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2009年2月18日 (水)

小林氏反論へのコメント

3年前、僕は小林よしのり氏の『新ゴーマニズム宣言SPECIAL・沖縄論』に対して批判的な見解を述べたことがあります(こちら参照)。この批判に対して最近、小林よしのり氏は『激論ムック・アイヌと沖縄の真実』(オークラ出版)で僕を名指しで反論してきました。今回はその反論に対しての回答を述べたいと思います。

小林氏は僕の批判記事「沖縄が超歴史的・必然的に「日本」固有の領土であったとする小林氏の主張には承服できません。明治になるまで琉球王国は「日本国」に帰属した事実は一度もありません。」という部分を引用し、「日本は明治時代に近代国家を建設することになり、領土を画定するために「琉球処分」を行って琉球王国を廃絶し、明確に日本の一部とした」ことをちゃんと書いており、僕が『沖縄論』を読まずに批判している、と反論しています(『アイヌと沖縄の真実』18ページ)。

近代以降に普及した「民族」概念と同じように、国民国家とその成立要件のひとつである「領土」概念は近代以前には存在しません。その点は僕も同じ見解です。たしかに小林氏は日本領土の成立は明治以降と『沖縄論』224ページで述べています。よって「沖縄が超歴史的・必然的に「日本」固有の領土であったとする」と書いた僕の表現は正確・適切ではなかったかもしれません。その点についてはお詫びして訂正したいと思います。

僕がそう考えたのは『沖縄論』の次の記述によるものです。小林氏は琉球処分の歴史的性格をどう解釈するかについて「(とらひこ注:琉球処分は侵略だという意見に対し)同じ民族なのだから統合だ」、「大和朝廷が熊襲や隼人を征伐して統一していったのが少々遅れただけじゃないか・・・」(すべて『沖縄論』224ページ)とし、大城立裕氏の論をあげ「琉球処分は歴史的必然だっただろう」(『沖縄論』230ページ)と結論付けていたことを根拠にしたものです。上記の小林氏の主張から、正確には「琉球が「日本」の領土となるにあたり、超歴史的・必然的に「日本」の潜在的主権があった」、あるいは「明治の日本による琉球併合について、領有を正当化できる要因として歴史的な根拠があった」との表現が適当になるでしょうか。

このように僕の表現が適切ではなかったものの、『沖縄論』の琉球処分についての箇所をひとまず読んだうえでのもので、小林氏を批判するために無理やり作り出したものではないことをお断りしておきます。また、『沖縄論』が琉球・沖縄の独自性を軽視して歴史・文化のほぼ全てを「日本」に回収しようとし、琉球処分(近代日本による琉球王国併合)を当然視・必然視する主張であることには変わらないのではないでしょうか。

追記〕なお小林氏は薩摩の琉球侵略から続く琉球の歴史を「再日本化」と評価しています(『沖縄論』186ページ)。真相はこの時期琉球は「中国化」を強めていくので小林氏の情報・記述は誤っているのですが、それはさておき、明治以前に一瞬たりとも「日本」になったことのないはずの琉球が「再び日本化する」とは一体どういうことなのでしょうか?「沖縄は明治の琉球処分によってはじめて「日本」になった」、と僕に反論している小林氏の本音・真意が透けてみえるのではないでしょうか。

誤解がないように付言しますが、僕は現在の日本社会が非常に画一化・均質化されてきている傾向はあると思いますし、現在の沖縄は間違いなく「日本」です。そしてそれは1972年の時点で「日本国」への帰属を沖縄の人々が主体的に選択したからだと考えています。僕は「沖縄人であるとともに日本国民」という意識であり、それは否定しようもない事実です。沖縄は強い独自性を発揮しながらも、日本社会全体のためにどう貢献できるかをこれから考えるべきだと思います。しかし、だからといって近代以前の琉球の歴史までさかのぼり、これまでの歴史研究の成果の都合のいい部分だけを抜き出し組み合わせ、現在の沖縄と日本の体制がいかに必然性のあるものだったかを補強する根拠としてはいけないのではないか、その点を問題にしているわけです。小林氏がどのような政治的主張をされても別にかまいませんが、現在の政治的意図あるいは思想のために、過去にあった歴史的事実をゆがめて評価してしまうのは承服できません。

