ゴーレスの正体
大航海時代、ヨーロッパ人たちは琉球を「レキオ」と呼びました。そして「ゴーレス」もまた琉球人を指す名称として知られています。トメ・ピレス『東方諸国記』にはこうあります。
レケオ人はゴーレスと呼ばれる。彼らはこれらの名前のどちらかで知られているが、レキオ人というのが主な名前である。(レキオ人)は7、8日でジャンポンへ行って彼らの商品(小箱など調度品、扇、刀剣)を金や銅と交換する、レキオ人がもたらすもの(金、銅)は全部ジャンポンから来る。そしてレキオ人はジャンポンからの荷をルソン布などの商品と交換する。
このゴーレスという名前の由来はいったい何なのか、これまで明らかにされてきませんでした。しかし近年、歴史研究者の的場節子氏によってこの謎が解明されました(『ジパングと日本』)。的場氏は西欧側の史料を丹念に読み込み、琉球の金の入手先である「ジャンポン」「チャンパン」「ジャボンガ」「ぺリオコ」などが日本ではなく、いずれも東南アジア地域だったこと、16世紀に琉球船もこの海域を訪れて金・銅を入手し、東南アジア貿易を行っていたことを明らかにしています。
そして注目されるのが、氏が紹介した、リスボン国立図書館蔵のモルーカ諸島情報を記した写本の
良質の鉄で作られた原住民の刀剣はゴーレスとよばれる
という記述です。「ゴール」は東南アジアの現地語で「刀剣」を指しており、ポルトガル人はその複数形として「ゴーレス」を用いたのです。つまり、ゴーレスとは「刀剣を帯びた人々」を意味する言葉だったのです。当時の琉球人は日常的に大小の刀剣を腰に差していました。
15~16世紀の琉球は中国や東南アジアに大量の日本刀を輸出していました。日本刀は中国陶磁器とともに東南アジアへもたらされましたが、これらの日本刀は琉球が日本から入手したものとみられています。外交文書集『歴代宝案』では、多種多様の刀剣類が輸出されていたことを確認できます。なお現存する琉球の刀剣「千代金丸」や「治金丸」は刀身が日本製、外装は琉球製であると鑑定されています。おそらく輸出された日本刀は琉球風にアレンジされたものではないでしょうか。
東南アジアでは日本刀が「レケオ」と称されており、アラビア史料には鉄の産地「ゴール島(ボルネオ・セレベス島に比定)」で生産された剣がジャワ語で「リキーウー」と呼ばれていたとあります。東南アジアでは日本刀が「琉球刀」として認知されており、やがて刀剣の代名詞にまでなったわけです。
東南アジアへ日本刀を広めたのは、実は日本ではなく琉球だったのです。知られざる琉球の歴史がまたひとつ解明されたといえます。
参考文献:的場節子『ジパングと日本』
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コメント
『ジパングと日本』、図書館で借りてわしも少し読んだよ。
つまり下記のようで。
ジパングは日本のことでもなく、ジパングからジャパンになったわけでもない。「日本国」の漢音読みが「ジパング」と似ていたために起こったミステイクだったのか。日欧双方において間違いを起こしていた。
これも目から鱗かな。
投稿: kayano | 2009年9月27日 (日) 02:26
>kayanoさん
従来の説が何の疑問もなく信じられていましたから、僕もこの説は衝撃を受けました。
投稿: とらひこ | 2009年9月28日 (月) 21:29
いつも楽しく拝見させていただいております。
南海貿易船の火長(船長)、通事の中に「呉江梁氏」系譜の人々が多くおり、これが「ゴーレス」となったのではないかとの説がありましたが、この説もまたおもしろいですね。
参考文献:赤嶺誠紀著 『大航海時代の琉球』(35ページ)
投稿: 雨男 | 2009年10月 4日 (日) 16:12
>雨男さん
いつもありがとうございます。
赤嶺氏の説は読みましたが、「ゴーレス」と出てくる史料がポルトガル人の手によるもので、「ゴーレス=刀剣」もまた同じポルトガル人の史料であること、また「レキオ」が刀剣の代名詞であったことから、僕はこちらのほうが有力ではないかと思います。
投稿: とらひこ | 2009年10月 5日 (月) 00:26
そうですね。
「ゴーレス=刀剣」が、一次に近い史料に基づく説ですので、こちらの方が濃厚ですね。
ご返信ありがとうございました。
投稿: 雨男 | 2009年10月 5日 (月) 06:27
>雨男さん
どういたしまして。
今後は東南アジアに現存する刀剣を琉球製の可能性がないかどうかを考える必要があると思います。
投稿: とらひこ | 2009年10月 8日 (木) 00:23