蕎麦を食ってた琉球人
ウチナーンチュが「そば」といえば、もちろん「沖縄そば」です。復帰前には本土からの赴任者が「蕎麦(そば)」を注文すると「沖縄そば」が出てきて、トラブルになることもあったようですね。
「沖縄そば」は琉球王朝より続く麺としばしば言われますが、実は明治になってから沖縄に移住してきた中国人が始めた「支那そば」にそのルーツがあるようです。大正3年まで「沖縄そば」は「支那そば」と呼ばれ、スープも醤油ベースの黒いものでした。いわばラーメンと系統を同じくする麺類と言えます。
では「日本そば」は琉球にまったく縁がなかったのでしょうか。いえ、実はちがいます。琉球王国時代には士族階級で食べられていました(!)
三司官(大臣)の伊江親方の日記には、昼食に「蕎麦切(つまり日本そば)」がしばしば登場します。当時の琉球は薩摩(今の鹿児島県)と交流がありましたから、蕎麦やその製法なども入ってきていたようです。日記から見ると、蕎麦は珍しいものではなく、士族階級では日常的に食べる一般的な料理だったことがうかがえます。
赤瓦の屋根の下、琉装姿で日本そばをすする風景は何とも場違いというか違和感がありますが、これが史実なので私たちのイメージがまちがってたということですね。
参考文献:『沖縄県史料・資料編7近世1 伊江親方日々記』
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