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2009年12月27日 (日)

しばらくお休みします

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今年、2009年は「島津氏の琉球侵攻400周年」尽くしの年でした。各種シンポジウム・講演・イベントに参加し、また拙著『琉日戦争一六〇九』の執筆に1年の大半を費やしました・・・

3月13日の沖縄県博講演「新視点・薩摩の琉球侵攻」から始まり、4月22日の今帰仁村・文化財講座「薩摩の琉球侵攻と今帰仁」、9月12日県博「豊臣秀吉と琉球」、9月30日の那覇市歴博「島津軍の琉球侵攻とその背景」、11月14日新宿「奄美と沖縄をつなぐイベント」、11月28・29日の鹿児島県指宿「琉球・山川港交流400周年イベント」、また島津侵攻に関するコラム・小論を琉球新報や沖縄タイムスなどにも寄稿しました。

僕にとっては、400周年のための1年だったといえるかもしれません。沖縄の歴史的な節目に、僕の活動がほんの少しでもお役に立てたとすれば嬉しいです。

400周年が終わり、来年はようやく、僕の専門である古琉球史に全力をあげることができます。すでに古琉球の奄美喜界島、金工品に関する論文、古琉球前期(三山・第一尚氏期)の歴史を総括する論文を準備中です。大手出版社の論文集に掲載される「琉球の大交易時代」も完成済みで、まもなく刊行予定です(2年前に書いたので、できれば早く出してほしいのですが・・・)。「海から見た古琉球」の新たな歴史像にご期待ください。

それではみなさん、良いお年を。

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2009年12月24日 (木)

グスクと「太陽の穴」

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世界遺産に登録された首里城をはじめとしたグスク。王や按司などのリーダーが居住し、支配の拠点となった場所です。彼らは「世の主(世界の主)」または「テダ(太陽)」とも称される存在で、グスク内で自らを権威づけるさまざまな儀礼をとりおこなっていました。

ところで琉球では、ニライ・カナイという海の向こう(とくに東方)にある別世界が存在し、そこには太陽が生まれる「テダが穴」という穴が存在すると信じられてきました。当時の人々には「地球は丸い」という観念はありません。穴から生まれた太陽は上空を通り、やがて西方の「テダバンタ(太陽の崖)」に落ちていくと考えられ、沈んだ太陽は地底の穴を通って、東方の「テダが穴」から再び生まれてくると信じられていました。もちろんこれは事実ではありませんが、大事なのは当時の人たちがこうした観念にもとづいて世界を解釈していたという点です。

古琉球の歌謡集『おもろさうし』には、「太陽に向かって、グスクの城門を開けて」と謡ったオモロ(神歌)があります。どうやら城門を「穴」に見立て、そこに太陽の光を入れようとしたことが読みとれます。つまり城門が「テダが穴」の擬似装置の役割をはたしていたということができるのではないでしょうか。

南城市にある玉城(グスク)の門は、夏至の日の出の方角とピッタリ一致することが知られています。1年の中で太陽がもっとも長く出ている日に、グスク内に太陽のエネルギーを取り込もうとしたことがうかがえるのです。夏至の日の出の方角と一致するのは玉城だけではありません。何と中グスクや糸数グスクなど、他のグスクにも共通して見られる構造なのです。また門だけでなく、グスクの建物も日中の太陽の方角、南に向けられているものが多数あります。

このように古琉球では太陽の方角が強く意識されていたことがわかります。これは現代の常識・感覚ではなく、彼らの世界観をもって解釈しなければ見えてこないことなのです。

興味深いのは、時代が経ってくるとグスクの建物が南向きから西向きに変わる傾向があることです。これはグスクにいる按司(または王)が太陽と対峙する存在から、権力の強大化にともない、東から西へ向かう太陽そのものになったことを意味しているのではないでしょうか。

観光で何気なく巡っているグスクには、まだまだ古琉球世界の真相に迫る手がかりが隠されているはずです。

【画像】中城グスクの裏門。アーチ門は夏至の日の出と一致する。

参考文献:安里進『琉球の王権とグスク』、高良倉吉『沖縄歴史への視点』

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2009年12月21日 (月)

琉球の歴史秘話を聞こう!

