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2008年10月23日 (木)

中国式火砲の撃ちかた

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10月12~16日まで中国ツアーの同行解説をしてきました。ツアーでは福建省の土楼(承啓楼)に立ち寄ったのですが、そこで沖縄の歴史とも関係する重要な発見が!種子島へ鉄砲が伝わる以前、沖縄に存在していた中国式火砲「火矢」を発射する場面に偶然、遭遇したのです。僕も実際の発射を見るの初めてです。今回はこの「火矢」発射の手順を紹介していきましょう。

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↑これが中国式火砲(手銃)。3つの鉄の筒からなっています。「三眼銃」と呼ばれる銃と同形式のもの。映画「もののけ姫」に登場した石火矢といえばわかりやすいでしょうか。沖縄でも「火矢」と呼ばれる同じかたちの火器が存在しています(沖縄県立博物館に所蔵)。

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↑三眼銃の拡大画像。

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↑火薬入れと新聞紙。

それでは発射までの手順。

(1)まず筒の中に火薬を入れ、棒(さく杖)で突き固めます。筒には点火のための小さな穴があり(火門)、そこに導火線も差しこみます。

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(2)次に新聞紙の破片を丸めて筒の中に押しこみ、

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(3)新聞紙を棒で筒の奥まで詰めて、さらに突き固めます。これで準備完了。

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(4)この手順を3つの筒すべてに行います。

(5)それでは、短いですが実際の発射シーンを動画でご覧ください。撮影に慣れていないため(実は今回がビデオ撮影初めて・・・)映像がブレてしまっていますが、その点はご容赦ください。

現在では兵器ではなく祝砲として使用しているようですが、1466年、琉球使節が京都でぶっ放し人々を驚かせたという「鉄放」は、まさにこの種の火砲のことでしょう。

実際に見て感じたことは、まず火砲の威力のすごさ。腹に響く衝撃でした。中国式火砲は火縄銃と比べ命中率が低かったようですが、戦場でこれを並んで撃たれたら腰を抜かしてしまいそうです。威嚇としては充分使えるように思いました。ただ発射するまでの準備に非常に手間取っていたことも気になりました。発射してから次に発射するまでに3つの筒に火薬と弾丸を入れるまでに時間がかかることから、やはり連射は難しいように感じます。三眼銃などの中国式火砲は敵が接近した際に発射して、その後は銃をこん棒のように振り回し打撃武器としても使ったそうですが(派生型には槍付きの銃あり)、それも納得です。

現在、火縄銃の発射実演は日本各地のイベントで見ることができますが、中国式火砲についてはなかなか少ないと思います。大変貴重な体験でした。

なお欧米の三眼銃発射の動画もあるようなので、参考までに【こちら】をどうぞ。撃っているおじさんがノリノリなのが少々気になりますが・・・

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コメント

おもろ〜

今も実際に使ってるんですね

では、中国式の方の動画が見れませんでした
残念


もヨンナー読んでいるところです。

そこで質問です。
鉄砲が沖縄伝来したのが、日本より早く、
しかも城にも
ちゃんと備えてたのに、
どうしてあっさり
薩摩侵攻をゆるしたんでしょうか?


使うことに関しては
薩摩の方が人数や技術が
上だったのでしょうか?


弾みたいなモノは
時々出土するようですが、
鉄砲本体の出土品も
実際ありますか?

投稿: あまりりす | 2008年10月23日 (木) 20:54

大変興味深い記事でした。
武具がどのように文献にあり、かつ実物がどのようなものであったのかは当然問われるべきことですが、実際の使われ方が提示されると、武具の周辺についての具体的なイメージがわきますね。
確かうろ覚えですが、火矢の弾丸がグスクで見つかるとどこかで読んだことがありますが、命中率の低さや弾丸装填に時間がかかるなかで、火矢はどのようにグスクでの戦闘に使用されたのでしょうか?今回の記事を読んで、気になりました。
もしかすると、戦闘では攻撃のサポート的な側面を担うに留まっていたのかも知れませんね。とはいえ、確かに形態は兵を殴るのには適してはいるかもしれませんが・・・

投稿: まようべき人 | 2008年10月23日 (木) 23:14

>あまりりすさん
動画はパソコンでしか見れないかもしれません。すみません。

ご質問についてですが、簡潔に言えば、「薩摩が琉球の備えをはるかに上回って強かったから」ということです。

当時の薩摩軍は東アジアでも有数の精鋭部隊で、中国では「鬼石曼子(おにしまづ)」と言われ恐れられていました。

鉄砲の弾丸はたしかによく出土しますが、本体の出土は一度もありません。なぜなら、当時鉄は貴重品で、使われなくなったら溶かして別の製品に作り替えたからです。日本本土でも鉄砲が出土することはまずありません。

>まようべき人さん
火矢は存在していたことを示す史料はあるものの、実戦でどのように使用されたのかは、史料にはほとんど出てきていないので、詳しいことはわかっていません。

わずかに1609年の薩摩軍の侵攻の際に琉球側が大砲を使用した記録はあります。また近世になりますが、琉球の貿易船が海賊と遭遇し、火器兵器などで応戦した記録もあります。

また17世紀初頭に琉球船が火縄銃を搭載していた記録もあり、それらも実戦で使われていますから、旧式の火砲だけでなく、新兵器も導入していたことがわかります。

投稿: とらひこ | 2008年10月26日 (日) 09:49

とらひこさん、
回答ありがとうございます。


そっか
鉄は貴重ですもんね。
再利用されてたんですね

釘とかは、
よく出土するので、
そっちに生まれかわったのかも知れないですね

投稿: あまりりす | 2008年10月27日 (月) 17:15

新聞紙は昔も使っていたのですか?

投稿: 俺はピエロ | 2008年10月29日 (水) 13:10

>あまりりすさん
そうですね、釘とか、あとは農具なんかに変わったかもしれませんね。

>俺はピエロさん
本来は木のふたとかだったようですが、代用として現在は新聞紙を使用しているようです。

投稿: とらひこ | 2008年10月31日 (金) 23:00

本土でも火槍として使われていたものですね。

投稿: くま | 2020年5月29日 (金) 13:48

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