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2011年8月28日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(9)

ドラマ第7回「再び王宮へ」ですが、物語はさらに加速度を増し、いよいよ終盤へさしかかりました。真鶴は側室となり御内原へ、上原多香子演じる真美那も初登場!お嬢様全開でしたね。サトウキビ畑での浅倉との再会、そしてペリー艦隊の来航。琉球はいったいどうなってしまうのでしょうか。

さてさて恒例のマニアック歴史解説です。

ポイント1:側室選考の黄金のハサミ

側室の最終選考に残った真鶴と真美那が最後に受けたのが、畳の下に隠された黄金のハサミを当てることでした。奇妙な選抜方法ですが、これは王妃の選考試験に実際にあったものです。ドラマでは王妃試験の方法を、側室にも適用したという設定になっています。

※王妃の試験については【こちら】を参照してください。

ポイント2:御内原での機織り

御内原では真美那や真鶴が機織りに従事していました。身分の高い側室がなぜこのような下っ端の女官がやるような仕事をしているのでしょうか。実はこれも史実に基づいた再現です。面白いことに、首里城の御内原では、女性たちは身分にかかわらず機織り作業をすることがしきたりになっていました

王妃はじめ御内原の女性は職務の合間には必ず糸をつむぎ、機織りをしていたのです。時おり参内する王族の婦人や三司官の奥方にも、対談の際に糸つむぎの道具と芭蕉の繊維が配られ、談笑の際にも絶えず手を動かし糸をつむいでいたそうです。ちなみに出来上がった布は王の家族用や御内原の女官たちに与えられました。

八重山でかたせ梨乃演じる思徳金(大勢頭部)が「御内原の世界でも、優れた機織りの腕を持つ女官は重宝がられるだけではなく、尊敬される」と真鶴に話していたのは、こういうわけがあったからです。

なおこの時代には機織りは高機ではなく地機です。もちろん事前に知っていてNHKにもその旨を進言しましたが、制作上の都合で実現できませんでした。

※実際の御内原の世界を詳しく知りたい方は、以下を参照してください。
参考文献:真栄平房敬『首里城物語』(ひるぎ社、1997)

ポイント3:トキとは

真美那の懐妊の日取りを占った「トキ」という者ですが、これは古琉球より続く神事の日選びをする占い師のことです。とくに王府内で働いていた者を「時の大屋子(おおやこ)」と言いました。沖縄では霊能力者として「ユタ」が有名ですが、ユタが女性なのに対してトキは男性とされ、古い記録には「トキ・ユタ」と総称されています。トキが占いで使うのが「トキ双紙(ぞうし)」という書物で、現在でもいくつか残されています。

彼らは迷信をもって人をたぶらかすということで、王府はしばしばトキ・ユタ禁止令を出しましたが効果はなく、その後も残り続けます。現在でもユタが沖縄各地にいることは周知の通りです。

ポイント4:進貢船に乗って一儲けしようとした津波古

辻の聞得大君のもとへ訪れた遠藤憲一演じる津波古が「進貢船の水夫として中国へおもむく」と話すシーンがありましたね。聞得大君は絹織物と銀杯を大量に買ってくるようにと助言していました。中国へ向かう進貢船は王府が派遣する公的船です。貿易品も搭載されましたが、これは基本的に王府が公的に売買するための官品でした。津波古のような水夫がプライベートで貿易できたのでしょうか。

実はできました。各船員には「乗り間(のりま)」という船室内のスペースが与えられていて、その範囲内であれば私的に物資を載せてもオッケーだったのです。進貢船のスタッフたちは王府の公的な貿易に従事するかたわら、個人的に商売をし、「乗り間」に貿易品を積んで琉球へ帰ることができました。いわばスタッフたちへのボーナスとして与えられていた権利だったのです。

実際、慶良間諸島には中国への進貢船にスタッフとして乗り込んだ者たちが中国貿易で財を築き、故郷の島で立派な家を建てた例もあります(例えば慶留間島の高良家など)。津波古もこのチャンスを活かして貿易を成功させれば人生の一発逆転が可能だったのです。