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大好評の桜坂市民大学講座、第9期が来年1月から始まります!

琉球歴史秘話

学校で出来ない歴史の秘話

曜日・時間:毎週火曜日 21:00~22:30

講師名:上里隆史(『目からウロコの琉球・沖縄史著者、「琉神マブヤー外伝」歴史アドバイザー)

紹介文:『目からウロコの琉球・沖縄史』の著者が面白い沖縄の歴史をわかりやすく紹介します。学校の授業では絶対できない面白い歴史の話がいっぱい。暗記の必要はまったくありません。初心者でも楽しくきくことができます。

開始日:1/12(火) スタート 全5回

受講料:10000円

定員:25名

対象年齢:16歳以上

注意点 ※1/19(火)は休講

教科書や普通の文化講座では決して聞くことのできない歴史秘話を紹介!そして何と、今沖縄で大ヒットのテレビ番組「琉神マブヤー」の裏話も聞けるかも!?ぜひご参加ください!

ちなみに12月25日までに申し込むと、なんと早割で1000円オフ!!ぜひぜひ今週中にお申し込みください。お待ちしています!

お問い合わせ、お申し込みは【こちらをクリック

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2009年12月17日 (木)

どこまでが琉球で、どこまでが日本か

来年の2月6日、沖縄県立埋蔵文化財センターで文化講座「どこまでが琉球で、どこまでが日本か」が開催されます。近年めざましい進展をとげる奄美諸島史の考古学を中心に、琉球の歴史とのかかわりを探っていこうとするものです。考古学の成果をきちんと整理したうえで、文化圏の相違、またその分布や相互の影響を探ることは大変意義のあることです。

しかし、昨今一部で展開されているような、その成果を安易にアイデンティティ論争に直結させるような動きや、最新の研究水準をふまえていない「沖縄島中心史観批判」に僕は違和感を感じています。本文化講座では拙速に「日本か琉球か、白か黒か」的な結論を出すのではなく(堅実な報告者なのでそうはならないと信じていますが)、ぜひ以下のような視点も念頭において、議論を深めていってもらえればと願っています。古琉球を研究している立場から書いた、「琉球の歴史の見方」についての僕の考えです。

琉球は東南アジアだ(原題)

 「上里君、古琉球は東南アジアだよ」

10年前、中世日本史の村井章介氏(東大教授)からこう言われて、その真意をはかりかねたことがある。だが古琉球のことを調べていくうちに、その歴史のなかに東南アジア的側面を強く感じることになった。それは個々の事例の相似によるものではない。社会や歴史のあり方そのものが共通しているのである。

古琉球はヤマト文化に近い関係を持ちながらも、国内外の体制は中国無しでは成り立たない政治・社会システムを築きあげた。政治・交易中枢は那覇・首里に一極集中し、港市にはさまざまな外来者が住み、単一のエスニシティを持たない彼らは、琉球の権力内部に他者ではない「われわれ」として深く関与した。このありようは東南アジアの港市国家と同じである。

桃木至朗氏(大阪大教授)は、東南アジアは固定化されない「不安定な生成流転の渦」によって成り立つ社会で、世界宗教・世界文明のような《原理的オリジナリティー》を主張しないと説く。また「国家を支える制度、神話、宗教などの諸要素は、インドや中国やアラビアからきたものばかりだ。オリジナリティーはそれらの採り入れ方、組み合わせ、機能のさせ方にある」と主張する(『歴史世界としての東南アジア』)。まさに古琉球の世界ではないか。ちなみに桃木氏も「琉球王国は東南アジア的性格をもつ」と述べる。

かつて伊波普猷や柳田国男は琉球文化に純粋な「日本」を見出そうとし、また戦後の歴史研究では「中国」の冊封体制に寄り添って中国的要素を強調し、ヤマトからの独自性を確保しようとした。だがどちらの純粋な原理的要素を抽出したところで、それらは全体の中のかけらにすぎない。

