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2009年12月24日 (木)

グスクと「太陽の穴」

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世界遺産に登録された首里城をはじめとしたグスク。王や按司などのリーダーが居住し、支配の拠点となった場所です。彼らは「世の主(世界の主)」または「テダ(太陽)」とも称される存在で、グスク内で自らを権威づけるさまざまな儀礼をとりおこなっていました。

ところで琉球では、ニライ・カナイという海の向こう(とくに東方)にある別世界が存在し、そこには太陽が生まれる「テダが穴」という穴が存在すると信じられてきました。当時の人々には「地球は丸い」という観念はありません。穴から生まれた太陽は上空を通り、やがて西方の「テダバンタ(太陽の崖)」に落ちていくと考えられ、沈んだ太陽は地底の穴を通って、東方の「テダが穴」から再び生まれてくると信じられていました。もちろんこれは事実ではありませんが、大事なのは当時の人たちがこうした観念にもとづいて世界を解釈していたという点です。

古琉球の歌謡集『おもろさうし』には、「太陽に向かって、グスクの城門を開けて」と謡ったオモロ(神歌)があります。どうやら城門を「穴」に見立て、そこに太陽の光を入れようとしたことが読みとれます。つまり城門が「テダが穴」の擬似装置の役割をはたしていたということができるのではないでしょうか。

南城市にある玉城(グスク)の門は、夏至の日の出の方角とピッタリ一致することが知られています。1年の中で太陽がもっとも長く出ている日に、グスク内に太陽のエネルギーを取り込もうとしたことがうかがえるのです。夏至の日の出の方角と一致するのは玉城だけではありません。何と中グスクや糸数グスクなど、他のグスクにも共通して見られる構造なのです。また門だけでなく、グスクの建物も日中の太陽の方角、南に向けられているものが多数あります。

このように古琉球では太陽の方角が強く意識されていたことがわかります。これは現代の常識・感覚ではなく、彼らの世界観をもって解釈しなければ見えてこないことなのです。

興味深いのは、時代が経ってくるとグスクの建物が南向きから西向きに変わる傾向があることです。これはグスクにいる按司(または王)が太陽と対峙する存在から、権力の強大化にともない、東から西へ向かう太陽そのものになったことを意味しているのではないでしょうか。

観光で何気なく巡っているグスクには、まだまだ古琉球世界の真相に迫る手がかりが隠されているはずです。

【画像】中城グスクの裏門。アーチ門は夏至の日の出と一致する。

参考文献:安里進『琉球の王権とグスク』、高良倉吉『沖縄歴史への視点』

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コメント

テンペストの研修をきっかけに、上里先生のファンになりました(*^o^*)
記事読ませていただいてます奥が深~くて 楽しいです(^◇^)
歴史を生き生きと感じるような気がしますありがとうございますshine

投稿: 亜鐘 | 2011年2月19日 (土) 17:58

> 亜鐘さん
先日はご参加ありがとうございました!

これからも面白い歴史の話を探してきてどんどん紹介しますので、こちらのブログをどうぞよろしくお願いしますね(あとできればランキングボタンのクリックも・・・笑)

投稿: とらひこ | 2011年2月21日 (月) 11:17

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