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2010年1月30日 (土)

戦国インテリジェンス―海域アジアをめぐる諜報戦―(6)

かなり間が開いてしまいましたが、【こちら】のつづきです。

明の島津氏懐柔工作
明側は豊臣政権に反発する島津氏に目をつけました。1595年(万暦23、文禄4)に福建巡撫となった金学曽(きんがくそう)は諜報員として劉可賢を日本に派遣し、さらに1598年4月には漳州の儒生・林震虩(りんしんげき)を海商に変装させ、工作活動のため薩摩へ派遣しました。林は許儀後郭国安に接触し、持参した銀800両を与えて島津氏が豊臣政権より離脱するよう説得しています(『錦渓日記』)。

許儀後らに提案した計画とは、明軍の精鋭100万で朝鮮を奪還した後、対馬・壱岐に渡海し、さらに琉球やシャム(タイ)、安南・交趾(ベトナム)、さらにポルトガルなどの諸国が兵船1万余で薩摩から日本へ侵攻するという驚くべきものでした。島津氏はその先導役をするということです。実際に島津氏が秀吉に反旗をひるがえす可能性はほとんどありませんでしたが、林の意を受けた許儀後・郭国安は島津義弘の在陣する朝鮮慶尚道の泗川へ向かい、説得活動に当たったといいます。

許儀後はさらに福建の明軍2万が薩摩から上陸し、島津軍4万と共同して秀吉を討つ計画を提案したようです(『徐文定公集』)。実際に許孚遠は1594年に軍船2000隻、兵20万で日本へ侵攻する計画を明朝廷に上奏しており、また朝貢国シャムからの援軍を対日戦に投入する案を兵部尚書の石星は本気で検討し(『万暦野獲編』)、またシャム側も援軍を申し出ていました。

日本軍と明・朝鮮軍との間で実際に戦闘が行われていたのは朝鮮半島でしたが、この戦いは秀吉が大陸の明を征服するための全面戦争(「唐入り」)であって、南の中国沿岸から東シナ海地域は決して無関係というわけではありませんでした。

琉球の鄭迵陳申は「秀吉は在日明人を先導役に南京・浙江・福建から侵攻する計画である」との情報を明にもたらしたように、福建をはじめとした中国沿岸の人々にとって秀吉の侵攻は目の前の脅威としてとらえられました。それはかつての「嘉靖大倭寇」の記憶と重なり、その悪夢を呼び覚ますものでもありました。別働隊がいつ中国本土に直接来襲するかわからない緊迫した状況で、明は1567年以来解除していた海禁政策を一時復活し、沿岸地帯の軍備強化が提起されるようになります。

「関白」来襲の噂
また秀吉の朝鮮出兵に合わせるかのように、琉球の漂着民を「倭人」と誤認する事件も続出しています。これは明側が日本への警戒から、漂着民を忠順な朝貢国の「琉球人」と敵対する「倭人」とに判断する必要が生まれ、当時の海域と境界で生きる「所属が曖昧な人々」をも強引に峻別することにより、引き起こされたものでした。

江南では秀吉への関心が高まり、多くの人々の関心事となります。秀吉中国人説が当時有力視され、はては秀吉の正体は「蛟(みずち)」という化け物であるとの風説が出回り、こうした題材の物語(『斬蛟記』)が大反響を呼びました。太倉(上海と蘇州の間に位置)では秀吉来襲に備えて拳法自慢を集め、軍事教練の真似事を行う名門の子弟たちもいたといいいます。明の人々にとって「関白来襲」の衝撃はそれだけ大きかったのです。

1598年、豊臣秀吉の死によって朝鮮半島の日本軍は撤退、こうして東アジアを巻き込んだ動乱は終結し、秀吉の野望ははかなくも消えました。この戦争は朝鮮半島に限定されたものではなく、環東シナ海世界ではとくに「情報」による戦いが行われていたことを忘れてはならないでしょう。

参考文献:上里隆史『琉日戦争一六〇九』、長節子『中世国境海域の倭と朝鮮』、中砂明徳『江南』、渡辺美季「琉球人か倭人か」(『史学雑誌』116編10号)

(おわり)

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2010年1月23日 (土)

南の島に雪が降る

Photo

亜熱帯の沖縄では冬でも零下を下回ることはなく、雪が降ることはありません。しかし1999年12月、那覇市のパレット久茂地前で雪が降る様子がビデオ撮影され、ニュースになったことがあります。気象台は「当時の気温は13度で、そんなことはありえない」と反論しましたが、ビデオを見るとたしかに雪のようでもあり、真相は不明です(こちら参照)。

沖縄で気象観測がはじまって「雪」と観測されたのはただ1例、1977年久米島においてのみです。しかしこれは完全な雪ではなく正確には「みぞれ」でした。やはり沖縄に雪が降ることはないのでしょうか。ちなみに2005年には国頭村の奥で過去最低の5.2度を観測、同じころ奄美では山頂に雪も確認されたとのこと。

実は王国時代の記録(『球陽』)をみてみると、「ひょう」や雪が降ったことが確認できます。たとえば1774年、久米島では雪まじりの雨が降り、草木の葉に雪が積もったそうです。1845年には北谷に雪が降り、恩納から今帰仁にかけてはピーナッツほどの「ひょう」や降ったとあります。そして1816年には、久米島で降雪がありましたが、何と2.5センチの積雪だったといいます。この時、島の作物は枯れてしまったそうです。明らかに雪です。そして同年、伊平屋島では6センチの積雪(!)が確認されています。