琉球・沖縄の「本質」を突き止めるために、起源や出自探しをするのはもうやめにしないか。どのような文化が流入し、どのような人々が来ようとも、南西諸島に住む人々は数百年の歴史の過程でそれらを選択的に受容、自己流に改造し、「琉球」と呼ぶしかない主体を自らの手で作り上げた。それこそが琉球の独自性なのだ。

(「琉球新報」2009年6月17日)

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2009年12月12日 (土)

日本人の知らない日本へ

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かつてNHK国際放送で放映された沖縄に関する番組をご存じでしょうか。あのC.Wニコルさんがナビゲートし、沖縄空手の源流を探るという内容です。ニコルさんは、もともと空手の修行で来日された方なんですね。

現在、NHKオンデマンドの特選ライブラリーで公開しています。沖縄のほかには熊野古道、アイヌについても取り上げています。

「日本人の知らない日本へ」
こちらをクリック

実は僕も番組のアドバイザーとして参加してまして、今回紹介しました。ぜひ多くの方に視聴していただきたいと思います。

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2009年12月 2日 (水)

琉球・山川港交流400周年イベントを終えて(2)

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ディスカッションの後と「くるま座文化交流」と2日目には芸能交流が行われました。指宿を中心に活動するツマベニ少年太鼓は勇壮で圧倒されました。日本太鼓ジュニアコンクールで優勝する腕前。

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重要無形文化財となった「琉球舞踊」保持者の玉城節子先生の舞踊、与論島出身で現在、鹿児島で琉球舞踊を教える竹内エミ子先生の舞踊があり、奄美の島唄は徳之島の是枝三姉妹が美声を披露(真ん中の子は風邪気味でちょっとつらそうでしたね)。山川からは琉球傘踊りが舞われました。

また2日目は琉球人鎮魂墓碑と琉球人望郷の碑の除幕式が行われました。僕は諸々の手違いで残念ながら参加できませんでしたが、事前に永田さんより案内されていたので実際に見ました。かつて山川にあった琉球人墓地は明治になり破壊されました。それを山川の人たちが数百万円を集め、建立したのです。

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望郷の碑は当地で客死した琉球人の無念をしのび、山川港を見下ろす愛宕山に建てられたもの。碑は沖縄から琉球石灰岩をわざわざ取り寄せ、プレートは1枚の薩摩焼で作られています。焼き物のプレートは永田さんの知人の陶工さんに頼み、何度かの失敗を経てようやく完成したとのこと。これらの事業も行政はノータッチのようです。山川の皆さんのまごころを強く感じました。

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山川の町歩きは残念ながら参加できませんでしたが、早朝に少しだけ山川を巡りました。面白かったのが「石敢当」がいたるところにあったこと。将棋のコマの形をしたものも。あちらでは「いしがんとう」ではなく「せっかんとう」と呼ぶようですね。またあるお宅の玄関にはシーサーも飾られていました(笑)路地に入っていくと「唐人町(トジンマッ)」という通りが。16~17世紀、山川港は琉球だけではなく、中国や東南アジア、さらにヨーロッパともつながっていた場所でした。九州各地には華人居留地の痕跡が「唐人町」という地名で残っていますが、山川の「唐人町」からも海域世界との交流をうかがうことができました。

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なおイベントの前日には、地元の地域史研究家の方に牧聞神社のほうも案内してもらいました。雄大な開門岳のふもとに位置するこの神社には、王国時代に琉球の官人たちが奉納した扁額がいくつも残されていて、それを見学。扁額は首里城にある復元品を見たことがありますが、牧聞神社の扁額は数百年前の風格を感じます。おそらく首里城の扁額もこれを参考にしたはずでしょうから、実物を見ることができ感動でした。また宮司さんからは特別に本殿の龍柱も見せてもらいました。本殿欄干の擬宝珠は何と慶長15年(1610)の銘が。島津義弘によって造営されたようですが、1609年から1年後というところに何やら考えさせられました。

わずか3日でしたが、山川の人々の温かいもてなしと琉球との交流の痕跡を実見することができ、大変心に残るイベントでした。山川という地域のパワーも実感することができました。本当にありがとうございました!

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