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2009年3月 4日 (水)

歴史講演会のお知らせ(3/13)

ワタクシ「とらひこ」による講演会のお知らせです。

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■沖縄博物館友の会講演会
「新視点・薩摩の琉球侵攻~琉球はなぜ敗れたのか~」

講師:上里隆史氏
日時:2009年3月13日(金)18:30~20:30
申込方法:当日先着200名
場所:沖縄県立博物館・美術館3F講堂
入場無料(※会員以外の参加可)

※沖縄県立博物館・美術館の場所は【こちら】。ホームページは【こちら

今年は薩摩の琉球侵攻400周年の節目です。これを機会に琉球侵攻事件を新たな視点からとらえなおし、その真相にせまります。事件全体の概要を諸史料を総合してあぶり出し、これまで関心の薄かった軍事的な視点も導入、琉球がなぜ敗れたのかを検証していこうと思います。また初公開の新史料から、これまで知られていなかった琉球と薩摩の戦闘場面なども紹介!より「リアル」な歴史像を描くことを試みます。

そして何と入場は無料!どなたでもお気軽にお越しくださいませ。

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コメント

ふお~。(_TдT)_
仕事で行けないので、誰かに聞きにいかせます(←いばやーですみません)

講演くゎいとか、色々行きたいのですが、金土日が仕事な我が身が憎い~。

投稿: パイレーツ・オブ・川平湾 | 2009年3月 4日 (水) 15:02

>パイレーツ・オブ・川平湾さん

それは残念ですね。講演プリントもありますので、それをお友達からもらってください。

講演会はまたいくらでもあるので是非。桜坂市民大学も火曜・日曜にあるので興味がありましたらお越しくださいね。

投稿: とらひこ | 2009年3月 4日 (水) 23:10

とらひこさん。

是非、聞きに行きますねupupupwink

投稿: あまりりす | 2009年3月 5日 (木) 20:09

>あまりりすさん
ありがとうございます。会場のどこかで聞いてるかも、と思いながら講演しますね(笑)

投稿: とらひこ | 2009年3月 6日 (金) 23:57

とらひこさん。
講演会お疲れ様でした。


夕方からの講演会なのに、
たくさん聞きにいらしてましたねshine

私は、ちょっと遅れて行ったので、
立ち見でしたcoldsweats01
途中から座れたから良かったけどcat


島津侵攻の際、
琉球は三重城とヤラザ森城の間に
鉄の鎖をかけて、
大砲をもって侵入を防御したと言うことが
興味深かったです。


当時、
鉄は貴重だったハズなのに…
そんな使い方(鎖)できるほど、
鉄はあったのでしょうか?

面白いテーマのお話、
ありがとうございましたhappy02

投稿: あまりりす | 2009年3月13日 (金) 22:59

講演会、興味深く拝聴しました。
疑問に思った点を書き出しながら聴いていたのですが、最後の“まとめ”でほとんど解決。やはり琉球の歴史について考えるときは、東アジア全体を展望しないと正確に把握できないということですね。王国内部のゴタゴタ劇などは初耳でした。
一点だけ気になったのは、「たとえ薩摩に敗れても王国体制は維持されるだろうとのもくろみがあった」との件。その根拠は何だったのかな~と思い最後に質問しようとしたら、質疑応答が2人だけで打ち切られてしまいました。私個人の宿題にします。

これからもいろいろなご発表、楽しみにしています!

投稿: アーバニティ | 2009年3月14日 (土) 12:13

>あまりりすさん
参加、ありがとうございました。

那覇港口の鎖については近世まで那覇の役所に残っていたみたいですよ(『遺老説伝』など)。

鉄はたしかに今よりも貴重品ですが、那覇港口を守るために使用することは無駄使いではなく、琉球のなかで首里城に次ぐ重要拠点を守るためにまずやらなくてはいけない優先事項だったはずなので、惜しげもなく資材を投入したのではないでしょうか。

>アーバニティさん
夜遅くまでありがとうございました。

ご質問についてですが、この問題について確証があるわけではないのですが、尚寧王が『歴代宝案』のなかで中国へその旨を表明していて、実際にその通りになっているからです。徳川幕府は最初から琉球王国体制を維持する方針でしたし、薩摩軍の一番の目的は、当初琉球侵攻が「大島入り」と呼ばれていたように、奄美割譲にありました。実際に奄美は琉球から切り離されて薩摩に支配されています。

もちろん薩摩軍に降伏したのは、首里・那覇の防衛線を突破され、また王府内部が徹底抗戦できるような状態ではなかったからでしょう。そのような窮地の状態にいたって「戦うか、降伏か」の判断を迫られた際、尚寧が「降伏」の選んだのは、やはりそこに生き残る道を見出したからではないでしょうか。薩摩軍の目的が琉球の完全な殲滅だとしたら、それこそ最後の一兵まで戦ったほうが、あるいは生き残る道が開けたかもしれない。窮鼠猫を噛むではないですけど。

まあこの問題は今後も詳しい検討が必要になると思います。これからも講演・講座などありますので、またいらしてくださいね。

投稿: とらひこ | 2009年3月16日 (月) 08:17

とらひこ様
始めまして。
金曜日の講演会、拝聴致しました。

琉球王国にも軍隊があったとは、
正に目からウロコでした。

投稿: gvsg | 2009年3月16日 (月) 12:58

>gvsgさん
ご参加ありがとうございました。

そうですね、実はあったのです。拙著『誰も見たことのない琉球』にも図解入りで説明してありますから、興味がありましたら読んでみてくださいね。

投稿: とらひこ | 2009年3月16日 (月) 23:04

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