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2011年8月14日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(7)

ドラマ第5回「宦官の野望」、GACKT演じる徐丁垓が大暴れの回でしたね!せっかくの活躍だったのに、この回で徐丁垓がいなくなってしまうのは何だか寂しいですね…名君の尚育王ももう見れないのは残念です…というか、今回はありえない超展開の「神回」で最後のシーンは僕も大爆笑させてもらいました(笑)次回以降も急展開が続きますので、まだまだ目が離せませんね!

さてさて、今回もマニアック解説です。

ポイント1:尚育王の死

ドラマ中では尚育王があっけなく逝ってしまいましたが、史実ではどうなのでしょう。実際に尚育王は1847年に34歳で急死しています。死因については正式な記録では残っていませんが、ペリー来航の際に琉球側が作成した回答マニュアル「異国人江返答之心得」によると、尚育王の死因をアメリカ側から質問された時には、「癪気(しゃっけ)」と答えるようにとの指示がされています。

この「癪気」ですが、急激な胃痙攣や胃痛という意味があり、どうやら急性の消化器系の病気で突然死したようです。

ポイント2:馬天ノロの勾玉

孫寧温が自宅のガジュマルで見つけた勾玉、これこそが聞得大君が探していた馬天ノロの勾玉でした。第一尚氏王朝の神女の絶大な霊力を持つとされる勾玉ですが、実は戦前まで実際に残っていました

戦前、沖縄を調査した鎌倉芳太郎は、沖縄島南部の佐敷を訪れ、馬(場)天ノロとその祭祀道具などをスケッチしています。そのスケッチによると勾玉は「灰乳青色」をしており、大きさは2.8寸(約8センチ)。水晶玉54個でつながり、長さは2尺(約60センチ)であったといいます。ドラマ中ではピンク色をしていますが、あれは演出側のアレンジです。

なお馬天ノロは「場天大のろくもい」といい、第一尚氏王朝の故地である佐敷を管轄する神女で、かつては「てだしろ(太陽の依り代)」と称されていましたが、第二尚氏時代に、聞得大君にはばかられる畏れ多い名前ということで改名されたとのこと(『琉球国由来記』)。

※実際のスケッチをご覧になりたい方は以下を参照してください。
参考文献:沖縄県立芸術大学附属研究所編『鎌倉芳太郎資料集(ノート篇) 第2巻 民俗・宗教』(沖縄県立芸術大学附属研究所、2006)685ページ

ポイント3:国相とは

徐丁垓が就任した「国相(こくしょう)」は、ドラマ中で「琉球王府最高の官職」という解説がありましたね。

ドラマ中では400年ぶりに国相に就任うんぬん…というくだりがありました。琉球史に詳しい方なら「国相とは摂政のことだから400年ぶりはちがう!」という意見も出るかもしれません。たしかに王族が就任する「摂政(せっせい)」という名誉職があり、国政をつかさどる三司官よりも上の地位にあります。

ですがこの「国相」という役職、近世の「摂政」と古琉球の「国相(王相)」とでは実質的にはまるで別物だったことがわかってきています。最初に「国相」についたのは14世紀の阿蘭匏(あらんほう)という中国人で、以降も中国人が就く役職でした。当時は実質的に国政や外交をとりしきる強力な権限があったようです。

ところがこの役職はしばらく途絶え、17世紀になって「摂政」が改めて常設されるようになります。どうやらかつて存在した「国相(王相)」という中国人専任職を、新たに解釈しなおして琉球人の王族が就く役職にしたことがうかがえるのです。

さらにマニアックな解説をしますと、華人の就いた国相の琉球語の呼称は《王将軍》で、王族の就く摂政は《お世おわつかい(世のお扱い)》と呼んでいたので、別物であることがわかります。