こうした雪の記録は、にわかには信じがたいかもしれませんが、僕はかなりの信ぴょう性があると考えています。実は雪が観測された18、9世紀、地球の気候は小氷期に入っていて、世界全体が寒冷だったことがわかっています。現在の温暖化の逆パターンですね。さらに1707年には日本で富士山が噴火、1783年には浅間山(群馬・長野県)が噴火し、上空を火山灰におおわれた列島では寒冷化がいっそう進み、凶作・ききんも広まりました。この時期の江戸(東京)ではなんと2メートルの積雪(!)もあったほどです。こうした影響が南の琉球にも波及した可能性があります。

この時期の沖縄は今よりも平均気温が低く一段と寒い気候で、「あられ」や「ひょう」はもちろん、雪が降ることも充分にありえることだったわけですね。つまり世界的な気候変動が沖縄に雪を降らせたというのが真相です(それでも非常にまれなケースなので、歴史書に記録されるわけですが)。

 ちなみに王国時代の琉球人はちゃんと雪を知っており、琉歌などでも雪を題材にしたものもあります。これは当時、中国の北京や日本の江戸などに行く機会があったので、海外で降雪を体験する人が結構いたというわけです。

参考文献:『球陽』、北村伸治「沖縄の雪の古記録、沖縄近海の異獣古記録」(『沖縄技術ノート』4号)

【画像】鹿児島の琉球館跡。ヤマトに行った琉球使節は雪を見る機会があった。

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2010年1月22日 (金)

『琉日戦争』インタビュー記事!

沖縄の情報サイト「ryuQ」に拙著『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』(ボーダーインク刊)についてのインタビュー記事が掲載されました。

『琉日戦争一六〇九』インタビュー【前編】

『琉日戦争一六〇九』インタビュー【後編】

ぜひご覧になってください。桑村ヒロシさん、どうもありがとうございました!

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2010年1月20日 (水)

ジュンク堂でトーク&サイン会!

ジュンク堂でイベントを開催します。

ボーダーインク刊『琉日戦争一六〇九』発売記念
『目からウロコの琉球・沖縄史』の著者
上里 隆史 トーク&サイン会

日時 1月24日(日)15:00~ トーク&サイン会  ※トーク参加無料
場所 ジュンク堂書店1F入り口前特設会場

●ボーダーインク刊『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』をお買い上げのお客様先着100名の方に整理券を配布致します。
●イベント当日は整理券を必ずお持ちください。
●サイン会は整理券番号順にお並びいただきます。

※ジュンク堂那覇店の場所は【こちら

サイン会なんて正直恥ずかしいので遠慮したいところなのですが、新刊プロモーションの一環なので頑張ります。

↓誰も来なくて、こんな感じになるのが心配です(笑)

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みなさまどうか、ご参加よろしくお願いします。

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2010年1月16日 (土)

島津侵攻秘話(6)

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2009年がすぎましたが、まだ「2009年度」内ということで(笑)、島津軍の琉球侵攻にまつわるお話を続けたいと思います。

細川藤孝が送った歌
1609年、島津軍の琉球侵攻に際し、細川幽斎(藤孝)は島津義久に次のような歌を送ったといいます。

いはふとも義久敷のあらなみに 島津たひしてゆけや琉球

「義久」と「好し久しき」、「島津たひ(旅)」と「島伝い」をそれぞれかけています。

細川幽斎は豊臣政権時、石田三成とともに秀吉と島津氏の間をとりもった取次役をしていました。秀吉の対琉球政策にもかかわっていた人物です。こうした縁から幽斎は義久に歌を送ったと考えられます。

また義久は琉球侵攻について次のような句も詠んでいます(『旧記雑録』)。

むかふ風あらぬは梅のにほひかな

「向かい風(が吹いた)。(そのせいで)思いもよらず梅のにおいがこちらに漂ってきた(思いもよらずめでたい)」 ほどの意味と考えられます(沖縄短歌界のホープ、屋良健一郎氏のご教示による)。船団の出帆にかけているのでしょうか。

こうした文学作品から島津侵攻事件をひもといていくと、新たな事実が明らかになるかもしれませんね。

参考文献:『真境名安興全集』3巻

【画像】島津の船団が出航した鹿児島山川港。

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2010年1月13日 (水)

琉神マブヤー、最終回!

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「琉神マブヤー外伝 SO!ウチナー」、いよいよ今週が最終回です。おかげさまで前作と同様にご好評をいただいているようです!

最終回はいよいよ悪の軍団・マジムンの首領、マジムンキングとマブヤー・ガナシーの対決となるのか!?マジムンキングの封印は果たして解かれるのか!?乞うご期待。

今回のマブヤー制作に参加して、これまでにない貴重な経験をさせてもらいました。一番の感想は、あれこれ評論するのは簡単でも何かを創るというのはとても難しいということでしょうか。出演するキャストはもちろん、脚本・演出など舞台裏で支えているみなさんのチームプレイがあって、はじめて番組が成り立っているんだと実感しました。

この経験は僕にとって、異業種、まったくちがう思考パターンで仕事をする人々との「異文化交流」だったと思います。対外世界との外交・貿易史を専門とする立場からも勉強になりました。マブヤースタッフのみなさん、おつかれさまでした&ありがとうございました!

最終回は1月16日(土)10:30より琉球放送(RBC)で放映です。

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2010年1月 3日 (日)

ラジオに連続出演!

皆さま、明けましておめでとうございます。

いきなりですが、FM沖縄(87.3MHz)の「オリオンびあぶれいく」(18時20分~30分放送)の1月のマンスリーゲストとして出演します!

放送日は1月4日、11日、18日、25日の全4回です。

沖縄にお住まいの方、お時間ある方はぜひ聞いてみてください!

今年も「目からウロコの琉球・沖縄史」をどうぞよろしくお願いします。

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