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2010年2月 6日 (土)

“お宝王国”琉球

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交易でさかえた琉球王国には、アジア各地からさまざまな品物が入ってきました。その繁栄ぶりを記した「万国津梁の鐘」には「異産至宝は十方刹(じっぽうさつ)に充満せり(珍しい宝はいたるところに充満している)」とあるように、非常に高価な宝物が満ちあふれていたのです。

たとえば首里城の京の内という地区の調査からは、たくさんの中国陶磁器が出てきましたが、そのなかには何と世界で4点しか確認されていないという水差し(水注)や、世界で21点しかない杯(馬上杯)が見つかっています。水差しは北京の故宮博物院に2点と陶磁器の産地・景徳鎮でカケラが1点見つかっているだけです。

お宝はこれだけではありません。首里城で国王が日常の執務を行う書院という場所には、中国の貴重な絵画が所蔵されていました。そこには鎌倉・室町時代の日本で爆発的な人気を呼んだ牧渓(もっけい)、また南宋の宮廷画家・劉松年(りゅうしょうねん)、明の四大画家として名高い仇英(きゅうえい)などの作品があり、首里城の書院を飾っていたのです。

現在、日本に残る牧渓の作品は国宝に指定されており、劉松年の作品は中国皇帝のコレクションでも17点しかありません。また仇英の絵画は2007年のオークションで、何と約12億円という破格の値段で落札されています。これは中国絵画作品としては世界最高の落札価格だそうです。琉球にはこうしたスーパー・プレミアムなお宝がたくさんあったわけで、琉球は「宝の島」だったといえるかもしれません。今からはとても想像もつきませんね。

琉球はこうしたお宝を、薩摩役人の接待する際にもしばしば飾りました。国王の後ろの床の間にさりげなく掛けられている、見たこともないお宝に、薩摩武士たちは度肝をぬかれたかもしれません。絵画は単なる美術的な鑑賞品という性格を超えて、琉球国王の権威と文化レベルの高さを内外に示す政治的な性格も帯びていたのです。

では、この貴重なお宝はなぜ現在の沖縄に残されていないのでしょうか。それは何度かの首里城の火災で焼失したものもあるでしょうし、1879年(明治12)に琉球王国が崩壊して文物が県外・海外に流出したことにくわえ、先の沖縄戦で失われてしまったことなどが理由としてあげられます。永久に失われたかに思える美術品ですが、すべてが消えたわけではありません。海外に流出した琉球の宝物を沖縄に取り戻していこうという動きもありますので、やがて沖縄でそのお宝を見ることのできる日が来るかもしれません。

参考文献:真栄平房昭「琉球王国に伝来した絵画」(『沖縄文化』100号)

【画像】首里城の書院と庭園。ここに貴重な宝物が所蔵されていた。

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コメント

「琉日戦争一六〇九」、売れてますか。
下記サイトに池澤夏樹さんの書評が載ってますよ。
これでよく売れるでしょう。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20100207ddm015070004000c.html
三大悲劇のひとつか。

投稿: kayano | 2010年2月 8日 (月) 00:01

>kayanoさん
書評の情報、ありがとうございました。おかげさまで反響があり、売れております。

悲劇のクローズアップというより僕は事件を淡々と記述したつもりなのですが、何にせよ拙著を紹介してもらったのはありがたいことです。

投稿: とらひこ | 2010年2月10日 (水) 00:07

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