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2011年8月21日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(8)

ドラマ第6回「八重山の流刑者」。話の舞台は首里から八重山へと移ります。ここで寧温はついに真鶴へと変身!「女性」になるにともない声色も変わりましたね。物語は新たな局面に入りました。果たして真鶴となった寧温は首里城へと返り咲けるのでしょうか。

また今回のみどころ!沖縄で大ヒットのローカルヒーロー番組「琉神マブヤー」に出演した「ハブデービル」こと仲座健太さん、「ケン」こと山城智二さんが八重山の役人として登場!マブヤーのヒットは彼らがいなければ絶対にありえませんでした。沖縄を代表する芸人さんたちがいい役どころで全国出演したので良かったです!ただ個人的には仲座さんを多嘉良役に推していたのですが、八重山の頭役も彼のカラーを充分に出せていたと思います。

さてさて今回もマニアック解説。首里とは異なる八重山のいろいろをご説明します。

ポイント1:八重山の役人組織はどうなってるの?

八重山は首里の王府の直接統治ではなく、現地の「蔵元(くらもと)」という役人組織がありました。トップは「頭(かしら)」といい、その下に「諸座・諸方」という「ミニ王府」のような組織が整備されていました。蔵元の役人たちは八重山各地の村々を治める「首里大屋子(しゅりおおやこ)」や「与人(ゆんちゅ)」が兼任したりしていました。

首里の王府からは、彼ら蔵元の役人たちを監督する「在番」という王府役人1名、「在番筆者」2名が首里から派遣されていました。彼らは任期付きの役職でやがて首里に帰っていきますが、八重山の政治は基本的には蔵元の現地役人たちが行っていました。ドラマ中で真鶴が踊りを披露した宴席に参加していた黄色のハチマチ3人はこの在番と在番筆者です。

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ポイント2:イギリス船の八重山砲撃事件は史実?

孫寧温が八重山へ流刑になる途中、欧米船が石垣島へ砲撃しているシーンがありました。あの事件は史実です。1852年に起きたロバート・バウン号事件です。中国福建省を出発しアメリカのカリフォルニアをめざしていたバウン号ですが、途中で船長らの虐待に怒った中国人苦力(肉体労働者)が反乱を起こし、船を乗っ取りました。船は台湾へ向かう途中に石垣島の崎枝村の沖で座礁して中国人苦力が石垣島へ上陸。対して欧米側はイギリス・アメリカ船を現地へ派遣して中国人らを砲撃、上陸して彼らを射殺、捕縛したという事件です。史実では孫寧温のような人物は現れませんでしたが、琉球側は苦力を丁重に扱い、一部の苦力らを中国福建に送還しています。現在でも石垣島にはこの事件で亡くなった苦力たちを慰霊する唐人墓が残されています。

ポイント3:「マキー」という病気

現在では医療技術の発達で克服されましたが、かつて琉球ではマラリヤやフィラリア症という恐ろしい風土病がありました。寧温もこのマラリア(マキー。黒水熱)に罹ってしまいましたね。王国時代の八重山ではとくにマラリアの被害を大きく、しばしばマラリア蚊の発生しやすい村の移動も行われています。また八重山ではマラリア蚊の発生しにくい土地に村を作り、日中はマラリア蚊の発生する湿潤地帯の水田へ遠くから通っている例もありましたが(新城島から西表島へ船で渡って耕作する例など)、これもできるだけ感染を防ぐ知恵でした。マラリア蚊は夜行性で日中に有病地帯へ行っても感染する可能性は低かったからです。

ポイント4:孫寧温と第一尚氏王朝の系図について

孫寧温が第一尚氏王朝の末裔であることを証明した系図ですが、歴代王の系統を記した「中山王代記」については実際に残る「王代記」という史料と、記載された文面については『中山世譜』中の第一尚氏時代の系図を参考に作成しました。

明へ渡ったという第一尚氏の末裔ですが、これは史実ではありません。フィクションとして最後の王、尚徳の子「黄金子(くがにしー)」が明へ渡ったという設定にしてあります。そして明へ渡って名乗った「孫截渓(そん・さいけい)」という名前ですが、これは実際の尚徳王の子供の名前を採用しています。沖縄では尚徳王の子供たちの詳しい名前は判明していませんが、実は朝鮮の『海東諸国紀』という史料には、尚徳の子供に中和、於思、截渓という人物がいたことが記されています。琉球では抹殺されてしまった名前ですが、今回はこのうち截渓が第二尚氏のクーデター前に明国へ渡ったという設定にしました。

ちなみに琉球の家系記録は個人で勝手に作れるものではありません。王府がその人物の素性を調査し、正確だと認定したうえで公的記録として作成します。なので全士族の家系記録は首里城の系図座という建物に所蔵されているわけです。琉球の身分は「士族」「百姓」の二つしかありませんが、それを分ける指標は、王府発行の家系記録を持っているか、持っていないかで判断します。なので琉球では士族の別名を「系持(けいもち。家系記録を持ってる者)」、百姓を「無系(むけい。家系記録を持っていない者)」とも称します。

