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2009年5月20日 (水)

儀間真常と袋中上人

儀間真常は言わずと知れた琉球史上の偉人。サツマイモやサトウキビ栽培を普及させ、やがてイモは江戸時代の日本にも渡り、多くの人々を飢えから救うきっかけをつくった人物です。彼が生きていた時代、ヤマトから一人の僧侶が琉球を訪れます。それが浄土僧の袋中良定(たいちゅう・りょうてい)です。

袋中は那覇の久米村近くに桂林寺というお寺を建て、そこに滞在します。彼は琉球で布教活動を行い、尚寧王をはじめとした多くの人々が帰依しました。また袋中が伝えた浄土宗は踊り念仏を定着させ、やがてエイサーへと発展するきっかけを作ったとされているのは有名な話ですね。

儀間真常もまた袋中の教えに帰依し、熱心な信者となったと言われています。それを示す証拠が、実は戦前まで那覇垣花の儀間村に残されていました。この村は真常の出身地です。

1936年(昭和11)、袋中開山の檀王法林寺の住職、信ヶ原良文氏が垣花を訪問した際、住吉町の又吉さん宅(麻氏の家系でしょう)に袋中直筆の書を見つけます。状態は悪くすすけてはいましたが、中央に「南無阿弥陀仏」と書かれており、右側には「授了徳公」、左側には「弁蓮社良定(花押)」と記されていました【画像。クリックで拡大】。「徳公」は儀間真常の号です。「授了」は「授けた」という意味。真常が袋中の帰依者で、直筆の書をたまわったことがわかります。ここには「授了徳公大禅門神位」と刻まれた真常の位牌もあったそうです。

なお『麻姓家譜』には真常を「授了と号す」と書いてありますが、この袋中書を見て、「授了」のほうを名前だと勘違いして載せてしまったのではないでしょうか。それは位牌の名前がこの書の文をそのまま丸写ししていることからもうかがえます。

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また袋中の遺品として数珠もありましたが、108個あるはずの数珠の玉はほとんど失われていました。病気が流行った時、身を守るまじないとして1個ずつ人々に分け与えたことからこのような状態になったとのこと。袋中の遺品がある種のパワーを持つと考えられ、沖縄の人々の信仰を集めていたことがわかります。

これらの品々は残念ながら先の沖縄戦で失われてしまいましたが、戦前の貴重な調査の記録によって、その存在を知ることができるのは幸いです。袋中の弟子となった真常は、もしかしたら「極楽浄土」の実現のため、多くの人々を救う手段としてサツマイモの普及に励んだのかもしれません。

参考文献:信ヶ原良文『袋中上人―生い立ちとその行跡―』、『麻姓家譜』

※【画像】は袋中筆の書の推定図。

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コメント

こんばんは、とらひこさん。


ちょうど
調査で垣花に関わることがあり、
儀間真常と袋中上人のことを知ったばかりでした


宗教史にも興味ある者としては、
もうちょっと調べてみたいです

投稿: あまりりす | 2009年5月20日 (水) 23:17

>あまりりすさん
垣花調査、してるんですね。そうしたらこの話題はタイムリーでしたね。

沖縄の宗教は面白いですよー。ぜひ調べてみてくださいね。

投稿: とらひこ | 2009年5月21日 (木) 10:37

とらひこさま。

本当、沖縄の宗教というか、
信仰って面白いですよね


とらひこさんが、
今日の新報に書かれていたように、
仏教用語?が
沖縄方言風に称されて
根付いてますもんね


宗教については
いろいろ思うところがありますが、
私、文献資料を読むのが苦手なんです


いろいろ教えてくださいね

投稿: あまりりす | 2009年5月21日 (木) 22:55

先月の初訪問で沖縄のみなさんの気風に親しみを持ち(人なつこい首里っ子と玉城のおばあさま お世話様でした!)、一日遅れで琉球新報を購読している東京都民です。このブログをみるようになったのも新報で拝見したのがきっかけです。

たしかに唯一の沖縄県民の知り合いに以前「沖縄には仏教は無い」と聞かされていました。「えっ、そうなんだ」と印象的だったのに、実際に行ってみたら沖縄にも寺院があったので、「彼はなぜそんなふうに言ったのかなー」と思っていたところでした。疑問を解いてくださってありがとうございます。