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慶留間島の高良家

ポイント5:ペリー来航を伝えた火砲「ヒヤー」

ペリー艦隊の来航を首里に伝えるために、港口から火砲が発射されたシーンがありましたが、あれは「ヒヤー(火矢)」と呼ばれる沖縄の銃砲です。形式は火縄銃が伝来する以前の中国式の火砲(手銃)で、ハンドキャノンとも呼ばれます。近世では行列の際の礼砲などに使われていました。

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※火矢と同形式の中国式火砲の発射動画は【こちら

もう一つの案としては、港口の屋良座森グスクという砲台から仏郎機(フランキ)砲という大砲を空砲で発射するという案もありましたが、ドラマのシーンは火矢を採用することになりました。ちなみに仏郎機砲は海賊対策のため、中国へ向かう進貢船に搭載されていました。

なお僕がこの火矢の研究を専門分野の一つにしていることは、ここだけの秘密です(笑)

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2011年8月21日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(8)

ドラマ第6回「八重山の流刑者」。話の舞台は首里から八重山へと移ります。ここで寧温はついに真鶴へと変身!「女性」になるにともない声色も変わりましたね。物語は新たな局面に入りました。果たして真鶴となった寧温は首里城へと返り咲けるのでしょうか。

また今回のみどころ!沖縄で大ヒットのローカルヒーロー番組「琉神マブヤー」に出演した「ハブデービル」こと仲座健太さん、「ケン」こと山城智二さんが八重山の役人として登場!マブヤーのヒットは彼らがいなければ絶対にありえませんでした。沖縄を代表する芸人さんたちがいい役どころで全国出演したので良かったです!ただ個人的には仲座さんを多嘉良役に推していたのですが、八重山の頭役も彼のカラーを充分に出せていたと思います。

さてさて今回もマニアック解説。首里とは異なる八重山のいろいろをご説明します。

ポイント1:八重山の役人組織はどうなってるの?

八重山は首里の王府の直接統治ではなく、現地の「蔵元(くらもと)」という役人組織がありました。トップは「頭(かしら)」といい、その下に「諸座・諸方」という「ミニ王府」のような組織が整備されていました。蔵元の役人たちは八重山各地の村々を治める「首里大屋子(しゅりおおやこ)」や「与人(ゆんちゅ)」が兼任したりしていました。

首里の王府からは、彼ら蔵元の役人たちを監督する「在番」という王府役人1名、「在番筆者」2名が首里から派遣されていました。彼らは任期付きの役職でやがて首里に帰っていきますが、八重山の政治は基本的には蔵元の現地役人たちが行っていました。ドラマ中で真鶴が踊りを披露した宴席に参加していた黄色のハチマチ3人はこの在番と在番筆者です。

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ポイント2:イギリス船の八重山砲撃事件は史実?

孫寧温が八重山へ流刑になる途中、欧米船が石垣島へ砲撃しているシーンがありました。あの事件は史実です。1852年に起きたロバート・バウン号事件です。中国福建省を出発しアメリカのカリフォルニアをめざしていたバウン号ですが、途中で船長らの虐待に怒った中国人苦力(肉体労働者)が反乱を起こし、船を乗っ取りました。船は台湾へ向かう途中に石垣島の崎枝村の沖で座礁して中国人苦力が石垣島へ上陸。対して欧米側はイギリス・アメリカ船を現地へ派遣して中国人らを砲撃、上陸して彼らを射殺、捕縛したという事件です。史実では孫寧温のような人物は現れませんでしたが、琉球側は苦力を丁重に扱い、一部の苦力らを中国福建に送還しています。現在でも石垣島にはこの事件で亡くなった苦力たちを慰霊する唐人墓が残されています。

