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2010年5月 1日 (土)

金城はなぜキンジョウか

アジアで活躍する俳優の金城武。父親が沖縄出身というのはよく知られた事実です。実は初めて彼の名前に接した時、僕は「キンジョウ」と読んでしまいましたが、実際には「カネシロ」だったのは意外な感じがしました。

現在、金城さんは「キンジョウ」が一般的な呼び方ではないかと思います。沖縄の姓とその読み方は独自の歴史・文化を反映して本土とは異なるものが多いです。金城の呼び方も本来は「カネ(ナ)グスク」でした。

近代になって日本に組み込まれた沖縄では、戸籍法によってすべての人が姓を持つようになりました。しかし同化政策のなかで、奇異・難読な沖縄姓はヤマト風に改姓、もしくは読み替えられていったとされます。「キンジョウ」も戦前の読み替えによって生まれたもの、その程度しか考えていませんでした。

以前、ある会合で沖縄姓を研究している武智方寛氏にお会いすることができました。武智氏は戦前から戦後にかけての沖縄の人々の姓についての資料を収集し、変化の要因などを探っています(「沖縄の姓の変遷についての考察」)。武智氏によると、少なくとも1912年(大正元)には方言から標準語読みへの変更が行われたことが確認されています。

注目すべき点はこの時期、金城姓の「キンジョウ」読みが一般化していなかったことです。大正期の移民名簿や人事録には「カナグスク」とあって城を「ジョウ」と読ませる事例はなく、また昭和期には、県外在住の金城姓は地域ごとに「カネシロ」「キンジョウ」などの読み替え傾向に違いがあり、国外の移民先では「キンジョウ」が確認できないといいます。どうやら呼称が統一されていなかったようなのです。

では金城姓の「キンジョウ」読みが主流となるのはいつでしょうか。実は戦後のことなのです。つまり、ヤマトの差別や同化政策のもとでの改姓の動きとは直接関係がなかったということなのではないでしょうか。武智氏はこの変化の理由についてまだ解明していないといいます。僕は米軍統治下でアメリカ人の呼びやすい読み方を採用したのかと推測しましたが、確証はありません。今後、氏の興味深い研究が進展するのが楽しみです。

参考文献:武智方寛「沖縄の姓の変遷についての考察」(『具志頭村立歴史民俗資料館年報』4号)

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コメント

地名は、変えられてないのもありますね。
新城島(あらぐすく)、豊見城村(とみぐすく)。

政策で強制的に変えるのはよくなかった。創氏改名。

横浜ベイスターズの金城(きんじょう)選手は沖縄出身ではないですね。

投稿: kayano | 2010年5月 1日 (土) 07:15

>kayanoさん
豊見城市も、村から市に変わる際に、「とみしろ」への変更が検討されたようですね、結局「とみぐすく」になりましたが。

投稿: とらひこ | 2010年5月 1日 (土) 12:04

法的な強制があったかどうかというのは、なかなか興味深いですね。

「東海林」という姓は普通「しょうじ」と読みますが、東北地方ではそのまま「とうかいりん」と読む家が多いです。
ですが、進学就職で上京すると、「しょうじ」としか呼ばれないので、面倒だから「しょうじ」と名乗っちゃう人がよくいます。
周囲からの無言の圧力を感じちゃうってのも、日本人らしいと思います。

投稿: nagamati | 2010年5月 1日 (土) 14:44

こんばんは。私の名前は沖縄風に言うとアラグスクが一般的なのでしょうね。愛知だとシンシロ、会津等ではシンジョウと変わりますが。
名前のせいでよく沖縄出身と間違われます。
そういえば、近隣の町に平子(タイラコ)と言う姓が多い場所がありますが、ヒラコと呼ばれる事が多いのでそのままに変えてしまう家が多いです。
スポッツ

投稿: スポッツ | 2010年5月 2日 (日) 00:29

那覇や南部のことは存じませんが、米軍との繋がり深い中部の「キンジョウ」さん(多くは山原からの移入組)からは、米軍に阿ったという話しを聞くことが出来ませんでした。
作戦時の地図で、1世・2世の地元発音による表記を採用する程のアメリカに配慮したのでは?という論拠はどこにあるのでしょうか?

私のように内地で何度も間違われるから、便宜上相手の呼称そのままにするという事例もあるのでしょうが、知人宅は結構深刻だったようですよ。
例えば、戦後の戸籍整備で比嘉から内地風に改姓した家がある字は、戦中、同姓同名が多く赤紙をたらい回しにした結果、非国民呼ばわりされた地域ですし。
他にも、「島袋」を「島」にした家の改姓の契機は、隊内で名前をネタに苛められた長兄が終戦で復員後、改姓を強く進言したためです。奄美出身者と思われることがあったそうですが、特に問題はなかったようです。

方言札の論考もそうですが、大宅の如く自我の強弱に還元するのが昨今の流れではあるのでしょうね。正直、津田左右吉のノルムそのままにベクトルが反転した印象を受けます。

投稿: 御茶道 | 2010年5月 2日 (日) 01:54

> nagamatiさん
姓の読み替えについては法的な強制はなく、自発的なものだったようですよ。

大正時代の議論にもありましたが、読み替えの理由の一つに利便性の問題もあったようです。ご指摘の「東海林」と同じような感じです。

>スポッツさん
新城を「シンシロ」と読む事例もあるんですか。知りませんでした。「平子」姓も上記の「東海林」姓と同じような読み替えがされているんですね。

>御茶道さん
本文でも書きましたように、読み替えの理由はあくまでも推測で確証はありません。それに僕は金城姓の読み替えをアメリカに阿ったから替えた、というニュアンスで書いたわけではありません。

