沖縄初の美人投票、1912年(明治45)2月29日に締め切られ、ついに結果は判明しますが、投票総数はなんと、
驚きの22万4069票!!
1910年(明治43)における沖縄の全人口が53万人ですから、実にその半数近くにあたる投票があったということになります。このしかけは投票が1人1票に限らない、ということです。日本酒を売る高鳥十八番は新報社とタイアップして日本酒「富久娘」5升に投票用紙20枚、1斗に50枚をオマケにつけ、また琉球新報300部を購入した者に「富久娘」1升をプレゼント、同じくマル求雑貨店もハミガキ1個購入につき琉球新報(投票用紙付)を1部進呈、また琉球新報50部を購入につきハミガキ1個進呈というキャンペーンを実施します。票が1人につき何十枚、何百枚と動いていたわけです。
それでは美人投票の結果発表!
1位は山桝木という店にいるカメさんで8万4408票!2位の栄江小のオトさんの6万5693票をひき離し栄冠を勝ち取ります!先ごろ行われたAKB総選挙の1位・前田敦子の得票が13万9892票ですから、この得票数は尋常ではありません。当時の沖縄ではカメさんの美貌が絶大な支持を得ていたことがわかります。
こうして美人投票1位の座はカメさんに手にころがりこもうとしていました。ところが・・・カメさんは1位の辞退を申し出ます!なんとカメさんは2月28日に遊郭で働く免許(鑑札)を得ており、それ以前は美人投票の資格のない一般女性に該当していたのです。今回対象の女性は県内各料理店の芸者や舞妓、仲居、酌婦や辻のジュリ(遊女)に限定されていました。つまり今風にいえば、彼女はAKB48としてメディアに登場していながら芸能事務所に正式に所属していなかったので、総選挙に参加する資格がなかったということです。
なんということでしょう(劇的ビフォアーアフター風)。このため、彼女は免許を受ける27日以前に投票された分をすべて無効にしてほしい、中間投票の結果で得た賞品も返納すると申し出たのです。
こうして最終的な順位は次のようになりました。
1位 栄江小のオト 6万5693票
2位 山桝木のカメ 3万3209票
3位 新屋様のカマド 2万7429票
4位 中道山桝木のカマダ小 7476票
5位 風月楼の三吉 5942票
6位 糸満町白銀楼のウシ 4944票
7位 常盤楼の小浪 3532票
8位 端通染屋小のオト 2275票
9位 天使館銀行染屋小のマカテ 1664票
10位 バンジョーガネ小路染屋小のウサ小 1430票
カメの27日以前の得票は無効で2位に下がり、中間賞品は寄贈者の承諾を得てそのままカメのものになり、代わりに同じ内容の賞品を1位のオトへ、2位賞品は新屋様のカマドへ、3位賞品は中道山桝木のカマダ小に送られることとなります。
今回投票された女性は208人でしたが、その内訳をみると本土出身者が32名、地方の料理屋が10人、辻の遊郭が166人と、出身にかかわらず県内在住の女性が対象となっていました。那覇だけでなく、地方からは糸満の女性ウシさんが6位に入賞しています。そのほか、金武や羽地、本部、宮古・八重山の女性にも投票されたということです。
こうして沖縄史上初の美人総選挙は波乱のうちに幕を閉じました。このイベントは大成功だったといえます。一番儲けたのは主催の琉球新報社でしょう。投票総数が22万4069票ということは、単純計算でいくと新聞が約2ヶ月のうちに22万部あまりの驚異的な売り上げを叩き出したということです。他のタイアップ商品のオマケにも投票用紙は付いてきたので、実際の売上はもっと少ないでしょうが、相当の利益になったのは確かでしょう。
この美人総選挙については戦前の沖縄の歴史でまったくと言っていいほど語られない「黒歴史」になっていますが、僕はこのイベントが琉球新報社や県内企業に与えた経済的影響は小さくなかったと思います。戦前沖縄を代表する新聞・琉球新報社の歴史を、言論やジャーナリズムの視点からではなく、「経営」という視点で分析してみる必要もあるのかもしれません。
さて美人総選挙という熱狂が過ぎ去ると、みなマブイ(魂)が抜けたような空虚な気持ちになったようです。
美人投票がすんで大風が止んだ後のように世間が急にさびしくなったようだ。何か事があれかし(ペンネーム:白眼生)
おそらく、この美人総選挙は戦前の沖縄のなかで人々がもっとも夢中になり、燃え上がった最大のイベントだったと思います。
【追記】『琉球新報百年史』38ページに当初1位だったカメさんの写真が掲載されています。見た感じ、「クールビューティー」という印象です(笑)
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