ポイント3:「マキー」という病気

現在では医療技術の発達で克服されましたが、かつて琉球ではマラリヤやフィラリア症という恐ろしい風土病がありました。寧温もこのマラリア(マキー。黒水熱)に罹ってしまいましたね。王国時代の八重山ではとくにマラリアの被害を大きく、しばしばマラリア蚊の発生しやすい村の移動も行われています。また八重山ではマラリア蚊の発生しにくい土地に村を作り、日中はマラリア蚊の発生する湿潤地帯の水田へ遠くから通っている例もありましたが(新城島から西表島へ船で渡って耕作する例など)、これもできるだけ感染を防ぐ知恵でした。マラリア蚊は夜行性で日中に有病地帯へ行っても感染する可能性は低かったからです。

ポイント4:孫寧温と第一尚氏王朝の系図について

孫寧温が第一尚氏王朝の末裔であることを証明した系図ですが、歴代王の系統を記した「中山王代記」については実際に残る「王代記」という史料と、記載された文面については『中山世譜』中の第一尚氏時代の系図を参考に作成しました。

明へ渡ったという第一尚氏の末裔ですが、これは史実ではありません。フィクションとして最後の王、尚徳の子「黄金子(くがにしー)」が明へ渡ったという設定にしてあります。そして明へ渡って名乗った「孫截渓(そん・さいけい)」という名前ですが、これは実際の尚徳王の子供の名前を採用しています。沖縄では尚徳王の子供たちの詳しい名前は判明していませんが、実は朝鮮の『海東諸国紀』という史料には、尚徳の子供に中和、於思、截渓という人物がいたことが記されています。琉球では抹殺されてしまった名前ですが、今回はこのうち截渓が第二尚氏のクーデター前に明国へ渡ったという設定にしました。

ちなみに琉球の家系記録は個人で勝手に作れるものではありません。王府がその人物の素性を調査し、正確だと認定したうえで公的記録として作成します。なので全士族の家系記録は首里城の系図座という建物に所蔵されているわけです。琉球の身分は「士族」「百姓」の二つしかありませんが、それを分ける指標は、王府発行の家系記録を持っているか、持っていないかで判断します。なので琉球では士族の別名を「系持(けいもち。家系記録を持ってる者)」、百姓を「無系(むけい。家系記録を持っていない者)」とも称します。

ポイント5:孫寧温が投獄された豚小屋について

孫寧温が投獄されてしまったあの豚小屋ですが、あれはフール(豚便所)です。沖縄では大正時代頃までこのタイプの便所がよく見られました。要するに人が出したウ○コをブタに食べさせ、大きくなったブタを人間が食べるという究極のエコです(笑)大正時代以降は不衛生ということでどんどん無くなっていきましたが、現在でも古い民家にはそのフールを見ることができます。ちなみに当時の沖縄の豚は黒い豚しかいませんでした。白い豚、ヨークシャー種などが入ってくるのは明治末期になってからです。絶滅しかけた在来種を復活させたのが、有名な「アグー」です。

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2011年8月19日 (金)

「テンペスト」3Dで映画化!

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大好評のNHK・BS時代劇「テンペスト」、ついに映画化決定です!

なんと驚きの3D!

孫寧温や徐丁垓、聞得大君がビョーンと飛び出す!

正直どうなるのか想像もつきません(笑)ただでさえジェットコースターなのに、これをさらに2時間30分に圧縮。超音速の展開になるのでしょうか…

公開は2012年の1月28日を予定しています。ドラマで楽しんだ後は3Dで!ご期待ください!

詳しくは【こちら】をご覧ください。

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2011年8月14日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(7)

ドラマ第5回「宦官の野望」、GACKT演じる徐丁垓が大暴れの回でしたね!せっかくの活躍だったのに、この回で徐丁垓がいなくなってしまうのは何だか寂しいですね…名君の尚育王ももう見れないのは残念です…というか、今回はありえない超展開の「神回」で最後のシーンは僕も大爆笑させてもらいました(笑)次回以降も急展開が続きますので、まだまだ目が離せませんね!

