イスラム教と琉球
イスラム教といえば11億人もの信徒を持ち、キリスト教・仏教とならんで世界三大宗教のひとつとされている宗教です。その中心は西アジア・アフリカですが、イスラム商人の活動を通じて東南アジアにも普及していました。
ちょうどその頃、琉球では統一王国が成立し、アジア各地へと交易に出向いていました。東南アジアでとくに交流があったのがシャム(現在のタイ)、そしてマレー半島南部のマラッカです。マラッカはもともと小さな漁村でしたが、やがて東南アジア最大の港湾都市となり、港には実に84の言語を話す人々が集まっていました。マラッカ王はイスラム教に改宗し、西のイスラム商人との結びつきを強めていました。つまり琉球の人々はイスラム教にふれる機会があったのです。
東南アジアだけではありません。当初、中国における琉球船の寄港地は福建省の泉州という場所でしたが、ここはかつて海のシルクロードの拠点として栄えた交易都市で、あの有名なマルコ・ポーロも訪れています。彼は泉州を「世界最大の港」と評しています。港町にはインド方面からやってきたイスラム商人も住んでいました。現存する中国最古のモスクは、実はこの泉州にあります(清浄寺)。
琉球人の滞在施設(琉球館)もこのモスクから歩いてすぐの距離にありました。琉球人は中国でも日常的にイスラム教と接する機会があったはずです。ちなみに泉州は現在でも数万人のイスラム教徒がいるそうです。
さらに興味深いのは、中国には琉球との交渉のために、琉球語の話せる中国人通訳がいたことです(土通事といいます)。15世紀、この通訳だった林親子はイスラム教徒の家系でした。ウチナーグチを話す中国人のイスラム教徒・・・なにやらチャンプルーすぎてワケがわからなくなりそうですね。
このように琉球はイスラム教と接する機会が少なからずあったことがわかります。ではイスラム教は琉球に伝来し、人々はそれを信仰したのでしょうか?那覇には東南アジアの人々が滞在していましたし、状況から考えれば伝来していた可能性は充分にあります。しかし不思議なことに、歴史の記録や現在に残る文化・風習からイスラム教の影響は見出せません。
私たちがイスラム教に注目していなかったので、これまで気づかなかったのかもしれませんが、おそらく、イスラム教が琉球の人々の宗教観になじまなかったのではないかと僕は考えています。琉球では外から来た宗教に対し、伝統の世界観にマッチする宗教・宗派だけを受け入れる傾向があるからです。
【画像】中国最古のモスク、清浄寺に残るアラビア文字の墓碑
参考文献:王連茂「泉州と琉球」(浦添市教育委員会編『琉球―中国交流史をさぐる』)上里隆史「15~17世紀における琉球那覇の海港都市と宗教」(『史学研究』260号)
※琉球の外来宗教の受容については【こちら】を参照。
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