小林氏は『アイヌと沖縄の真実』で拙著『誰も見たことのない琉球』からの記述を引用し、古琉球の文化がヤマト風だったことをあげ、さらに自身の日本と琉球を同一視する持論の補強としています。これを読んで愕然としました。小林氏は僕の著書のいったい何を読んでいるのでしょうか。僕は古琉球文化が従来の想像以上に「ヤマト風(ヤマトそのものでない点に注意)」文化だったことは紹介しましたが、拙著の結論である「《まとめ》「古琉球」という時代」(『誰も見たことのない琉球』78~80ページ)で、古琉球の「ヤマト風」文化についてこう総括しています。

(とらひこ注:古琉球にヤマト的雰囲気があったことを紹介して)ここで出てくるのが「やはり琉球は日本の一部であったか。沖縄は古い日本そのものだ!」という反応か、「ウチナー(沖縄)とヤマトゥー(日本)が同じなんてとんでもない!琉球は中国の文化圏だ!」という反応だと思います。両方の言いたいことはわからなくはないですが、僕はそのどちらも全面的に賛成することはできません。

ヤマト文化があるから琉球は日本の一部だとか、中国文化があるから琉球は中国だとか、そういう単純な議論では古琉球の深層には迫れないように感じます。

海域アジア世界の十字路に位置し、交易国家であった琉球に外来の人々や文化が入ってくるのは至極当然のことで、例えどのような文化の影響があったとしても、南西諸島に住む人々は自らを他の地域とは違う「琉球の人々」であると自認し、また琉球以外の地域の人々も「琉球」を自分たちと同一視することはありませんでした。

(略)

琉球と文化的に最も近いはずのヤマトでさえも、自らの領域を南九州付近の島々(鬼界が島)までと認識しており、琉球は「異界」と考えられていました。文化の基層にヤマト的要素があったとしても、それは太古からずっと「純粋培養」されていたわけではなく、数百年の交流を続けていくなかで様々な要素と「化学反応」を起こし、似て非なる別物になったと考えたほうが自然です。

(略)

古琉球という時代は、日本や中国、東南アジアの各要素を持ちながら、そのどれとも言えない、「琉球」と呼ぶしかない主体を南西諸島に住む人々が自ら作りあげた、そんな時代だったといえるでしょう。

小林氏はこの結論をばっさりカットし、僕が著書のなかで行った論の過程における「ヤマト風」文化という点だけを抜き出して、自らの主張を補強するために使っているのです。一番肝要な部分をそぎ落として、自分が欲しい事実を、さもそれが全てであるかのように印象づける。これを「おいしいとこ取り」と言わずして何なのでしょうか。小林氏は僕があの本で述べたかったことを全然くみとっていません。拙著を評価していただいたのはありがたいのですが、著者の論証のすえに導き出した結論も理解しないまま、ただ「これは使える」というだけで本を評価されても僕は嬉しくありません。

また小林氏は古琉球辞令書をあげ、「薩摩が入る以前に、琉球国内の公文書が和文で書かれるほど、和風化が進んでいたのだ」(『アイヌと沖縄の真実』17ページ)と主張しています。文脈からして小林氏の持論を根拠づける例示です。おそらく古琉球辞令書の情報は拙著から仕入れたものでしょうが、この点についてもまた問題があります。以下にあげた僕の文章を読んでください。この記事は拙著にも収録されています。

古琉球はどんな文字を使ってた?