さてさて、今回もマニアック解説です。

ポイント1:尚育王の死

ドラマ中では尚育王があっけなく逝ってしまいましたが、史実ではどうなのでしょう。実際に尚育王は1847年に34歳で急死しています。死因については正式な記録では残っていませんが、ペリー来航の際に琉球側が作成した回答マニュアル「異国人江返答之心得」によると、尚育王の死因をアメリカ側から質問された時には、「癪気(しゃっけ)」と答えるようにとの指示がされています。

この「癪気」ですが、急激な胃痙攣や胃痛という意味があり、どうやら急性の消化器系の病気で突然死したようです。

ポイント2:馬天ノロの勾玉

孫寧温が自宅のガジュマルで見つけた勾玉、これこそが聞得大君が探していた馬天ノロの勾玉でした。第一尚氏王朝の神女の絶大な霊力を持つとされる勾玉ですが、実は戦前まで実際に残っていました

戦前、沖縄を調査した鎌倉芳太郎は、沖縄島南部の佐敷を訪れ、馬(場)天ノロとその祭祀道具などをスケッチしています。そのスケッチによると勾玉は「灰乳青色」をしており、大きさは2.8寸(約8センチ)。水晶玉54個でつながり、長さは2尺(約60センチ)であったといいます。ドラマ中ではピンク色をしていますが、あれは演出側のアレンジです。

なお馬天ノロは「場天大のろくもい」といい、第一尚氏王朝の故地である佐敷を管轄する神女で、かつては「てだしろ(太陽の依り代)」と称されていましたが、第二尚氏時代に、聞得大君にはばかられる畏れ多い名前ということで改名されたとのこと(『琉球国由来記』)。

※実際のスケッチをご覧になりたい方は以下を参照してください。
参考文献:沖縄県立芸術大学附属研究所編『鎌倉芳太郎資料集(ノート篇) 第2巻 民俗・宗教』(沖縄県立芸術大学附属研究所、2006)685ページ

ポイント3:国相とは

徐丁垓が就任した「国相(こくしょう)」は、ドラマ中で「琉球王府最高の官職」という解説がありましたね。

ドラマ中では400年ぶりに国相に就任うんぬん…というくだりがありました。琉球史に詳しい方なら「国相とは摂政のことだから400年ぶりはちがう!」という意見も出るかもしれません。たしかに王族が就任する「摂政(せっせい)」という名誉職があり、国政をつかさどる三司官よりも上の地位にあります。

ですがこの「国相」という役職、近世の「摂政」と古琉球の「国相(王相)」とでは実質的にはまるで別物だったことがわかってきています。最初に「国相」についたのは14世紀の阿蘭匏(あらんほう)という中国人で、以降も中国人が就く役職でした。当時は実質的に国政や外交をとりしきる強力な権限があったようです。

ところがこの役職はしばらく途絶え、17世紀になって「摂政」が改めて常設されるようになります。どうやらかつて存在した「国相(王相)」という中国人専任職を、新たに解釈しなおして琉球人の王族が就く役職にしたことがうかがえるのです。

さらにマニアックな解説をしますと、華人の就いた国相の琉球語の呼称は《王将軍》で、王族の就く摂政は《お世おわつかい(世のお扱い)》と呼んでいたので、別物であることがわかります。

まあ要するにドラマ中の「400年ぶりに国相が…」というセリフはきちんと根拠があるわけです。

ポイント4:徐丁垓が国相に就任した時の辞令書

これまたマニアックですが、徐丁垓が尚泰王からたまわった国相就任の辞令書は、実際の文書をもとにして作っています。

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実際には国相に与えられた辞令書は確認されていませんので架空の文書になりますが(近世に清国人が国相に就いた例はありません)、当時出すとすれば必ずこうしただろうという様式になっています。

※辞令書について詳しく知りたい方は、次の文献を参考にしてください。
参考文献:高良倉吉『琉球王国の構造』(吉川弘文館、1987)

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2011年8月 9日 (火)

沖縄の怖い話2011

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今年もこの季節がやってまいりました。沖縄夏の風物詩、ホラードラマ「オキナワノコワイハナシ2011」が放送です!

