謎のグスクついに判明
沖縄各地に点在するグスク。その数は300以上あるといわれ、まだまだ謎の多い遺跡です。
謎のグスクとして「アギナの城」があります。このグスク、550年前の様相を描いた『海東諸国紀』や『琉球国図』に登場するのですが、地図上には沖縄島南部の西側に小島があり、そこに「阿義那(あぎな)之城」と記されています。このグスク、いったいどこのグスクに当たるのかはっきりせず、いろいろと推測されてきました。
名前から「安慶名グスク」じゃないか、との説がありますが、安慶名グスクは中部にあり(うるま市)、場所がまったくちがうのでかなり厳しいです。また小島という地形から、瀬長島の瀬長グスクじゃないかという説もあります。たしかに瀬長島にはグスクがあり立地的な条件としてはピッタリですが、名前がまったくちがいます。瀬長島が安慶名という別名で呼ばれていたとは確認されていません。
では、この「阿義那之城」とはいったいどこなのでしょうか。正解はものすごく単純でした。地図上の地点に当たる場所を忠実にみていけば良かったのです。江戸時代に作成された国絵図には、糸満の海岸部に小島がひとつ描かれています。その名前は「あいけな島」。現在ではエージナ島と呼ばれる島で、北名城ビーチの対岸に位置します。「エージナ」は「あいけな」が沖縄風になまって、こう呼ばれているようです。つまり「阿義那之城」は、エージナ島にあったグスクだったのです。あまりにも小さな島だったので全然気にも留めずウカツでした。完全に見落としていました。
ただ、ここでまた新たな謎が浮上します。『海東諸国紀』や『琉球国図』に記されているグスクは550年前の当時、実際に機能していたグスクを書き記したと考えられ、首里城や勝連グスク、浦添グスクなど世界遺産クラスの大型グスクばかりであり、小さなグスクは除外されています。エージナ島に大型グスクがあったとは寡聞にして知りません。エージナ島は3つの島が連なり、干潮時には歩いて渡れるそうで、居住するのにそれほど不便ではありません。同じようなタイプに伊計島の伊計グスクがあります。しかしこのような小島になぜ「城」を築く必要があったのか。誰が住んでいたのか。謎は深まるばかりです。
いずれにせよ、550年前、このエージナ島に南山グスク、大里グスク、玉城グスクに匹敵するような有力グスクがあった可能性を『海東諸国紀』や『琉球国図』は示してくれています。これまでエージナ島はグスクの分布調査でも未調査の区域らしいです。ぜひ糸満市のほうで実施してもらいたいものです。思わぬ発見があるかもしれません。
※グスクを調査した結果は、来週報告します。お楽しみに。