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2010年7月31日 (土)

世界遺産のリレー講座!

Poster_2

今年は沖縄の世界遺産登録10周年です。それを記念して、世界遺産のリレー講座が行われます。僕も担当しますが、なんと3回連続の講座です!

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
世界遺産登録10周年記念事業

主催:「琉球王国のグスク及び関連遺産群」世界遺産登録10周年記念事業実行委員会
後援:内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所
期間:2010年7月17日(土)~12月26日(日)

【リレー講座】
・「目からウロコの古琉球」 上里隆史氏(歴史家) 
 [ 日時 ] 8月14日(土)/14:00~16:00
 [ 場所 ] 北中城村立中央公民館
 [ 問合 ] 098-935-3773

・「琉球戦国列伝~護佐丸の章・三山屈指の武将~」 上里隆史氏
 [ 日時 ]8月21日(土) /14:00~16:00
 [ 場所 ] 中城村吉の浦会館
 [ 問合 ] 098-895-6994

・「琉球戦国列伝~阿麻和利の章・天下を獲れた男~」 上里隆史氏
 [ 日時 ] 9月11日(土)/14:00~16:00
 [ 場所 ] うるま市勝連シビックセンター
 [ 問合 ] 098-873-4400

【すべて入場無料!】

※くわしくは【こちら

僕の講座は、グスクが造られた古琉球という時代がどんな時代だったのか、その全体像を紹介し、そして中城では護佐丸、勝連では阿麻和利とはどんな人物だったのか、これまでとはまったくちがった角度からお話しします。おそらくこれまでにない、護佐丸・阿麻和利像がみえてくるのではないかと思います。みなさま、参加は無料なのでお気軽にご参加ください!

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2010年7月24日 (土)

『アジア遊学』も刊行!

『日本の対外関係』に続いて、『アジア遊学134 東アジアをめぐる金属工芸―中世・国際交流の新視点』が勉誠出版から刊行されました!

【内容紹介・解説(勉誠出版HPより)】
東アジアにおける金属工芸は、金・銀・銅という材質を用いることから多様な付加価値をもつことになり、宗教や美術、そして政治などと密接に関わりつつ、各地域の相互交流のなかで重要な位置を占めてきた。それら金工品等の比較研究に加え、各種工芸・絵画作品、文献史料の読み解きから、造形・意匠の伝播や展開、「モノ」としての意味や機能を明らかにすることで、東アジアにおける相互文化交流の諸相を立体的に浮かび上がらせる。

そしてまたまた僕の論文も掲載されています!タイトルは「文献史料からみた古琉球の金工品―武器・武具の分析を中心に」。金属工芸は門外漢の僕ですが、文献史料にみえる古琉球の金工品について頑張って分析してみました。

拙稿の要旨は次のような感じです。

古琉球期における輸出金工品の主力は刀剣で、中国・東南アジアへと送られた。琉球では刀身を日本から調達し、外装を琉球で仕立てていた可能性が高い。琉球船の畿内通交が活発だった15世紀前半には直接刀剣を購入したが、通交が途絶した15世紀後半以降は冊封にともなう冠船貿易で、来航する日本商船から買い付けたと考えられる。

今回、文献史料で確認できる金工品(武器・武具)の輸出入の全リストを作成し、年代ごとの数の傾向や工芸技法の分析など、そこからみえるものは何かを論じてみました。論証の良し悪しはともかく(笑)、リストについては今後の研究に有用だと思いますので、ぜひぜひ参考にしてください!

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2010年7月17日 (土)

伝説の王は実在したのか

琉球で最初の王といえば、おそらく舜天王をあげる方が多いと思います。ところが、琉球王国時代の歴史書『中山世鑑』(1650年編集)には、この舜天王以前に琉球を治めていた王統があったと記しています。

その名は・・・天孫氏!

琉球世界をつくった神、天帝の子孫であるといいます。天帝はアマミキヨ(阿摩美久)に命じて天から降りて島や人を造り、その子孫が天孫氏の王となったというのです。この天孫氏王統、何と25代で1万7802年にわたって続いたとのこと。各王の寿命を平均すると712歳の超長生き!さすが長寿の国沖縄!

では、マジメにこの天孫氏について考えてみましょう。現在の研究でわかっている1万7000年前の状況といえば・・・そうです。ちょうどあの有名な港川人の時代です。つまり・・・港川人は天孫氏だった!?(ナナンダッテー)・・・わけはなく、当然ですが旧石器時代に天孫氏の王が琉球を統治していたわけはないので、伝説にすぎないことは明らかです。

じつはこの天孫氏、王国時代にもその真偽をめぐって問題になっています。1731年、歴代王の位牌をまつる崇元寺で天孫氏に対する祭祀が行われていないことを問題になります(もともと実在していないので行われていないのは当たり前ですが)。諮問を受けた久米村の程順則(名護親方)らは、以下のように回答します。

天孫氏の時代には文字がなかったはずなのに、なぜ今に伝えられているのか?中国の王朝でさえ長くて800年ほどの治世なのに、天孫氏王朝が1万年も続いたとは信じがたい。

元ネタになっている『中山世鑑』の序文にも「前代には記録らしいものがない」と書いてあり、同時代の中国の状況と比べても荒唐無稽な話だ。

舜天王については時代も近く信じられるが、実在したと思えない天孫氏の位牌を安置するのは無用である。

「名護聖人」と呼ばれた程順則はクールに天孫氏実在説を一蹴し、舜天を琉球開基の王とすることを主張したのです。この意見をうけ、王府は天孫氏の位牌を浦添の龍福寺に安置することを決定しました。

天孫氏は王朝時代、すでに実在を否定されていたということなんですね。

参考文献:高良倉吉『琉球王国史の課題』

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2010年7月10日 (土)

『日本の対外関係』ついに刊行!