放送日は8月17日(水)19:00からRBC(琉球放送)にて。

今回の内容は…

◆OVER OF THE DEAD(オバァ・オブ・ザ・デッド)
「オーバー」ではありません、「オバァ」です(笑)オバァがゾンビになって襲いかかる恐怖のホラー!オバァたちはほぼノーメイクでゾンビ役オッケーだったそうです(笑)

◆怪談奇聞2
はい、こちらです。本番組、初のシリーズもの!『鼻からミルクの琉球史』著者で歴史学者の上里モモトちゃんが心霊事件を解決します。今回も沖縄の史実をもとにしたリアルなお話です。明治時代に流行った整形。究極の美しさを求めた女性は手術に失敗し…(以下自粛)。モモトちゃんのモデルは実はワタクシ(笑)。上里がこんなにかわいい姿になって登場です→【こちら】。

◆ヘーガサー
「ヘーガサー」とは湿疹、かぶれのこと。体に奇妙な湿疹が表れた主人公は…(以下自粛)

今回の番組は記念すべき10回目!スタッフさんも気合いが入っています。コワくて笑える内容になってますよ。沖縄にお住まいの皆さん、ぜひご覧ください。

ちなみに…去年、おととしの再放送もあります。
8月12日(金)0:45「オキナワノコワイハナシ2009夏」
8月13日(土)1:43「オキナワノコワイハナシ2010夏」

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2011年8月 8日 (月)

【ネタバレ】テンペスト解説(6)

ドラマ「テンペスト」について、ツイッターでこういう疑問がありましたので回答します。

NHK BSドラマ「テンペスト」第3話で清国の役人の前で掌と拳を合わせるしぐさを見せる琉球の役人・・・が描かれていますが、これは正しい時代考証?掌と拳を合わせるのは「明」の字。反清復明のバーバルではなかったか。詳しい方解説宜しく~

寧温たちが天使館で冊封使にしていた「拱手(こうしゅ)」という礼ですが、これはキチンと当時の資料に基づいて再現されています。

「テンペスト」とだいたい同じ時期の李鼎元『使琉球記』(1800年)には、天使館に赴いた琉球官人が拱手でもって清朝の冊封使に礼を行ったとあります。なので適当にやってるわけではないんですよー。超マニアックな細か~いところもちゃんと考証しています(まあ全部こちらのアドバイスが通ったわけではありませんが)。

ドラマそのものもとてもオモシロいですが、こういう誰も気づかない歴史考証も見ていただけると、また違った楽しみ方ができるのではないかと思います。

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2011年8月 7日 (日)

【ネタバレ】テンペスト解説(5)

ドラマ第4回「阿片疑惑」ですが、孫寧温と喜舎場朝薫のタッグでついにアヘン密売事件が解決しましたね。識名園雑用係から一転、糾明奉行となって首里城に乗り込んでいく様は痛快でした。ちなみに史実では琉球にアヘンが入ってきた事例は確認されていません。

さて今回もドラマに登場した各シーンのマニアック解説です。言われないと見逃してしまうものをご紹介します(笑)

ポイント1:表十五人や三司官など王府の役職はどうなってるの?

ドラマ中に出てくる役職ですが、本土の視聴者の皆さんには馴染みがない名前なのでイメージしにくいと思います。琉球王府の組織を簡単に説明しましょう。琉球王府の政治機構ですが、現在の内閣に当たる国政の最高機関が「評定所(ひょうじょうしょ)」と呼ばれる組織で、王族の「摂政(せっせい)」と三人制の大臣である「三司官(さんしかん)」、そして国務大臣・事務次官に当たるのが「表十五人衆」です。彼らはほぼすべて高い身分の門閥から構成されていました。そして彼らを実質的に支えていた事務方が「評定所筆者」たちで、今で言えば内閣官房に当たります。そのリーダーは「筆者主取(ひっしゃぬしどり)」でその下に「筆者」や見習いの筆者たちが続きます。

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ポイント2:アヘンを隠してあった首里城の洞窟、あれ本当にあるの?

