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2009年11月18日 (水)

「奄美と沖縄をつなぐ」イベント、終了

2009lao1

11月14日(土)に東京新宿で行われた「奄美と沖縄をつなぐ」イベント、大盛況のうちに終わりました。参加された皆さん、どうもありがとうございました!また主催者の喜山さん・持田さんをはじめ、出演者の皆さんも大変お疲れ様でした!

僕はイベントの第1部「異種格闘型トークセッション」にパネラーとして参加しました。そのほかの参加者は『奄美自立論』著者の喜山荘一さん(与論島出身)、東京で奄美料理の店「奄美の家」を経営する圓山和昭さん(奄美大島出身)、そして元「りんけんバンド」でうちなー噺家の藤木勇人さん(沖縄島出身)です。それぞれ異なった出身というだけでなく、さまざま分野で活躍されている方が集った異色の組み合わせです。ここでは1609年の島津軍侵攻から400周年を迎え、隔てられていた奄美と沖縄をどのようにつなげられるのか、奄美や沖縄、それぞれの立場から模索しました。

喜山さんはこのイベントを企画するに当たり、このテーマが自らにとって切実なテーマであったことを述べ、従来の400周年に関わるシンポジウムが歴史そのものを探ることに偏重していること、若い世代の参加が少ないことをあげていました。そうした問題意識のうえで本イベントを立ち上げたとのこと。著書の『奄美自立論』では、ときに激しい言葉で奄美の置かれた「二重の疎外」を訴える喜山さんですが、僕はこうした批判が決して机や研究室から座って生まれた観念的なものではなく、喜山さん自身の置かれた立場・環境からくる切実な実感からくるものであることは、重く受け止める必要があるように思いました。トークセッションでのお話から、そのような喜山さんの気持ちを感じることができたように思います。

沖縄で知らない人はいない藤木勇人さんのトークは、まさにプロ。口を開けば一気に聴衆を魅了し、爆笑の渦に引きずりこみます。どちらかというと話が苦手な僕は大変勉強になりました。また今回、藤木さんのご両親が奄美出身であったことを初めて知りました。コザと奄美の話から、両者の戦後の歴史の歩みの相違が浮き彫りになったような気がしました。基地の島として開発・整備されていく沖縄とひどく貧しい状況だったという奄美との対比です。ただそのため藤木さんが「奄美には古い沖縄が残っている」とお話しされていたのも印象的でした。

圓山さんは「奄美の家」のお店で働いているそのままで登場。いわば「正装」ですね。奄美大島でも龍郷の出身である圓山さんは「奄美は奄美だ」という郷土への熱い想いを語っていました。その想いが伝わったのでしょう、会場からの声援と拍手がとくに多かったような気がします。奄美にいた頃の「シマ」を中心に生活していた感覚、「奄美大島」すらも意識する機会がなかったというお話は興味深いものでした。

僕はいちおう歴史をやっている人間として、奄美と沖縄がかつてつながっていた時代(古琉球)の頃の話と、僕の奄美体験などを紹介しました。実は僕は以前、沖縄の地域史編纂に関する調査で奄美大島を訪れ、奄美の地域史の状況などをインタビューしたことがあります。それをもとに、歴史像を構築するという面から今後の奄美と沖縄についての展望を提案するつもりでしたが、残念ながらタイムオーバーで詳しく話せず。

琉球史研究においては、沖縄側から奄美地域の歴史を積極的に組み込んでいこうとする動きは確実に起こっています(昨今、一部の研究者から主張されている「沖縄島中心史観」批判なるものは10~20年前の水準の研究を対象としており、必ずしも最新の動向が追えていないように見えます)。こうしたことにくわえ、奄美における歴史の普及は研究面だけで進めるのではなく、かつて沖縄側が実行し成功した「総合プロジェクト型」を参考に進めていくのも選択肢のひとつとして考えてもいいように思いました。・・・まあこの話は次の機会にということで。

トークセッションの次は第2部「シマウタ流れコンサート」。これがまた斬新な内容で、5つのテーマごとに各島のウタを披露していくもの。同系統のウタが島によってどうちがうのか、同じなのかが楽しみながら実感できます。最後はお客さんも揃ってカチャーシー(笑)。非常に盛り上がりました。

イベント自体はこれで終わりましたが、「奄美と沖縄をつなぐ」試みはこれからも継続していく必要があります。僕の今度発表する予定の論文は古琉球時代の喜界島に関する内容です。今後、僕も奄美を自身の研究テーマとしてふくめていこうと思っています。

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コメント

奄美でよく言われる薩摩の圧政は本当なのでしょうか?子供が砂糖キビをかじっただけで罰を与えたなんて言い伝えられますが大げさな気がします。薩摩は琉球に対しても正殿建て替えの用の材木を調達したり文化や経済振興をおこなったり。また王府へのお金を貸し付けることもあったようですが本当ですか?だとすれば琉球王府の人頭税のほうが酷いような気がします。それとも人頭税の悲劇も大げさに伝わってるって事はないですか?

投稿: ひで | 2010年5月29日 (土) 23:51

奄美の問題については全時代を通じてではなく、時期的な差もあるようです。人頭税については税そのものが原因ではなく、役人の中間搾取や津波をはじめとした災害による人口激減などさまざまな要因があって過酷な収税状況が生まれたようです。詳しくは沖縄国際大学南島文化研究所編『近世琉球の租税制度と人頭税
』などを参照ください。

投稿: とらひこ | 2010年6月 1日 (火) 10:42

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