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2010年5月15日 (土)

ラッコとサメの贈り物

ラッコといえばあのカワイイ海の動物で、水族館の人気者です。北海道から千島列島、アリューシャン列島、アラスカにかけての寒い海に生息しています。

1434年、琉球王府ナンバー2の地位にあった華人の懐機(かいき)は国王の尚巴志とともに、日本刀や金箔の屏風などともに何とラッコの皮100枚を中国皇帝に献上しています(『歴代宝案』)。献上品のリストには「海獺皮」と記されています。

ラッコの皮??ラッコは沖縄の海には生息していません。懐機はどうしてこんなものをプレゼントできたのでしょうか。

このラッコの皮は、エゾ地(北海道)のアイヌたちの重要な交易品でした。この当時、彼らは「交易の民」として和人たちと対等以上にわたりあっていました。アイヌは狩猟民としての性格が強調されますが、狩猟はむしろ交易品を調達するためであったといえるでしょう。アイヌたちが獲ったラッコの皮はやがて和人たちに売りさばかれ、日本海を通って、やがて琉球へとたどり着いたのです。おそらく北方の重要拠点だった青森の十三湊(とさみなと)を経由したことでしょう。

今から約600年前に、北海道と沖縄はつながっていたんですね。ウチナーンチュはラッコを(皮ですが)見たことがあったということです。

ちなみにこの時、尚巴志と懐機はラッコの皮のほかにサメの皮(あるいはエイの皮)4000枚、ヤコウ貝8500個、タカラ貝550万個をいっぺんに贈っています。これだけのぼう大な海産物を調達したということは、琉球中の海人(ウミンチュ。漁師)たちを総動員したのかもしれません。

サメはさらに2年後の1436年にも皮3000枚贈られています。短期間に7000頭も乱獲して大丈夫だったのでしょうか(汗)。逆に考えれば、当時の沖縄の海にはサメがうようよしていたということでしょうか。沖縄には現在もサメがいるので絶滅はしていないわけですが、もしかしたら沖縄近海にしばらくサメが見えなくなったかもしれませんね。

参考文献:真栄平房昭「琉球王国における海産物貿易」(『歴史学研究』691)

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