ポイント5:孫寧温が投獄された豚小屋について

孫寧温が投獄されてしまったあの豚小屋ですが、あれはフール(豚便所)です。沖縄では大正時代頃までこのタイプの便所がよく見られました。要するに人が出したウ○コをブタに食べさせ、大きくなったブタを人間が食べるという究極のエコです(笑)大正時代以降は不衛生ということでどんどん無くなっていきましたが、現在でも古い民家にはそのフールを見ることができます。ちなみに当時の沖縄の豚は黒い豚しかいませんでした。白い豚、ヨークシャー種などが入ってくるのは明治末期になってからです。絶滅しかけた在来種を復活させたのが、有名な「アグー」です。

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コメント

寧温の系図、即反応したワタシです。
きっとここでまた解説がでるはず!と思って楽しみにしていました♪


尚徳の子として記載されていた4名の子の名前、(佐敷子、浦添子、屋比久大屋子、黄金子)はどこまでが史実ですか?

>尚徳の子供に中和、於思、截渓という人物がいた

これをそれぞれ佐敷子、浦添子、屋比久大屋子に当てはめたということでしょうか。
で、4人目の黄金子は孫寧温につなげるために加えた完全フィクションということでしょうか。


ちなみに3人目に書かれていた屋比久大屋子は
金丸のクーデターの際に尚巴志たちの遺骨を持ち出した屋比久之子と関係ありますか?

投稿: 和々 | 2011年8月21日 (日) 20:41

>和々さん

ドラマ中の『王代記』に書かれた子供たちはいちおう伝承上にある実際の名前を出していますよ。ただドラマでは、知らないうちに「佐敷王子」とかがなぜか「佐敷子」に変更されてましたが…

中和、於思、截渓が伝承上の名前の誰に対応するのかは不明です。黄金子は詳細を調べてはいませんが、いちおう登場するので、フィクションではありません。彼は消息不明だそうで、明に渡った設定にしても、まあ無理はないかなと。

尚巴志の遺骨を持ち出した屋比久子は尚徳の家臣で、屋比久大屋子は3歳で乳母とともに佐敷に隠れていたとあるので関係はないみたいですね。

投稿: とらひこ | 2011年8月22日 (月) 12:15

久し振りにコメントさせていただきます。大ドラです。
先月の終わりから今月の初めまで、沖縄に行って、宮古島にも行きました。

質問がありますので、よろしいでしょうか?

Q1.先島では八重山のほか、宮古でも蔵元があって、それを監督する王府の役人が派遣されていたのでしょうか?

蔵元に対する王府出先は、「テンペスト」原作では、王府に対する清の天使館のようなものと書かれていましたが、僕の感覚では、むしろ、王府に対する薩摩の在番奉行所のようにも思えます。

Q2.「テンペスト」関連ではないのですが、宮古島には大和井(やまとがー)という古井戸があり、役人専用でした。琉球の役人のほか、薩摩藩士がその井戸を使ったという話もあるようですが、薩摩の侍が八重山や宮古へ出向いたことは、めったになかったのではないでしょうか?

それでは、よろしくお願い申し上げます。

投稿: 大ドラ | 2011年8月24日 (水) 21:09


ご質問についてですが、回答は以下です。

(1)宮古の政治体制は八重山の蔵元・在番制と同じ仕組みです。頭は砂川・下地・平良の各間切(行政区画)から選出されます。

先島の在番の位置づけは、ご指摘のようにどちらかといえば冊封使というより薩摩の在番奉行に近いでしょうね。主な任務は蔵元の現地役人への監督や王府からの指示を通達するものですから。あとは王府から検使・使者という臨時で行政指導を行う役人も派遣されます。

(2)薩摩藩士は基本的に先島のほうへは行きませんが、江戸時代初期の頃はスペイン船来航に備えて西表島に100名の薩摩兵が常駐していた時期がありました。それと農地測量(検地)のために宮古島まで薩摩藩士が出向いていたことはあります。

あと薩摩商人は先島のほうへも出向いて島民たちと商売を行っています。

投稿: とらひこ | 2011年8月25日 (木) 10:27

初めてコメントさせていただきます。
今回舞のシーンで花風が舞われ、地謡も下出述懐節でした。この舞は明治時代に出来たと言われてたと思うのですが、何故この舞が選ばれたのでしょうか。

投稿: おいやん | 2011年8月25日 (木) 22:58

>おいやんさん
花風は確かに王国滅亡後のものですが、原作がそうなっているので今回のドラマ化に際してもこの踊りが採用されたようです。なぜかという問題ですが、これは原作者に聞かないとわからないので、ちょっと僕は回答しかねます。すみません。

投稿: とらひこ | 2011年8月25日 (木) 23:05

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