吉川弘文館から『日本の対外関係』シリーズ第4巻、「倭寇と『日本国王』」がついに刊行されました!2年前に書いた原稿がようやく日の目を見ました・・・

荒野泰典・石井正敏・村井章介編『日本の対外関係』全7巻

“世界”を知り“日本”を知る
対外関係史研究の到達点を示す新シリーズ!世界との関わりに焦点をあわせ、グローバルな視野で日本の歴史を捉え直す。

日本は諸外国といかに交流してきたのか。進展著しい対外関係史研究の成果を結集させ、その到達点を示す。原始・古代から明治中期まで、朝鮮半島や中国大陸・アジア・欧米とのさまざまな対外関係・国際交流を、気鋭の執筆陣が通史と幅広いテーマで書き下ろす。世界との関わりに焦点をあわせ、日本の歴史をグローバルな視野で捉え直す注目シリーズ。

第4巻には僕の論文も掲載されています。タイトルは「琉球の大交易時代」。13-15世紀から南西諸島でなぜ「琉球」という国家が形成され、「大交易時代」を現出することになったのか。これまでの研究成果をまとめ、「海域と港市」という新しい視点から歴史像を描きなおしました。

本論の要旨を簡単に述べますと、以下のようになります。

琉球王国誕生の直接的な要因は、海域ネットワークの拠点「港市」の形成であった。各島嶼と「シマ(集落)」を単位とした南西諸島社会のなかで、奄美地域の相対的な地位の低下を決定づけ、沖縄島を中核とする国家形成をうながした契機が、14世紀中頃における日中間航路「南島路」の活況と、それにともなう港湾都市・那覇の形成であった。ここに、前近代を通じて政治・経済・文化的拠点が那覇(と付属する首里)に一極集中する状況が生まれたのである。

そして琉球の「大交易時代」を現出させた交易活動は、中国明朝との冊封・朝貢関係を基盤として、海域世界に構築されていた民間交易ネットワークに便乗し、港市那覇の外来諸勢力を現地権力(王府)が活用して進められたものであった。琉球は朝貢国間の関係をある程度前提にしつつも、各国・各地域の設定する独自の外交秩序に接近、あるいは適合させるようなかたちで自らの姿勢を選択し、交易を行ったのである。

もっともっと噛み砕いて言いますと、

琉球王国が誕生した一番のきっかけは、港湾都市・那覇の形成であった。また琉球の交易活動は、港湾都市に住む外来の人々を琉球の人々が活用したことで可能になった。

ということです。

論集はほかにも気鋭の研究者の論文を掲載しています。本シリーズは平易な「対外関係史入門」なので、ぜひぜひ読んでみてください!

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2010年7月 3日 (土)

琉球人は何を売ってたか

アジアの海で交易活動で活躍した琉球。そのやり方は他国の特産品を転売し、利益をあげる中継貿易でした。琉球の主力商品は中国製の陶磁器や日本製の刀や扇子、東南アジア産の胡椒や香料などといわれています。こうした高価な品々を琉球の人々はとりあつかっていたわけですが、それだけだったのでしょうか。実は500年前のポルトガル人の記録に興味深い記述があります。

かれら(琉球人)は玉ねぎやたくさんの野菜を運んで来る。

なんと、東南アジアへ向かう琉球船には玉ねぎや野菜がたくさん積まれ、これらをマラッカなどで売りさばいていたのです。なぜ!?

さらに不思議なのが、玉ねぎです。玉ねぎは中央アジアが原産といわれますが、アジアへは伝わらず、日本では明治になってからとり入れられた野菜でした。琉球でも玉ねぎが栽培されていたことは、僕が知っているかぎりでは確認できません。

このナゾに対する答えは、ふたつあります。ひとつはヨーロッパ人が見た琉球の玉ねぎとは、実際に玉ねぎではないが非常に似た野菜だったという可能性。つまり誤認です。そしてもうひとつは、琉球人は本当に玉ねぎを持ってきていたが、それは琉球で栽培したものではなく、別の場所で買っていた可能性です。

玉ねぎは500年前、ヨーロッパですでに栽培されており、大航海時代のなかでアメリカ大陸へも広まりました。ヨーロッパ人はアジアへも訪れており、彼らが持ってきた玉ねぎを琉球人は直接買いつけたか、あるいは商品として出回っており、これを東南アジアでの取引で購入した可能性のほうが高いような気がします。琉球から東南アジアへは数ヶ月間かかりますから、生鮮食料品を持っていった場合、日持ちしないからです。

いずれにせよ、琉球の交易は『歴代宝案』などの公式記録には出てこない世界があったことは間違いないでしょう。500年前のウチナーンチュが東南アジアで、「安っさいびーんど~。買ーてぃくぃみそーれ~」と野菜を売り歩いていたと考えたら面白いですね。

参考文献:トメ・ピレス『東方諸国記』

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