僕はこう書いています。

(古琉球辞令書などを紹介して)
「このような事実から、「琉球は日本と同じなんだ」という考えが出てくるかもしれません。しかし、実はそうではありません。結論は、「琉球と日本は同じではない」のです。」

「琉球で日本の「ひらがな」を使っているから「琉球と日本は同じだ」、という結論にはならないことがわかります。それは日本で中国伝来の漢字を使っているから「日本と中国は同じだ」ということにならないのと同じことです。琉球は外から入ってきた文化を採り入れて、自らのものにしてしまった、ということなのです」

僕は辞令書をあげて古琉球は和風化が進んでいたと言っているのではなく、ヤマトをはじめとしたさまざまな各国の要素を琉球風にアレンジして、似て非なる別物の文化を作り上げたと述べたのですが、小林氏はこうした結論には目もくれません。これも「おいしいとこ取り」の一例です。まさか自分がやられるとは思ってもみませんでした。〔追記〕辞令書でもわかるように、小林氏が挙げた事例は全て、ヤマト的要素と他の要素を混合させながらヤマトとは全く違う「琉球化」を遂げたとしか言えないのであり、「和風化が進んでいた」という事実認識は誤りとなります。

そして僕が一番残念に思ったのは次の部分です(『アイヌと沖縄の真実』18、19ページ)。

ようするに上里氏は『沖縄論』を読まずに、沖縄マスコミの流したわしに関するデマを信じて批判したのだろう

(とらひこ注:僕が『沖縄論』を批判した要因のひとつには)沖縄の新聞が、「小林よしのりは思想信条のために、結論ありきで論理をねじまげている」と書き、沖縄の多くの人がそれを鵜呑みにしているからだ

(とらひこ注:踏み絵のイラストを描いて)沖縄では「小林よしのり=悪」という「俗情」ができ上がっていて、これと「結託」しないと知識人も評価されない」

「根拠を捏造してでも、小林よしのりと自分は違うと主張しなければならない。まさに「全体主義の島」である

文脈からすると、僕が「沖縄全体主義」の圧力に屈して小林氏の批判をしている(やらなくては沖縄で生きていけない)ということでしょうか。

とんでもない言いがかりです。小林氏は僕が「(小林氏が存在すると想定する)沖縄全体主義」に敵対するような活動を行ってきたかご存じない(まあ僕は無名の存在なので当然かもしれませんが)。僕はかつて琉球の軍事史をはじめて体系的にまとめ、2000年頃に沖縄の新聞紙上で「古琉球の火器兵器」「琉球史における「武」の諸相」を連載し、戦後を通じて流布し沖縄平和思想の根幹とされていた「琉球非武装神話」の正当性に疑問を投げかけた張本人ですよ。その結果、沖縄の知識人から新聞紙上で批判も浴びせられています。僕は歴史の事実に基づいて平和を考えることが沖縄にとって必要だと思い、あえてこうした行動をとったのですが、このような行為は「沖縄全体主義(なるものが存在するならば)」にとっては裏切りなのではないでしょうか?

僕は自分の頭でものを考えることができます。小林氏の歴史論を批判したのは、僕自身が小林氏の歴史論がおかしいと感じたからです(それは先にあげた、僕の論の都合のいい部分だけを抜き出した手法で明らかでしょう)。ウヨク・サヨク、沖縄・大和は関係ない。沖縄でバッシングに遭っている小林氏が疑心暗鬼になるのもわからなくはないですが、今回の小林氏の見解は全くの妄想です。

小林氏は「沖縄は全体主義の島ではないと言い張る佐藤優が「大嘘つき」だという証拠である」と結論づけていますが、ひょっとして僕は結局、「沖縄全体主義」とそれにおもねる(と小林氏が考える)佐藤優氏を批判するためのダシに使われただけなのでしょうか・・・?そうであれば非常に悲しいです。小林氏は「言論封殺、論破!」(『アイヌと沖縄の真実』26ページ欄外)と書いてありますが、何の論破にもなっていないことを強調しておきたいと思います。