ご指摘のように姓の読み替え、改姓はそれこそ様々な事例また理由があり、千差万別であっただろうと思います。そのような状況のなかで、戦前までバラバラだった金城姓の呼び方が戦後にいたり、一般化されていく現象は偶然ではなく、何か理由があるはずです。

そう考えた場合、前代になかった米軍統治時代という要因が何らかの影響を及ぼしていたのではないか(たとえばアメリカ人が呼びやすい発音のような)、そしてそれは強制や服従というということではなく、利便性や憧れ、漠然とした風潮のような、もっと広い意味で時代的な影響がないだろうか、と推測したのです。

投稿: とらひこ | 2010年5月 2日 (日) 02:26

東北地方も、沖縄と同じく方言礼があった所ですよね。 明治以降の政府のプレッシャーがあったのでしょうね。 九州でも同じ事はあったようです。 方言礼もそうですけど、別府と言う地名と名前がありますが、本当は「びゅう」と読みますが、戦後は「べっぷ」と読んでます。

投稿: まりきん | 2010年5月 2日 (日) 08:34

> まりきんさん
東北の方言札は初めて知りました。明治以前に「標準語」が普及していなかったわけで、それを考えれば不思議ではないかもしれません。

別府は本来は「びゅう」と読むのですね。面白いです。

投稿: とらひこ | 2010年5月 4日 (火) 00:06

こんにちは、
とても興味深い記事をありがとうございました、

わたしの実家は代々奄美諸島の沖永良部にねざしているもので
姓を金城(カナキ)_と読みます、

言い伝えによると、1770年頃、
当時のおおもとの家の屋号
上金城(ウイハナグスク)から瀬利覚(ジッキョ)という
集落に分家する際カナキ_にしたとのこと、

今、沖縄に行くと、迷われることなく
キンジョウさん! と呼ばれます^^‘

戦後、沖永良部は沖縄ではなかった_ということからも
納得のいく話しのながれだと思います、

沖縄への移住もかんがえており読み方をどうしようか‘_
と迷うところもありましたが、
ほぼ今の根拠が分かっているか、いないかでは
割り切り方も大ちがいです、

良い情報 ありがとうございました、

投稿: ヤスケン | 2010年5月18日 (火) 11:02

>ヤスケンさん
金城を「カナキ」とも呼ぶんですね、これは初めて知りました。なるほど、金城姓の呼び方の変遷を知るうえでも重要な情報だと思います。こちらこそありがとうございました。

投稿: とらひこ | 2010年5月18日 (火) 22:18

そういえば島根県には金城と書いてカナギと読む地名がありますよ。前から気にはなっていたんですが。今は市町村合併で浜田市に入っています。
たたら製鉄が盛んな地域だったらしいので、地名の由来はそれ関係ではないかと思いますが(石見銀山も近いといえば近い)。
沖縄の金城さんと何らかのつながりが見えるとロマンがありますの~。

投稿: 茶太郎 | 2010年5月20日 (木) 14:25

>茶太郎さん
これも初めて知りました。あまり考えたことありませんでしたが、沖縄の金城の地名の由来は何なんでしょうかね。

投稿: とらひこ | 2010年5月23日 (日) 09:48

県民には明治政府によって強制的に大和風の苗字にさせられたと言う人がいますが、実際には不便を感じた県民自ら変えたのが正解らしいですね?
話しは違いますが戦前の朝鮮の人の場合も同様で日本で働きたい等の理由で朝鮮の人が自ら変えたのが正解と聞いた事あります。言われてるような日本の強制はないと言うことだと思います。
また島津氏によって奄美は一字性、琉球は三字性と決められたようですが、琉球の場合は徹底されてなかったようですが実際はどうなんでしょうね?

投稿: ひで | 2010年5月25日 (火) 09:53

>ひでさん
日本政府が大和風の姓を強制したという事実はありませんが、不便という理由に加えて、そのままにしておくと「沖縄人」として差別の対象になるという理由もありました。やむにやまれず改姓いう人も当然いました。

今回の記事の内容は大和風への改姓・読み替えには強制以外の理由もあったということであって、強制性そのものの否定をしているわけではないことを留意してほしいと思います。

島津氏は支配初期の頃、琉球へ「大和めきたる名字」を禁じたことはありますが、三文字姓に変更させられたとの事実は、僕が知るかぎりではありません。二字姓がいるのは法令が徹底していなかったのではなく、そもそもそうした規制がなかったということだと思います。

投稿: とらひこ | 2010年5月25日 (火) 14:35

いつも丁寧なコメントありがとうございます。
よく読み返すと「同化政策・・」もあったようですね。
それを文化弾圧とみるか?沖縄県民が県外に出て
差別されない為の明治政府の配慮なのか?
って思ったとこです。

三字姓の件は沖縄の苗字については色々言われてますら
私も勘違いしていたようです。。。

投稿: ひで | 2010年5月25日 (火) 19:00

>ひでさん
姓の読み替え、改姓の理由は強制一色でもないし、かといって完全に自由だったわけでもない、つまり千差万別だったということだと思います。

投稿: とらひこ | 2010年5月28日 (金) 14:49

キンジョウ姓が当たり前です。
カネシロ読みは昔、台湾から移住して来た人達が
使っていた読み方です。
カナグスクとかカナグシク読みは只の地名の方言読み方だと思いますが?
名前の姓でカナグシク、カナグスク読みは無いですよ。

投稿: 純粋な沖縄人 | 2015年5月24日 (日) 16:00

>純粋な沖縄人さん

武智方寛『沖縄苗字のヒミツ』を読んでくださいね。

投稿: とらひこ | 2015年6月 4日 (木) 22:47

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