5円の使い道(6)
5円の使い道(6) 弥次郎
▽俺は公明正大だ
これから波の上の氷屋を見舞おうとこころざし足を向けたが、西武門の縄暖簾(なわのれん。居酒屋のこと)がいたく俺の注意を引いた。入ろうかと片心は思ったが、どうしてもこの風体では資格がないように思われて躊躇(ちゅうちょ)した。三浦梧楼先生や故 田口鼎軒先生などは縄暖簾が大好きで三浦先生の縄暖簾ときては有名だ。田口先生もかつて言われたことが、西洋の宴席は日本の縄暖簾式から進歩したものである。式作法などという七面倒なことなしに、熊公ハチ公の簡易生活はよほど西洋的にできてる、とさかんに縄暖簾推賞論をしたものだそうな。俺もどっちかという同感である。沖縄の縄暖簾はどうかまだ研究もしてみないが、この際だと思うもののまだ弥次としての功を積まぬのだから気が小さいなどと思っていると、プンとする食い物の匂いが息づまるほどだ。
▲汁もありますよ
「汁もありますよ、もっとめしあがれ」などバーチー(おばさん)が叫んでいた。なかには長テーブルをはさんで左右に長い腰かけをすえて7、8名ばかりの車力(くるまや)さんがさかんに食っている。湯気立ちこめてモヤモヤとランプの光さえぼんやりするくらいだのに、客は平気なものだ。俺は質に取られた阿呆のようにしばらく立っていた。ソロソロ氷屋の方に歩を転じた。氷屋も客寄せの手段にいろいろ考えたものだ。ベーラー店(1906年創業の人気沖縄そば屋、ベーラーそば)の植木はおもしろいのだ。俺には専門家のようにこの枝ぶりがどうの、花つきがどうの、葉ぶりがどうのと評する資格はないが、鉢をあれだけ並べたのでも感心する。それよりも誰やらが言った
▲サシカがおもしろい
サシカがおもしろい。話を聞くと、主人のベーラー先生は東洋人のそうだが、よほど風流人と見えた。本業はソバ屋だが、またこういう氷屋を営むにも植木盆栽の趣味で客を引く。辻などではすこぶる受けがよく、若い娼妓の園芸趣味は先生によって鼓吹され培養されるらしい。「この葵はようござるんすね」「望みなら持って行け」、「このマッコーはきれいですこと」「欲しいならやろう」、「菊苗を少しくださいな。ソレからアサガオも・・・」「よろしい」、とロハ(無料)でくれもするからターリー(父さん)、受けがよい。それで氷もよく売れる店が繁昌・・・ホウ、あまりベーラー店のことばかりペラペラしゃべってもいかぬ。氷ブドウ2杯で失敬したよ。
▲おいくさんと蓄音機
次の不勉強屋(沖縄そば屋)もなかなか大勉強。女中のおいくさんは青年飲氷家に気受けがよい。キレイはとにかく愛嬌がよくて沖縄言葉ができる。3つ道具そろってるうえに大の勉強家だ。これもひとつの看板だが、蓄音機がこの店の客寄せ。浪花節・都々逸(どどいつ)、何でも唸(うな)らす。ちょうど某材木店の番頭さんと某銀行の書記さんが大きな声を出しながらビールをあおっていると、その向こうには商人体の男が陣取って、酩酊加減でたちまちこっちと大論判が始まったようだが、喧嘩の相手はこっちじゃないらしい。かえって同情を求めるような口風であるが、商人体の男は怒りが収まらないで「フン、○○銀行だって馬鹿にしやがるない。こっちにゃビタ一文だって恩にはなりゃァしねえぞ。君らはどう思いますか」・・・・・・なんかとわめいている。こちらは「ウムウム、そうだもっともだ」といいかげんにあしらっていた。喧嘩もこれくらいが適度だと思ってビールを1杯かたむけて俺はここを辞した。(つづく)
(「琉球新報」大正3年《1914年》7月24日)
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