小林氏への応答は以上で終了とさせていただきます。「ゴー宣」での小林氏の主張や論の展開については同意できない部分が多々ありますが、それでも僕は、沖縄においてさまざまな意見・主張を自由闊達に言える雰囲気になるよう願っていて、その点から小林氏がバッシングを恐れず沖縄に対する発言をした行為自体は評価しています。これからまた別の話題に斬り込んでいくのでしょうが、その場所でも頑張っていただきたいものです。僕は「琉球・沖縄」とは何か、その歴史の探ることにこだわってコツコツと地道にやっていくつもりです。

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コメント

私も小林氏の反論を読みました。とらひこさんと全く同意見です。これだけはお伝えいたしたく。

ところで、窪徳忠賞の授賞式は昨日でしたね。
改めて、おめでとうございます。
今後の更なるご活躍を期待しています。

投稿: 茶太郎 | 2009年2月20日 (金) 03:22

>茶太郎さん

授賞式、行ってきましたよ。これから精進していきます。

投稿: とらひこ | 2009年2月20日 (金) 23:12

小林よしのりさんは、琉中関係や琉球沖縄における中国的なモノを可能な限り矮小化して、いかに大和風にみせるか?大和と琉球の関係を大きくみせるか?を意図して沖縄論を書いていますよね。
とらひこさんは、そう思いませんか?

大和民族は、右翼も左翼も常に沖縄の歴史を”薩摩侵攻後””日中両属”からスタートさせたがるし、そこにスポットライトをあてて琉球史を語りたがるでしょう。
そんでもって、歴史的に必然的に日本固有の領土であったと結論つけようとし、賛同を得ようとする。
そこが、暴力的で気に食わないし納得いかないです。
このムズムズ感は、ウチナーンチュしかわからないはず。

投稿: コザの猫 | 2009年2月21日 (土) 21:48

>コザの猫さん

うーん・・・僕が言いたいのはそういうことではないんですがね・・・

小林氏が琉球・沖縄を「日本」に回収しようとする意図はあるんですが、だからと言ってこちら側の対抗として「中国」を持っていこうとしてもあまり意味はないと思います。独立国家であった古琉球に中国的要素よりヤマト的要素は確かにあるわけですし。

記事に書いてあるように、古琉球は日本・中国・東南アジアそれぞれの要素を持ちながら、日本でも中国でもない「琉球」という主体を築いたということです。大和的要素があろうが中国的要素がなかろうが、どちら側であるかはあまり関係ないです。

僕は小林氏の論には従えませんが、民族の問題を含め、コザの猫さんの意見にも少し違和感を持ちます。僕はヤマトへの対抗軸としての「沖縄ナショナリズム」もあまり好きではありません。

投稿: とらひこ | 2009年2月21日 (土) 22:50

記事を読ませていただいて感じたことは、本はなるべくニュートラルな視点で読もうということでした。慣れ親しんだ特定の感情や先入観などはできるだけ排除したいなと思いました。

投稿: デレク | 2009年2月22日 (日) 15:06

>デレクさん
自分の考えや感じ方は持っていてもいいとは思うのですが、まずは読んだ本が何を言いたいのかをキチンと把握する必要があるのかもしれません。まあこれは自戒も込めて言ってるんですけどね。

投稿: とらひこ | 2009年2月23日 (月) 22:26

必死ですね

とらひこさん個人の「見解」を支持しない限り「ヤマト化が進んでいた」という研究成果を評価してはならないとは。
事実と解釈を混同するヴァカの典型的な反論であります。

また、とらひこさんが立てた「琉球と日本は同じだ」という論点の表し方自体があまりにも雑。
琉球と日本の何が同じだと小林は言っているのか?
主語をぼかして相手の言い方を乱雑にし、それに対して反論するという手法はあまりにもポピュラー。
そんな雑なまとめ方をしたら誰だって反論できる。
あなたは文章を理解できんのか?