女官大勢頭部がアヘンをスイカから取り出していた洞窟、あれは本当にあるのでしょうか。実はあるんです。場所は瑞泉門の下、龍樋と呼ばれる湧き水の奥にあります。石積みで隠されていますが、あの内部は奥行き30メートルの洞窟になっています。そして湧き水の水源はこの一番奥にあります。ただし洞窟はドラマ中のように高さはなく、トンネルのような感じになっているそうです。

ポイント3:寧温たちの頭に載ってる弁当箱みたいなもの、あれ何?

あれは「ハチマチ(八巻、鉢巻)」と呼ばれる琉球王朝の「冠」です。本来は4メートルの布を頭にぐるぐる巻きにしたターバンでした(こちら参照)。やがてフェイクのターバンとして冠状のものが登場し、現在私たちが知るようなハチマチになったのです。ハチマチのひだひだ、あれがターバン時代の名残ですね。身分によって色が異なり、高いほうから紫―黄―赤―青となります。王族は浮織冠で、オレンジ色に浮織の刺繍がされています。

ポイント4:糾明奉行に任命する文書の裏話

孫寧温と喜舎場朝薫が尚育王より糾明奉行に任命されて首里城に再び乗り込み、表十五人の喜屋武親方に王の辞令書を見せる場面があります。あの辞令書もマニアックにこだわっていますよ。「中山王 尚育」の署名に実際の花押(サイン)を採用しています。1秒も映らない一瞬のシーンですが、録画された興味のある方は一時停止でご覧ください(笑)

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2011年8月 4日 (木)

テンペスト用語解説(3)

ジュリ …琉球の遊女。遊郭は辻(つじ)が有名だが、那覇の渡地(わたんじ)村や仲島などがあった。ジュリは歌や踊りなどをする芸子の性格が強く、また不特定多数の客を取るのではなく、基本的に一見さんはお断りで、女性に主導権があった。男性は何度もジュリのもとへ通い、気に入られて初めて結ばれることができたが、一度結ばれるとジュリは男性に尽くした。辻の村内は女性の自治によって運営されており、リーダーも辻内から選抜された女性であった。

在番奉行(ざいばんぶぎょう) …琉球における薩摩藩の出張機関の長。在番奉行所の建物は「御仮屋(うかりや)」ともいい、那覇の港町(西村)にあった。スタッフは総勢十数名。キリスト教禁制や進貢貿易の監視、年貢運送の監督などが業務であり、琉球王府の上に立ち命令する権限はなかった。

天使館(てんしかん) …琉球国王を承認する冊封使の滞在所、迎賓館。琉球滞在中、冊封使はここで寝泊りした。冊封使は国王一世に一代のみ渡航するので普段は使用しないが、施設の一部は昆布座という役所として使われた。外観復元された建物は読谷村の「むら咲むら」にある。

琉球館(りゅうきゅうかん) …中国福建省の福州にある琉球施設の滞在所。中国側が用意した施設で「柔遠駅(じゅうえんえき)」と呼ばれていた。福州は琉球が中国へ渡る玄関口であり、ここを拠点にして北京の皇帝のもとへ朝貢へ向かった。福州に残るスタッフは長期滞在して貿易活動などに従事した。ドラマの中でアヘン密売をした謝花正興という人物はここのスタッフであった。

童名(わらびなー) …琉球で幼少の頃に付けられた名前。幼名。士族・百姓ともに付けられていたが、士族はこれと別に唐名と言われる中国風の名前と日本風の名前を両方持っていた。童名の例は「武太(むた)」「太良(たらー)」「真牛(もうし)」「嘉那(かな)」など。

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