地中からお金ザクザク
琉球の時代、とくに古琉球期に王国の貿易業務をになったのが中国系移民の久米村の人々です。今から約40年前、この地からお金がザクザク出てきたことがあります。当時の新聞記事を見てみましょう。
古銭がぞくぞく/那覇市久米町の工事現場で(「琉球新報」1967年5月28日)
那覇市久米町で、中国の後漢時代(1944年前)につくられた五銖銭をはじめ、唐、北宋、南宋、元、明の各時代にわたる珍しい銅の古銭11種57枚がこのほど発見された。文保委の多和田真淳主事は「1392年に中国の学者、大工、技術者ら三十六姓が中国から琉球に派遣された時、そのうちのだれかが中国の皇帝からもらって大事に保管したものだろう。円形のコインとして沖縄でみつかったものでは五銖銭が一番古い。それに三十六姓の一世が持ち込んできたものにちがいない」と鑑定している。
古銭が発見された場所は久米町の通称大門(ウフジョー)近くの儀間本店ビル裏通り。さる5日に崎浜電気従業員、久米清春さん(28)ら3人が配線用の電柱の穴掘りをしたとき、地中約1メートルのところから壷に入った古銭がザクザク出てきたもの。久米町は昔、中国の技術者、蔡氏ら三十六姓の人たちが住みついたところであり、そのうちのだれかが壷に入れて地中深く埋めたものと見られてる。
沖縄では調査で備蓄銭が見つかった例はないので、とても貴重な事例です。この銭を埋めた人はいったい誰だったのでしょうか?
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コメント
ところでこの「久米村」なんですけど、ずーっと久米島と間違ってました。
まあブログのエントリや、とらひこさんの本を読んでりゃわかるんですが・・・同じように間違ってる人は多いと思いますよ。
久米村は那覇の内部っていうのを一度お願いします。
投稿: nagamati | 2011年2月19日 (土) 21:13
>nagamatiさん
たしかに久米島と久米村は似ていますね。勘違いするかもしれません。
今後、久米村の話も記事にしてますね。
投稿: とらひこ | 2011年2月21日 (月) 11:19
こんにちは。現地の詳しい方に御願いし2月12日早朝、久米・天妃宮跡・波ノ上宮・袋中上人碑等を見学(前日は美栄橋の碑を)してきました。「琉球神道記」に記されていたと言う場所や痕跡を実際に確認出来たのは収穫でした。
「誰もみたことのない琉球」も事前の勉強に大変役立ちました。
琉球史の入門書では一番だと思います。
スポッツ(いわき市)
投稿: スポッツ | 2011年2月22日 (火) 12:53
>スポッツさん
沖縄に来られてたんですね。
拙著も読んでくださり感謝です。
実際に上人の足跡をめぐると実感がわきますよね。
今度京都で袋中上人や尚寧王に関わるシンポジウムをやる予定です。詳細が決まりましたらまたこのブログでお知らせしますね。
投稿: とらひこ | 2011年2月25日 (金) 15:38
はじめまして!といっても以前から何度かお邪魔してますが、
こうしてコメントを残すのは初めてです。このブログは本当に
目からウロコですよね!これからも更新楽しみにしています!
投稿: しゃけ | 2011年3月 9日 (水) 17:44
>しゃけさん
はじめまして。いつもありがとうございます。
他のサイト、ブログでは出せない情報を今後もどんどん出していきたいと思います。
たま~にのぞいていただけますと幸いです。あとランキングボタンのクリックもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
投稿: とらひこ | 2011年3月12日 (土) 22:24