とらひこさんが文章を理解できないのは
小林が沖縄の独自性をきちんと認めていてそれを大切にして言って欲しいと何度も言っていることを完全無視していることからも明白。
おいしいとこどりをしているのは、やはり「とらひこ」なのでありましょう。

投稿: ごみひこ | 2009年2月26日 (木) 09:19

>ごみひこ(しょぼひこ)さん

僕からすれば、あなたの度重なる揶揄・中傷めいたコメント(あなたがこれまで3、4度書き込んだコメントは議論とはほど遠い、礼を失する罵詈雑言だったので削除させていただきましたよ)を執拗に書き込み続ける小林支持の粘着具合が相当必死に見えますが・・・

>とらひこさん個人の「見解」を支持しない限り「ヤマト化が進んでいた」という研究成果を評価してはならないとは。

僕は小林氏の「ヤマト化が進んでいた」という“歴史事実の認識自体”が誤っていると書いたはずですが。あなたはまず批判ありきで僕の記事をよく読んでいないようですね。

あなたの僕への言葉をそっくりそのままお返ししますが、「あなたは文章を理解できますか?」

研究成果では「ヤマト化が進んでいた」という評価になっていないんです。しかも研究成果を出したのは僕本人ですよ。それともあなたは「ヤマト化が“進んでいた”」ことを証明する新たな事実を何か知ってるのですか?研究者の僕が納得するような情報を提示できるのですか?小林氏の本を読むだけでモノを知った気になるのではなく、こうした沖縄の歴史研究自体を自分でちゃんと確認したうえで小林氏の評価をしたほうがいいですよ。

>「琉球と日本は同じだ」という論点の表し方自体があまりにも雑。

「日本と琉球が同じだ」という小林氏の『沖縄論』での主張は、僕の記事で簡潔ですが具体的にまとめてあるでしょう?日本語が読めないようなので、もう一度あげておきます。

「『沖縄論』が琉球・沖縄の独自性を軽視して歴史・文化のほぼ全てを「日本」に回収しようとし、琉球処分(近代日本による琉球王国併合)を当然視・必然視する主張であること」

あなたの批判はあまりにも雑。言葉尻をとらえただけのもので、意味のある内容ではないですね。これでも納得できないなら、さらに小林氏の主張から逐一具体的なものを列挙することはできますよ。ただ小林氏に対する回答のあの文脈では詳しく述べる必要がないと判断したからあのような表現になったんです。

>小林が沖縄の独自性をきちんと認めていてそれを大切にして言って欲しいと何度も言っていることを完全無視している

小林氏が沖縄の独自性を認めているのは、あくまでも小林氏の想定する「日本民族」の範囲としての「お国柄程度」のものしかないと『沖縄論』で言っていますよ。僕はそうした彼の主張を把握し、その評価がおかしいと言っているのです。あなたは『沖縄論』もそうだし僕の記事も読んでいない。小林氏を手放しに支持するのではなく、よく読まれたほうがいいのではないでしょうか?

あなたの批判は具体的なものは何もなく(どうも沖縄の歴史に関する知識も「ゴー宣」で仕入れてるだけのようですから)、言葉尻をとらえただけの実のないもので話になりません。こんなことをしたって小林氏が正しいことをあなたが証明できるわけでもなかろうに。

しかも礼儀を知らず敵意・悪意に満ちた揶揄・中傷のオンパレード。誇り高く高潔な「日本人」としての精神をお持ちでないらしい。僕の批判をいくらでもしていただいて結構ですが、そういうことは2ちゃんねるででも存分にやってください。あなたはどうも「壷」がお似合いのようです。ここは匿名掲示板ではありません。つまらないコメントと僕が判断すれば、それに対して丁寧に答える義務はありません。

あなたがこちらにコメントしても今後一切掲載しませんのでご了承ください。もちろんそれで「勝利宣言」をしていただいても結構ですので。ただあなたの恥ずかしいコメントは削除せずに記録しておこうと思います。