これからも更新や新しい記事を楽しみにしています。ますますご活躍ください。


投稿: ayuda | 2009年5月22日 (金) 14:06

儀間真常さんは薩摩に人質と言おうか拉致されていたんですね。
でも転んでもタダでは起きませんね。薩摩から木綿の種を持ち帰ったとは。さすがに産業の恩人、神様か。

投稿: ryuchan | 2009年5月22日 (金) 21:16

>あまりりすさん
宗教関係の文献は、宗教の専門用語や概念があって読むのが難しいですよね。もし何かわからないことがあったら、また質問してください。

>ayudaさん
東京で新報購読されてるんですか。コラム読んでくださりありがとうございます。

沖縄にある「ティラ(グンギン)」のご神体はだいたい「ビジュル」という霊石なんですが、これは「フトゥキ(仏)」とも呼ぶそうで、ティラの管理者はまた「ホーイン(法印)」と呼ばれているそうです。よくよく見れば仏教の影響は沖縄にあるんです。

ティラについては、ご参考までにこちらを。
http://www.nakagusuku.or.jp/chiiki/bunka/asato.html

これからも当ブログとコラムをよろしくお願いします。

>ryuchanさん
転んでもタダでは起きない彼の行動原理のなかに、袋中上人からの教えが、もしかしたらあったのかもしれません。

投稿: とらひこ | 2009年5月23日 (土) 08:13

こんばんは、とらひこさん。

じ、実は私、
僧侶資格をいただいておりまして、
仏教の内側と外側の人の
教義の捉え方に違いがあると思うんです


で、
そのズレがどれくらいなのか、気になるの


別に良いとか悪いとかではなく、
一応、仕事は文化系なので、そっちから見ても面白いんだよね

あまり詳細を言うと
知人に
特定されそうで恥ずかしいので、
遠慮しておきますね

本当は
もっと深くつきつめたい問題です

投稿: あまりりす | 2009年5月24日 (日) 23:54

>あまりりすさん
何と・・・!「釈迦に説法」とはまさにこのことでしたね。偉そうなことを書いて失礼しました。

こちらこそいろいろ教えてください。

投稿: とらひこ | 2009年5月25日 (月) 22:05

初めまして。袋中上人の生まれ故郷のいわき市のものです。映画「フラガール」で知られる様になった湯本町から、車で、数分の位置に上人誕生の地があり、ゆかりの寺「能満寺」には(信ヶ原)良哉上人の建立した石碑があります。
福島空港開港時に沖縄との縁を紹介するために、テレビや新聞での紹介、こちらの念仏踊りの団体との交流が行われました。
しかし、関係者を除けば、いわき市ではまだ、袋中上人と沖縄、京都との関りが一般に知られておりません。
私も、いわきのエイサー団体の力を借りたり上人に纏わる黒い招き猫伝説などを用い、PRに努めております。
上人が亡くなった(たしか)5年後に、儀間真常が、同じ年齢で亡くなられている事にも不思議な縁を感じます。
沖縄でも活躍中の所ジョージさんの奥様の実家が、いわきの袋中上人縁のお寺のすぐ近くにある事もあり、なんとか話を盛り上げたいと思っています。そして、いまだ行った事のない、沖縄を訪問して縁の場所も尋ねたい気持ちでおります。
スポッツ

投稿: スポッツ | 2009年6月 6日 (土) 18:11

>スポッツ さん
袋中上人の故郷からありがとうございます。
実は先月、袋中上人の檀王法林寺に行ってきたばかりです。境内にはフラガールまねき猫(?)も展示されていて面白かったです。

福島でも沖縄との交流イベントが開催されたんですね。恥ずかしながら知りませんでした。沖縄でも袋中上人渡来400周年のイベントが2005年に開かれたばかりです。

袋中上人をつなぐ沖縄と京都、福島のつながり、沖縄でもまだ知られてないと思います。今後、スポッツさんのような方の努力でメジャーになっていくといいですね。

沖縄にもぜひ、お越しください。

投稿: とらひこ | 2009年6月11日 (木) 23:27

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