まあ要するにドラマ中の「400年ぶりに国相が…」というセリフはきちんと根拠があるわけです。

ポイント4:徐丁垓が国相に就任した時の辞令書

これまたマニアックですが、徐丁垓が尚泰王からたまわった国相就任の辞令書は、実際の文書をもとにして作っています。

Photo_2

実際には国相に与えられた辞令書は確認されていませんので架空の文書になりますが(近世に清国人が国相に就いた例はありません)、当時出すとすれば必ずこうしただろうという様式になっています。

※辞令書について詳しく知りたい方は、次の文献を参考にしてください。
参考文献:高良倉吉『琉球王国の構造』(吉川弘文館、1987)

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コメント

王様、本当にあっさり逝去されて、ちょっとびっくりしましたね。
除にやられちゃったのかと思ったくらいです・・
ひとつ気になっているのですが、このドラマでは
王様に対して「しゅりてんがなし」とお呼びしているのですが
かなり前にやっていた大河ドラマ「琉球の風」では
「うしゅーがなしいめ」とお呼びしていたように
思うのです。
こういう尊称は、時代によって変わるものなのでしょうか?

投稿: たづ | 2011年8月14日 (日) 23:36

>琉球側が作成した回答マニュアル「異国人江返答之心得」

こういうものがあるんですね!
他にどんなことが書かれているのか興味あります♪

ピンクの勾玉…やっぱり気になります…(´Д`;)
せめて濃い赤とかもうちょっと宝石っぽいというか水晶っぽい質感にしてほしかったな…と(^^;


ところで5話で「おや?」と思ったのは
「親方」を「おやかた」読みにしてましたね。

「うぇーかた」だと本土の人になじみがないからですかね?

でも「おやかた」で言われると、職人みたいなイメージが先行しそうで、
「うぇーかた」のほうが琉球の役人職っぽいと思うんですけど…。

ぺーちん(親雲上)はぺーちんだったのにな。


あっ、辞令書の印鑑、ちゃんと気付きましたよ~★

投稿: 和々 | 2011年8月15日 (月) 00:13

>たづさん
時代というよりはニュアンスの違いでしょうね。
「うしゅがなしーめー(御主加那志前)」はどちらかというと近しい呼び方で、「しゅりてんがなし(首里天加那志)」はもっと畏まった感じでしょうか。

なぜ「琉球の風」と呼び方が違うかというと、それは『テンペスト』の原作での呼び方がそうだから、ドラマでも採用しています。

>和々さん
アメリカ側への回答マニュアルは、琉球側の実情を悟られないように虚実織り交ぜて作られています。たとえば日本産品がなぜあるのかという質問には、「宝島」というところの船が持ってきていると答えよとかです(日本の支配を隠蔽するため)。

勾玉は演出側が聞得大君のものとは違うんだということを視覚的に表現するためのものでしょうね。個人的には現物通りの色でよかったと思いますが。

呼び方については原則としてなるべく標準語読みにしていると思います。視聴者が音で聴いて「うぇーかた」は理解しずらいという理由でしょうか。ペーチンについては「おやくもうえ」と読むわけにいかないのでこちらはそのままで、ということだと思います。

辞令書の印鑑に気づくなんて、さすがですね(笑)

投稿: とらひこ | 2011年8月17日 (水) 21:15

初めまして。
BSが映らないので、「テンペスト」地上波の放送は嬉しく、毎回じっくり見ています。
こちらのブログの情報も、毎回欠かさずチェックしております。
史実の詳細以外にも、史実をフィクションにどう取り込むか?という問題もうかがい知ることができ、とても勉強になります。
過去ログも少しずつ拝読しております。
ご活躍期待しています。

投稿: 柿の木 | 2012年5月14日 (月) 15:09

>柿の木さん
初めまして。いつもご視聴ありがとうございます。

史実をドラマにどう反映させるのか、
これは難しいところもありますね。

ドラマのストーリー以外でも、
歴史解説と比較させながら
一味違った楽しみ方をしてくださいね。

投稿: とらひこ | 2012年5月23日 (水) 17:29

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