投稿: とらひこ | 2009年2月26日 (木) 11:12

とらひこ様

私は数年前、ブログに小林よしのり氏に突っ込む内容の文章を書いて、信者からバッシング書き込みが殺到した事があります。
最初は丁寧におかしいと思うところを説明しながら、反論していましたが、彼らは小林氏に異論を唱える人間は非国民らしく、全然理解頂けないまま、バッシング書き込みはやみませんでした。
小林氏の意見に完全に賛同はできませんが、沖縄に関する議論のきっかけになった事は評価しているのですが・・・。
狂信者には何を言っても無駄だなあと思いました。

彼らなど、相手にせず、今後も研究を続けて下さい。

これからも興味深い更新、楽しみにしています。

投稿: TK | 2009年2月27日 (金) 15:05

>TKさん
それは大変な目に遭いましたね。

たくさんの人間がそれぞれ違う考えを持つ、というのは当然のことで、そうした違いをひとまず尊重し、人としてのマナーを守りつつ、議論というのはすべきだと思います。

実際にブログを拝見していませんが、TKさんへの攻撃をした人たちというのはそうしたマナーもない人たちだったのではないでしょうか。歴史をかじった僕から見て、彼らは後世、彼ら自身が全共闘世代を批判したのと同じように、後の世代から批判されることになると考えています。「お前らが日本をダメにしたんだ!」と。

僕は正直、彼らの観念的・表面的な議論にあまり興味はありません。そうした「流行り」に流されず、沖縄の歴史を探ることをコツコツとやっていこうと思っています。

これからもどうぞ応援よろしくお願いします。

投稿: とらひこ | 2009年2月27日 (金) 21:05

>〔追記〕辞令書でもわかるように、小林氏が挙げた事例は全て、ヤマト的要素と他の要素を混合させながらヤマトとは全く違う「琉球化」を遂げたとしか言えないのであり、「和風化が進んでいた」という事実認識は誤りとなります。

なんだか、日本における儒教をどう扱うか、という問題に似ていますね。
ご存知の通り、儒教は支那が発祥で、それから日本にも伝播してきたのですが、それをもって日本が支那化としたといっていいのかといえば、その通りと言えないこともない。
しかし、時代が下がって本場の支那人や朝鮮人が使者としてやってくると、どうも彼らは日本の儒教を儒教と認めたくない様子。平たく言えば「こんなの儒教じゃない!」という反応です。
すなわち、日本独自の日本儒教というべき存在が生まれたということもできます。

日本が支那化したのだ、ともいえるし、いや日本独自の文化になったのだ、といえないこともありません。

まあこれが雑種文化のややこしいところというか、面白いところなんですけどね。

投稿: たがみ | 2009年3月 1日 (日) 00:03

>たがみさん
たしかに近世日本の朱子学の発祥は朝鮮の儒学者・姜沆無しでは考えられませんし、琉球経由で日本に伝来した中国の『六諭衍義』は近世日本の庶民教育に絶大な影響を与えてますしね。これをもって近世日本が「中国・朝鮮化」した、とあえて言うこともできなくはないですね。

ただ僕はその土地の人々が営んできた歴史のなかでそうした文化の流入や定着というのを考えるのが大事なような気がします。日本の儒教は中国・朝鮮と似て非なる独自化を遂げたと考えますし、そうした視点で琉球の歴史もみていく必要があるように思うのです。

投稿: とらひこ | 2009年3月 1日 (日) 10:18

 何か変ですね、小林 よしのりを批判できるなんて。

いえ、とらひこさんの書いている事が間違っているとかではなくて、僕も小林よしのりを読んだけど、彼の書くことは
支離滅裂していて、ほとんど理解できないからです(笑)
 漫画は汚くて読みづらいし、主張とかじゃなくて、他人の言ったことは書いたことを批判していて、、それで筋が通ってないうえ、内容がどんどん飛ぶし・・・

