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2008年11月13日 (木)

5円の使い道(8)

5円の使い道(8) 弥次郎
▽俺は公明正大だ

波之上の社頭は例の魔の眼のような電灯が二つ、薄ぼんやりとともって丸い笠の上には金(かな)ブンブンが真っ黒くたかっている。門は10時頃になると閉め切ってしまうので、納涼客は廓外をうろうろするばかりだ。樹木奉納者の人名を勒した(ろくした。彫った)石碑を楯(たて)にあちら向こう遊客と遊女のささやきが聞こえた。脇に泡盛のガラス瓶なんか置いてあってしっぱりもどきだ。

▲波の上は泡盛の歌
波之上の社頭は何者の神々しさもない。厳粛の感もない。俗悪醜陋(しゅうろう)の光景ばかりだ。そこには沖縄の青年のふやけた泡盛の歌がある。遊女の安香水でごまかしたワキガの歌がある。赤くただれ青くすえた放蕩の魂の歌がある。男女の抱合を求むる醜肉の歌がある。これらのたわけ者どもに蹂躙せられた、芝生と石の屈辱の歌があるばかりだ。そのほかに何がある。潮の高き叫び声がある。しかもその湖も人間のむさき体を漬けたため汚了した潮である。その声は侮辱を感じた怒りの声かもしれぬ。しからば

▲その歌でも聞こう
その歌でも聞こう。泡盛の歌でも聞こうと甘藷(イモ)ガラの散らばった日中なら足も入れかねぬ芝生の上にブッ座った。アチコチ団座を組んで泡盛党が芳烈な酒気を漂わしている。すぐ手前の氷屋でこれらの泡盛はさかんに売っている。ビール瓶やらカラカラーやらに2合3合と取ってきて、芝生の上で飲(や)っているのだ。氷は名ばかりで酒ばかりだ。電灯もない薄ぼんやりしたランプの下で氷を削ったり泡盛の合を計ったりしている。向こうに竹囲いの小屋を設けて客席にしてあるが、誰も入り手はない。俺はズンズンこの小屋内に入りこんでいった。これはすこぶる

▲水滸伝的に出来
水滸伝的にできている。花和尚・魯智深(*)よろしくの見栄であぐらを掻(か)きたまうべしじゃ。護国寺を五台山にして酒と肉とに渇すること数日、たまらなくなって抜け出した。魯智深先生じゃ。2坪にもたらぬ小屋いっぱいにドッカと座し、ポンポンと手をたたいて酒を命ずると、12才ばかりの女の子がきた。「お酒は芋(イモ)酒にいたしますか、お肴(さかな)はタコのさしみがございます」「ウムよろしい。芋酒2合と酢ダコなら持ってこい」。花和尚・魯智深殿、いばったものじゃ。あごをなでて待っていると、大きな鉢にタコ入道と瓜のなます、芋酒は4合入れの急須に運びこんできた。手酌でグビグビ、タコ入道をムシャムシャほおばりつつ、俺もよほどの生臭坊主だ。ところがさて、

▲懐中は今ごろ
懐中(ふところ)は今ごろどういう状態になっているかと財布をつかみ出してバラバラ蓆(ござ)の上にまいて一つ二つと銭勘定におよんだ。コレでまだ大丈夫どころかあり余って心配じゃ。タコ肴10銭(*500円)、芋酒2合8銭(*400円)。まだ前途遼遠だ。考えるとおかしくもなる。銭勘定などはまるで活動写真(映画)にでも出そうな泥棒だといえばこの光景がものすごくもなる。提灯のロウソクがほとんど燃え切れて四辺(あたり)は暗くなる。波が磯(いそ)に砕くる音も気が滅入りそうだ。フト天井を見ると桁(けた)の間に歯みがき楊枝がささっている。ハハァ、この家のオンチュー(おじさん)などが寝るんだなと思って、急にいたずら気が起こり、楊枝をソット蓆(ござ)の下に隠してやった。2合の芋酒はたちまちなくなり、さらに2合、都合4合引っかけて立つと足がふらふらする。(つづく)

(「琉球新報」大正3年《1914年》7月27日)

魯智深(ろちしん) …『水滸伝』の登場人物。花和尚は彼のあだ名。怪力の持ち主で、少々思慮は浅いが義侠心に厚く、困っている人間を見ると助けずにはいられない。純真で酒を愛し、なにより腕が立つという水滸伝の豪傑の典型。

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