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2009年12月 2日 (水)

琉球・山川港交流400周年イベントを終えて(2)

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ディスカッションの後と「くるま座文化交流」と2日目には芸能交流が行われました。指宿を中心に活動するツマベニ少年太鼓は勇壮で圧倒されました。日本太鼓ジュニアコンクールで優勝する腕前。

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重要無形文化財となった「琉球舞踊」保持者の玉城節子先生の舞踊、与論島出身で現在、鹿児島で琉球舞踊を教える竹内エミ子先生の舞踊があり、奄美の島唄は徳之島の是枝三姉妹が美声を披露(真ん中の子は風邪気味でちょっとつらそうでしたね)。山川からは琉球傘踊りが舞われました。

また2日目は琉球人鎮魂墓碑と琉球人望郷の碑の除幕式が行われました。僕は諸々の手違いで残念ながら参加できませんでしたが、事前に永田さんより案内されていたので実際に見ました。かつて山川にあった琉球人墓地は明治になり破壊されました。それを山川の人たちが数百万円を集め、建立したのです。

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望郷の碑は当地で客死した琉球人の無念をしのび、山川港を見下ろす愛宕山に建てられたもの。碑は沖縄から琉球石灰岩をわざわざ取り寄せ、プレートは1枚の薩摩焼で作られています。焼き物のプレートは永田さんの知人の陶工さんに頼み、何度かの失敗を経てようやく完成したとのこと。これらの事業も行政はノータッチのようです。山川の皆さんのまごころを強く感じました。

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山川の町歩きは残念ながら参加できませんでしたが、早朝に少しだけ山川を巡りました。面白かったのが「石敢当」がいたるところにあったこと。将棋のコマの形をしたものも。あちらでは「いしがんとう」ではなく「せっかんとう」と呼ぶようですね。またあるお宅の玄関にはシーサーも飾られていました(笑)路地に入っていくと「唐人町(トジンマッ)」という通りが。16~17世紀、山川港は琉球だけではなく、中国や東南アジア、さらにヨーロッパともつながっていた場所でした。九州各地には華人居留地の痕跡が「唐人町」という地名で残っていますが、山川の「唐人町」からも海域世界との交流をうかがうことができました。

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なおイベントの前日には、地元の地域史研究家の方に牧聞神社のほうも案内してもらいました。雄大な開門岳のふもとに位置するこの神社には、王国時代に琉球の官人たちが奉納した扁額がいくつも残されていて、それを見学。扁額は首里城にある復元品を見たことがありますが、牧聞神社の扁額は数百年前の風格を感じます。おそらく首里城の扁額もこれを参考にしたはずでしょうから、実物を見ることができ感動でした。また宮司さんからは特別に本殿の龍柱も見せてもらいました。本殿欄干の擬宝珠は何と慶長15年(1610)の銘が。島津義弘によって造営されたようですが、1609年から1年後というところに何やら考えさせられました。

わずか3日でしたが、山川の人々の温かいもてなしと琉球との交流の痕跡を実見することができ、大変心に残るイベントでした。山川という地域のパワーも実感することができました。本当にありがとうございました!

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コメント

>それを山川の人たちが数百万円を集め、建立したのです。

民間で数百万円というのは凄いですね。

>九州各地には華人居留地の痕跡が「唐人町」という地名で残っています。

トウボウ(唐房・唐坊・当方・当房・東方など)という地名も良く残っていますよね。トウボウの方が「唐人町」より古いようですが。
あと日本の場合、「唐」という言葉には高麗・朝鮮も含まれており、朝鮮人居留地が「唐人町」と称されるようになったケースも見られるようです。

投稿: 御座候 | 2009年12月 2日 (水) 12:12

>御座候さん
博多にもたしかトウボウがあったような。「唐人」は漠然とした概念だったようですね。地図に日本と琉球との境を「唐・日本の境」と表記していたものもありました。

投稿: とらひこ | 2009年12月 3日 (木) 16:07

私も若い頃鹿児島に住んだ経験があります。鹿児島人の風貌もそうですが言葉が近いのは驚きました。
よーがーひーがー→よんごひんご
にーぶいかーぶい→ねぶりかぶり
にーせー→にせ
それと「ごーやー」は鹿児島で「苦ごい」です。多分「ごい」
が転訛して「ごーやー」に。「あたびちゃー」は鹿児島では「びっき」です。これも転訛して「びちゃー」
でも「ごい」ってなに?「あた」?「びっき」は?って思います。
(笑)言語学者の中では解決してる事なんでしょうが。。
まあ一見外国語のような琉球語も日本語由来だと言う事は
間違いないようですね。。

投稿: ひで | 2010年5月25日 (火) 20:18

補足します。
ニガウリとカエルは微妙です。。
あくまでも個人的見解です。

それと鹿児島では急須のことをチョカって言ってました。
多分、沖縄のチューカーと関係ありそう・・・

投稿: ひで | 2010年5月27日 (木) 01:41

>ひでさん
沖縄の「テーゲー」も九州では「テゲテゲ」と言って共通する言葉のようですね。隣なので文化的な影響は当然あると思います。

投稿: とらひこ | 2010年5月28日 (金) 14:54

「ねぶりかぶる(眠りかぶる)」は
福岡県でも使います

さっきNHK教育の子供番組で
「にーぶいかーぶい」が出て来て、
ああこれは眠りかぶりの沖縄バージョンだろうな
とピンと来ました。
それでGoogleで検索してみて、こちらへたどり着きました。

テーゲーは「大概(たいがい)」ではないのですか?
こちらでは子供の騒ぎが度を過ぎたときに
「たいがいにしちょかんね!」と叱ったり、
細かいところまでこだわって仕事をして時間がかかっている人に
「たいがいでよかが」と言ったりします。

投稿: ほげ | 2010年8月23日 (月) 08:09

>ほげさん
九州地方と沖縄の言葉は結構同じ語源のものがあるようですね。「てげてげ」なんてのも。

テーゲーは王国時代の史料では「大形(たいぎょう)」という表現で出てきますが、今言われているテーゲーはご指摘のような意味と同じみたいですね。

投稿: とらひこ | 2010年9月 1日 (水) 09:51

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