 こういうこと言いたくはないのですが、小林よしのりは少し病気なのではないでしょうか(悪い意味ではないです。本気で彼を心配して)。同じくよしのりを支持するひともボーダーみたいな病気・・(汗)。とにかく本当に悪口ではなくて、
精神面を心配して、小林さんと支持者は一度病院で調べてもらったほうがいいと思います。何かしなければいいのですがって思ってしまう(汗)

投稿: 思うのですが | 2009年8月26日 (水) 20:21

>思うのですがさん

小林氏が病気かどうかは僕には判断がつきませんが、おっしゃるような小林氏の問題は、以前より多くの人に指摘されているようですね。

僕も今回の件で小林氏には本当に失望しました。もう少し話が通じるのかと思っていましたが・・・

言葉尻をとらえて不毛な論戦をするのは僕の好むところではないので、今後は反論しないと思います。

投稿: とらひこ | 2009年8月27日 (木) 20:10

コメントさせていただきます。
確かに小林よしのり氏の『沖縄論』には
『日本と沖縄は琉球時代から深い繋がりがあった!』という大きな彼の中での結論があって、書かれているといわれたら、それは認めざるを得ない事実であると思いますし、それは読んでいて感じました。沖縄が大陸である支那やシルクロードを通った物などで影響を受けた部分ももちろんあったでしょうから。

今回の小林氏の『ゴー宣NEO2~日本のタブー~』における主張も『琉球では公文書に和文が書かれるほどにヤマト化が浸透していた』という主張も完全に間違っては居ませんが、とらひこ氏の『琉球は交易都市であり、琉球人はヤマト・支那から多様な文化を吸収し、それを自分たちの使いやすいものを使った』という主張のほうが分かりやすく正しいと思います。

彼の『ゴーマニズム宣言』を見ても分かるように『物事を中立的に見つつ、自分の意見・つまり持論を傲慢かつ辛らつに描く』という手法が目立ちますから。人によってはかなりの意見の食い違いや諍いを生むのでしょう。

しかし、彼の唱える『極左の求めている沖縄独立論はわしからみると子供部屋独立論に他ならない』や『沖縄は反左翼的な言論を認めたがらない全体主義の風潮がある』という言説は現在の沖縄には言うべきことでもあると思います。教科書検定問題における『疑惑の11万人集会』や佐藤優氏が沖縄マスコミに便乗して、沖縄の紙面にて小林氏への徹底的な批判を何度も(小林氏は反論を1回しか許されなかった)をしているのは事実ですから。

結論として、今回のとらひこ氏の沖縄に関する小林氏への反論に対する反論は的を得ており、その辺に関しては小林氏に分が悪いものの、それで(とらひこ氏ではないですが)小林氏の『沖縄論』や『ゴー宣』をすべて批判する人間には納得できないということです。(当然無批判に小林氏の言説を良しとする人間も『自分でも少しは調べろ、それこそ{ゴー宣NEO2~日本のタブー~第9章『わしはプロとして書いている!』より}小林氏の言葉を借りると『あまりにも純粋主義的でナチスか支那の紅衛兵に通じる不気味さを感じる』と言いたくなりますが)

初めてこういう場にコメントするので、乱文失礼いたします。

これからのご活躍を期待しております。


投稿: トッキー | 2009年10月21日 (水) 17:36

>トッキーさん
丁寧なコメントありがとうございます。小林氏の政治的主張に関しては、本記事でも述べましたが、どのような主張をされても別にかまわないと思っています。僕は小林氏について全否定をするつもりのが目的で批判をしているのではありません。

内容の是非についてはさまざまな人たちが議論すればいいわけですが、主張そのものをするなとの批判や発言の機会を奪うことは僕も違うと思います。

投稿: とらひこ | 2009年10月23日 (金) 14:43

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