で中国人の苦力(くーりー。労働者)がかついでいました。これは急造のものでペンキとパテを塗り、赤と青の掛け布がしてあるものでした。軍楽隊は「ヘイル・コロンビア」を演奏しています。

ポイント3:守礼門の額について

ドラマでは残念ながら再現できませんでしたが、ペリーが首里城を訪れた際、守礼門には通常の「守礼之邦」という額ではなく、「中山府」という額に架け替えられていたようです。守礼門前のペリーの一行を描いた絵を見ると、3文字で漢字が書かれています。漢字を知らないアメリカ人の手による絵なので判別しにくいですが、「中山府」と書いてあるのがわかると思います【こちら】。

「守礼之邦」とは直訳すると「礼節を守る国」という意味で、もともとは国王を承認する中国の冊封使が来た時だけに掛けられていました。「我々は中国に対して礼節をわきまえている」という意味が込められていたわけです。招かざる客のペリーに対し、琉球は単に琉球王府を意味する「中山府」の額にわざわざ変え、暗に歓迎していないことを示したようです。

ちなみにペリーをもてなした琉球の料理は冊封使に出すものよりランクを下げていたようです。

ポイント4:クラシン御門について

寧温が御内原へ戻るために通った暗いトンネルのような門がありましたね。あれが「クラシン御門(うじょう)」と呼ばれる門です。正式な名称は「左掖(さえき)門」と言います。黄金御殿(くがにうどぅん)という王妃の居住建物の1階部分が通路になっていて、首里城の御庭から御内原に抜けられるようになっています。

Photo

この門の構造は特異なものでした。通路は窓がないので昼間でも洞窟のように真っ暗。なので「クラシン(暗闇の意味)」という別名が付いていました。しかもクランク状に曲がっていて、直進ができないという構造です。この門はあまり使われることのない門だったので、寧温はここを利用して気づかれずに表と奥の世界を行き来することができたわけですね。

戦前まで残っていたクラシン御門の写真は【こちら】。正殿の右側にある南殿に隣接する建物にポッカリと開いている四角の門がそれです。

ポイント5:宣教師ベッテルハイムについて

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ドラマにしばしば登場する宣教師ベッテルハイムも実在の人物です。彼はハンガリー生まれのユダヤ人で、イギリスに帰化してプロテスタントとして琉球でのキリスト教の布教を試みます。琉球は当初彼の滞在を拒否しますが、最終的にはしぶしぶ認め、護国寺で妻と2人の子供の家族とともに8年間すごしました。

滞在中に琉球で布教活動を行いますがことごとく王府の妨害にあい、目的を果たすことはありませんでした。王府は彼を厄介者扱いし、欧米船が来るたびに彼について苦情を述べています。中国皇帝に懇願し、中国滞在のイギリス公使にベッテルハイムをひきとってもらうよう頼んだこともあるほどです。

ベッテルハイムは13カ国語を操る語学の天才にして医師でもあり、無料の診療所も開設して住民たちへの医療活動も行います。とくに天然痘のワクチンである牛痘法を伝えたのは有名です。琉球の人々からは「ナンミンヌガンチョー(波の上のメガネ)」と呼ばれ、親しまれました。またペリーが来航した際には通訳もつとめました。

ベッテルハイムは琉球滞在中に妻との間に娘が生まれますが、名前を「ルーチュー(琉球)」と名づけています。やがて彼らはペリー艦隊とともに琉球を去ることになります。

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【護国寺のベッテルハイム居住の碑】

※彼についてくわしく知りたい方は、次の本をどうぞ。
参考文献:与那原恵『まれびとたちの沖縄』(小学館101新書、2009)

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