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2010年5月 8日 (土)

海が歴史をつくる

沖縄の歴史は海とともに育まれてきました。人々は移動手段として船を利用し、島嶼間をさかんに往来しました。船と移動、海に囲まれた地理的環境を念頭に置きながら、沖縄の歴史をみていく必要があるように思います。

南西諸島ではどこの海岸でも船の停泊ができると思うかもしれませんが、実はそうではありません。島々はほとんど周囲をサンゴ礁で囲まれており、風を頼りに移動する帆船は座礁する危険が常にありました。また台風の際には、外海に船を停泊させていると波の影響をもろに受け沈没してしまいます。海外に渡航するような大型船が停泊できる場所は、沖縄にほとんどなかったのです。

18世紀の政治家・蔡温は『独物語』のなかで、琉球には良い港が少なく、リーフ(干瀬)で船の座礁が続出していることを挙げ、サンゴ礁を開削して各間切に港を新設することを提案しています(真栄平房昭「蔡温の海事政策」)。近距離を移動する中小型船でさえ、このありさまだったのです。

ところで、当時の海を移動する人々の地理感覚をうかがえる興味深い史料があります。15世紀中頃の様相を記した『琉球国図』(沖縄県立博物館蔵)です。南九州―琉球間の航海図で、作成には博多の海商が関与したと考えられています。図中には赤い線で航路、島々と博多からの距離が記されています。

そこで注目されるのが「港」の記載です。沖縄島には4つの港湾拠点しか記されていません。那覇・泊港(泊は域内専用港)、運天港、瀬底浦(本部の渡久地港か)、そして中城湾です。海をよく知る当時の航海者たちがこれらの場所を停泊拠点と認識していたことは大きな意味を持ちます。

Photo

『琉球国図』の港と航路

3つの港湾の近くには琉球の政治的な重要拠点がありました。那覇港には琉球王府が所在する首里城。運天港には北山王と北山監守の居城であった今帰仁グスク。中城湾にはその繁栄ぶりをヤマトの鎌倉に例えられた勝連グスク。これは偶然の一致なのでしょうか。いや、そうではないと思います。海から港湾へ流入する富と力を得たことによって、彼らは勝者となることができたのではないでしょうか。

権力者が港を生み出したのではなく、港が権力者を生み出したのです。

参考文献:真栄平房昭「蔡温の海事政策」(『しまたてぃ』38号)、上里隆史・深瀬公一郎・渡辺美季「沖縄県立博物館所蔵『琉球國圖』-その史料的価値と『海東諸国紀』との関連性について-」(『古文書研究』60号)

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