死後の世界はあった?
琉球王国の正史『球陽』には、奇妙で怖い事件がしばしば記されています。次の記事は1731年に起こった事件です。
『球陽』巻十二
与那城間切宮城村に、喜也宇大翁なる者あり。七十歳にして死す。臨終の時、子孫に謂いて曰く、我が神歌を唱うるは、汝らの共に知るところなり。もし陰間、生前に異ならざれば、すなわち死後三日、必ずこれを唱え、もって汝らに聴かせんと。期にいたり、ともに往きてこれを聴くに、果たして歌声あり。与那城間切(現うるま市)の宮城村に、喜也宇(きやう)オジイという者がおり、70歳で死んだ。臨終の時、子や孫に対して言うには、「私が神歌を歌っていたのは、お前たちも知っていることだ。もしあの世が生前と同じであれば、私は死後3日、この神歌を必ず歌い、お前たちに聴かせよう」と。その時がいたって(死ぬこと)、家族がともに墓に行って聞くと、彼の歌声が聞こえてきた。
喜也宇オジイは自分が死んだ後、あの世がどうなっているのか子や孫たちに伝えようとしたのです。オジイの歌声が聞こえてきたということは・・・死後の世界は生きている世界と変わらない、ということなのでしょうか!?
ちなみに当時の琉球の葬り方は風葬で、遺体を一定期間、放置して白骨化させる方法をとっていました。なのでオジイの遺体はそのまま墓室(もしくは風化させるための施設)に安置されていたわけで、家族たちはその場所に行ったということです。
さて、みなさんはこの奇妙な事件をどう考えますか。ただ一つ、確かなことは、この事件が王国の正史に記されているという事実です・・・
参考文献:『球陽』
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